「霧中の悪鬼」

 霧深い森の中でパチパチと爆ぜる焚火の音があった。

 陽の光が遮られ、黒々とした木々のシルエットに囲まれた地で、一人の男が焚火の前に座っている。


 いくつか拾った枝が良くなかったか。

 男は横から焚火に剣先を突っ込んで薪を崩し始めた。


『よせよせ剣が傷むではないか』


 唐突に、暗い木々の間からしわがれた声がこだまする。

 男の手がピタリと止まった。


「この程度でダメになるような安物じゃないさ」

『ほう。では、なおの事勿体ないのではないか?』

「良いものを使わない方が勿体ない」


 男は肩を竦めて作業に戻る。

 燃えた薪は横に広がり、少しずつ火の勢いが弱まっていた。


『男よ、命が惜しくばその剣を置いていけ』

「おいおい。今使っているのが見えないのか?」


 男は鼻で笑いながら燃え盛る薪を寄り分けている。

 霧の向こうに居る何者かなどどうでもいいと言わんばかりの態度だった。


『ふざけた奴め。その火が消えた時、後悔する事となるぞ』

「後悔なんざしないさ」


 男は組まれた薪を崩しては左右へ除けていく。

 次第に火の勢いはかげり、霧の濃さが増していった。

 もはや手元すら見えないほど視界は悪い。


『馬鹿め。霧こそが我が領域』


 しわがれた声が高笑いを響かせた。

 木々によって分散しているのか、一体何処から発せられているのか見当もつかない。

 男は立ち上がり、剣を構えた。


『今頃後悔しても遅い』

「そうかい」


 男は躊躇う事なく、剣を右へと振るう。


『ぎゃぁ!!』


 次の瞬間、あれだけ一帯を白く染めていた霧が幻のように消えた。

 出て来たのは灰色の悪鬼が一体。


 顔を歪め、紫の血をまき散らしながら、己に突き立った剣を引き抜こうと藻掻いている。


『何故だ! 視界の利かぬ霧の中、何故わかった!?』

「よく見ろ」


 男が鬼に示したのは崩れた焚火。

 火は弱まってはいるが、くすぶりながら赤く光っている。

 その崩された薪はまるで男を囲うかのように伸ばされ、右手側だけがぽっかりと空いていた。


「火が苦手なんだろ?」

『何故それを』

「逃げ延びた村人が教えてくれたのさ。出てきやすいよう火を弱くして正解だったな」

『ぐぬぬぬ』


 悪鬼は悔しそうに唸るが、肝心の霧をうまく操る事が出来ない。

 燃えるように肚が痛む。

 いや、直前まで剣先は火の中だった。そのせいか。


「ま、恨むならその傲慢さを恨め。慎重さを忘れた代償だろうよ」

『ちくしょおおお!!』


 叫びながら赤鬼は腹から縦に切断された。

 割れる上半身。

 男の武器は確かな切れ味を持って仕事を終える。


 が、動きが止まった悪鬼はやがて爆発四散した。


「くそ、マジかよ」


 濃霧のため水分でも含んでいたのか。

 目に見える範囲はほぼ紫の体液でいっぱいとなってしまった。

 臓物や肉片に、腐った泥のような悪臭が広がる。


「前言撤回だ糞野郎」


 体液にさらされ、焚火はすっかり消えていた。

 剣の汚れは振るって落とすも。

 身体中が体液まみれで、激しく後悔する男なのであった。

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