第8話

 熊谷早紀を始末してから一時間ほどで、0課専属の鑑識班と死体処理班がやって来た。

 ハイエース2台で10人足らずの人員しか来ていないが、迅速にガレージ内の血痕処理や死体の回収をしていく。


「今回は何の成果もなかったな」

 周防飾利を警察車両に置いてきた和光が、ガレージ内を忙しそうに動き回る処理班を眺めながらシャーロックに声を掛ける。

「いや、少しはあったさ」

 動物の改造実験の成果を、自分の肌で感じる機会がとなった。

 机上の空論でしかなかったそれを実現させる。それは自身が書いた技術理論を実現可能な科学者の手に不法な手段で渡った。その事実をシャーロック自身にわからせるには十分な機会となった。

「これが、高校生の書いた戯言たわごとを実現した結果ってヤツか」

 和光はシャーロックの過去を知る極僅かな人間だ。

 いまから10年前、高校3年の夏に当時17歳のシャーロックが書いた論文の一節。

 倫理を捨てた技術理論で組み上げられた生体科学技術。しかし、当時の人間は誰一人としてこの理論の真偽を考えず、高校生の戯言として流していた。それから時が経つと、この論文の再評価がなされ、これを書いた誰かを世界中が探しだした。

「オレの書いた理論は正しかった。それを悪用できることを知っていて、オレはそれに触れなかった」

 数年前から起き始めた誘拐失踪事件の裏に、その論文で書かれていた技術理論の再現実験の噂がちらついていた。

「そうか」

 和光はそれ以上のことは口にしない。

「シャロ! これすげぇぞ!」

 ワットソンが鑑識班に借りたのだろうか、砥石で熊谷の遺体から回収した爪を研いでいる。

 人間の爪とは思えないような鋭さでそれ自体が一種の武器として活用できそうだ。

 バカみたいなことをやっているが、ワットソンもサヴァン症候群因子の影響をうけている。その影響で思考機能の一部に欠陥を抱えている。そのせいで依頼人との交渉や思考労働などを任せることが出来ない。

「ワット。そのくらいにしておけ。そろそろオレたちは帰るぞ」

 熊谷の爪を持ったままのワットソンは名残惜しそうに爪と砥石を鑑識班に返し、和光の車に乗り込む。

「和光。今回の報酬についてだが」

「わかってる。今日明日中に振り込ませる」

 外部委託している以上、警視庁の予算から報酬を出てくる。

 この警察組織からの外部委託報酬が、連理探偵事務所としての大きな収入源となっている。

「ならいい。あとで捜査のまとめも回してくれ」

 シャーロックは鑑識班や死体処理班の見解も聞きたかった。



『今回の事件の総括』そう書かれた資料に目を通しながら、和光が二人に警察としての捜査の最終結論の報告を受けていた。

「……ということだ。何か使えそうな情報はあったか?」

 シャーロックは頭を抱えながら、ワットソンは何もわかっていないような顔をしながら、和光から今回の事件の総括を聞いていた。

 シャーロックの想定していた以上に向こうの情報が少なかった。

「今回わかったのは、相手の情報統制が想像以上に強かったということだな」

 ソファの背もたれにもたれかかりながら息を吐く。

「なあ、あの爪とかからDNA? とか、引き出せないのか?」

 ワットソンがよくわからない考えを展開する。

「和光、こいつにDNAの説明するか?」

 ワットソンにそんなものを教えたところで何の価値もない。

「いや、遠慮しておく。ワットソン、結論から言えば被害者以外のDNAは採取できなかった。お前の思っているような、改造を施した人間のものは出てきていない」

 当然と言えば当然だ。お互いの利益がある処置だったのだから、そんなしょうもないミスをしているとは思えない。

「まだ、待つだけだろうな」

 シャーロックは諦めたように、事務所宛てに送られてきているメールの確認を始める。



 この事件をきっかけに、連理探偵事務所に新たな依頼が回ってくるのはまた別のはなし

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