第32話

渦巻く自身の心のうちを見透かされないように、エリカはニッコリと笑った。

「でっ?今日も愛しの君をストーカーしているんですか?」と話しかければ、

アリサはパッと双眼鏡から顔をあげる。

「ちょっと、ストーカーって人聞きが悪い!」

不満そうなアリサがエリカを見上げる。

「私はヒロ様の鍛錬の練習を見ているのであって…」

頬を染め、俯くアリサ。

 

BBの試合の後からずっとこれだ。完全に恋する乙女モードが続いている。


想い人を見るためだけに、屋根裏部屋にこもるなんて…。

ありえないわ。


一体、どこからこの忘れられた場所を探し出したのか?


実におそろしい執念ね…。


背中がゾクゾクして、エリカはますます頭痛がした。


どうして数ある男の中から寄りにもよって彼に胸キュンしちゃうかな?


と額をおさえてしまう。

「あの、お嬢様。ピンチを助けて貰ったのは分かりますが、それで恋に落ちるというのはチョロすぎませんか?」

「何言っているのよ。エリカだって危機一髪だったのよ。あの方がいなかったら二人ともドラゴンの頭部の下敷きになっていたわ」

「まあ、確かにそうですが…」

「あのトキメキは決して忘れないわ」と何度もうなずくアリサ。


それって恐怖と混同しているのでは?と思ったが口にはしなかった。

「禁断の恋に走るきっかけが三流の喜劇みたいなことって…」

「恋の始まりって大体そんな感じじゃない?」

「はあ…」間の抜けた返事を返すエリカ。

アリサは体制を変え、足を組み替える。

「エリカも恋をすればわかるわ」とアリサは笑顔で言った。


えっ?私の方が遅れているの?

箱入り娘のお嬢様にその言葉を言われるの?


流れる体液すべてが重くなった気がした。

脱力するようにソファーの背にもたれかかった。

ああ、疲れる…。


「私はあの方が鍛錬に来るまで待つから、エリカは本でも読んで待っていれば?今日はお昼の授業ないんだし、一冊丸々読めるでしょう」

アリサは再び双眼鏡を覗き込んだ。


「そうさせてもらいます」

エリカは積み上げられた本の中から一冊を取り出した。

表紙は革製で重厚な作りをしている。

裏表紙にはエリカ達のベストの胸に備え付けられたエンブレムと同じカワセミの刻印が押されている。学院保管の蔵書であるのは一目瞭然だ。

選んだ本を持って、一人用のクッションに腰かけた。

赤い羽をブンブンと振り回して飛び回っていた名前も知らない虫が空へと帰っていく。数枚めくった所で、エリカの耳にクスクスと笑うアリサの声が聞こえてくる。

重むろに顔をあげると、先ほど同じ場所、恰好で座る主がいた。

こちらを見てうれしそうに微笑んでいた。

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