アンジェは女神のために魔族を滅ぼし、すべてを捧げる

 魔族――それは闇の一族。善悪10柱の神ではなく、冥界からはいよる奈落の存在。すなわち、世界の異物。人間とは決して相容れない者達。魔なる法を用いて、この世の理を乱す逸脱者。


 あらゆる異業、あらゆる悪行、あらゆる不浄を内包する害悪。この世の汚泥、穢れを纏いし存在。神の地を侵食する染み。神の恵みを食らいつくす寄生虫。滅びをもってようやく許される存在。


 ……などと言われていたが、実際のところは彼らが世界を滅ぼすということはない。神の奇蹟ではない術を用いることはあるが、それがこの世に悪影響を与えることはない。神を信じる者達とは違う文化を持つだけに過ぎないのだ。


 これらの蔑視的な噂は魔族と交流がなかった時代のものだ。知らぬがゆえに恐れ、そして矛を向けていた時代。しかしそれは300年前の各柱の聖女達の尽力により氷解した。


 太陽神ラーズの聖女が和平を提案し、夜の女神リーヴァの聖女が魔族との懸け橋を作った。

 騎士の女神フランズの聖女が騎士達の矛を収め、盗賊の神ドーラの聖女が魔族からの盗みを禁じた。

 知識の女神マーガスの聖女が手法を模索し、詐称神ガラミスの聖女が言葉巧みに互いの間を取り持った。

 海神イリエの聖女が多くの幸を魔族に育み、嵐の神カイナルの聖女が災害への対策を魔族に伝えた。

 平和の女神フローラの聖女が調和を説き、戦争神デミリスの聖女が終戦の条約を為した。


 かくして両陣営の戦争は終結した。今では交流も盛んで、有事に際しては支援を行うほどである。先の白死病爆発的感染に際して、魔族側から多大なる救援部隊が贈られたほどだ。聖女アンジェの癒しと、迅速な魔族側の支援。これにより人類の死亡率は大きく減衰したという。


「ありがとうございます。あなた方に女神フローラ様の加護があらんことを」


 事態終結の際に聖女アンジェはそう微笑んだという。自身もかなりの労力を割いていたというのに、その笑みはまさに女神の如く美しかった。


 ――そしてその数か月後、魔族領地にて大量の変異体バッタが発生する。発生個所は人間領地と魔族領地の境目。国境沿いの山間だ。生物学的にこれほどの数の変異したバッタが発生するとは思えない環境。だからこそ、誰もが虚を突かれた。


 そしてバッタはまっすぐに魔族領地内に向かって飛ぶ。人間領地など目にくれることなく、。その爆発的発生もさることながら、これまでに類を見ない動きに魔族側の対応が遅れた。


 穀倉地域に向かって真っすぐに飛来するバッタ。もし空からこの様子を見る者がいれば、黒い津波が魔族領地を襲っているかのように見えただろう。魔族領地の穀物は食い荒らされた。


 時の魔族の王はこの事態を受けて早急に動いた。バッタ駆除のために軍を派兵すると同時に隣国への食糧の買い付け、並びに救助要請を行った。国庫を解放して財を放出し、できる限りの支援を行った。


 しかし、変異したバッタの猛威は止まらなかった。並大抵の攻撃を受けてもその侵攻が止まることはなく、災害級炎魔法をもってしてようやく食い止められるほどだ。ビーストテイマーや蟲使いなどの命令も聞くことなく、ただ突き進む。そしてしばらくすればまた新たな飛蝗が発生するのだ。


 ――まるでで。


 同時に隣国からの反応も足が遅かった。曰く、バッタが収まるまでは手が出ない。こちらもバッタの対策が必要だ。白死病の後遺症が残っている。表向きの理由はあるだろうが、魔族への援助を渋っているのは明白だった。


 ――まるでように。


 かくして恐ろしいまでに猛威を振ったバッタと、遅れた隣国支援により魔族領地内は大きく疲弊した。終わらない災害。尽きゆく食料。誰が煽りだしたかわからない陰謀論と、それに踊らされる暴徒。坂道を転がり落ちる岩のように崩壊していく国家。


「――争いは、いけません」


 そこに調和と平和の女神フローラの聖女、アンジェが現われる。大量の食糧と、傷ついたものへの癒し。聖女の意のままに動く教会の者達。それが魔族の火種を鎮火していく。


 さらにはアンジェの形成した聖結界によりバッタは戦意を失う。もともと短命だったのだろう。一月も経たずにバッタは骸となった。


「矛を収め、平和に生きるのです。それが女神フローラ様のお言葉。

 憎しみはありましょう。辛き気持ちはありましょう。それでもそれを乗り越え、共に歩むことが調和。女神フローラ様の御心のままに、平和の道を歩みましょう」


 祈るアンジェの姿に感銘を受けた魔族の者たちは武器を捨て、アンジェに敬服する。そして魔族の人々から女神フローラへの信者が生まれる。それはこれまで神への信仰が行われなかった魔族領地内に女神フローラ様の協会が建てられる兆しでもあった。


「……女神フローラか」


 そして魔族の王はこの流れに眉をひそめていた。調和と平和の女神フローラ。その聖女、アンジェ。彼女とそれを慕う女神教会の手助けにより魔族達は救われた。そしてその教えを素晴らしきものだと受け入れる。これにより、魔族は神への信仰と言う文化が根付くだろう。


 王が懸念するのは、あまりにも流れができすぎるということだ。


 バッタの変異体の発生。この災害自体は歴史を紐解けばいくつか例はある。しかしバッタの変異種が発生したのは別の場所。自然発生するとは思えない場所だ。仮に調和の女神が『変異したバッタを守るような』奇跡を起こし続ければ変異したバッタは淘汰されることなく増え続けるだろう。


 そして遅れる諸国の支援。変異バッタの猛威を恐れたというのが理由だが、だとすれば国内が荒れに荒れた崩壊間際のタイミングで介入してくるのはおかしい。教会レベルの圧力で支援を断るように命令され、スパイを使って扇動し、そして機を見計らって支援したのではないだろうか。


 その後の手際も、女神フローラ教会にとって得になることばかりだ。他教会に先んだっての魔族領地内への協会設立。蝗害という鞭に対し、多大なる支援と言う飴。平和と言う言葉をもって反抗の牙を抜き、調和と言う言葉を使って互いを監視しあう。女神の教えと言う毒は、じわじわと魔族領内に進攻していく。


 そしてその中心には、一人の人物がいた。


「聖女アンジェ。これからの動向に注意が必要だな」

「慧眼ですね、王。ですが、一手遅いです」


 思案する王の耳に届く女の声。


 それが魔族の王が耳にした最後の言葉となった。首の頸動脈を裂く刃物。返り血を浴びぬように背後から迫り、悲鳴をあげれぬように口元を押さえる。流れるような暗殺の技。王が絶命するまで十秒もかからなかった。そして死者蘇生も転生もできないように、王の魂は奇蹟を用いられて女神の元に送られる。


「最小限の犠牲で、多くの平和を。これも女神フローラ様の教えですわ」


 ――魔族の王が暗殺された報は魔族達を大きく動揺させた。


 これまで王により押さえられていた派閥争いが勃発する。その政治戦を制したのは最有力候補だった王子派でもなく大臣派でもなく、当時は外様と言われた女神フローラによる教会派であった。


 こうして魔族領地は女神フローラによる宗教国家となる。白死病や蝗害により疲弊した人類と魔族は争うだけの力を失い、女神の教えに恭順する。ここに人と魔が手を取り合い、民族融和が為された。


 歴史的に見ても大快挙と言える事を為した聖女アンジェは、事も無げにこう言い放ったという。


「これも女神フローラ様の教えです。

 素晴らしきかな、我が女神。アンジェは貴方にすべてを捧げます」


 後にアンジェは他九柱の教会を様々な手法で廃止に追い込み、一神教フローラとして世界を制覇することとなる。


 世界のを女神に捧げたのだ。

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