アンジェは女神の敵を駆逐する

 善なる神があるように、悪なる神も存在する。


 太陽神ラーズに対して、夜の女神リーヴァ。

 騎士の女神フランズに対して、盗賊の神ドーラ。

 知識の女神マーガスに対して、詐称神ガラミス。

 海神イリエに対し、嵐の神カイナル。

 そして平和の女神フローラに対して、戦争神デミリス。


 善の神五柱に対し、悪の神五柱。神々はそれぞれ相争い、それにより世界は成り立っているというのが一般的な教えだ。


 とはいえ実際のところはそれぞれの神様による恩恵や奇蹟は各職業によって有用性が異なる。夜の神は夜の仕事をする者に重んじられ、盗賊の神は裏稼業の人間に重宝される。嘘をつくことで人を救う詐称神や、嵐を乗り切る際に支えとなる嵐の神の奇蹟。そして騎士などの戦争を生業とする者は戦争神を信仰する者もいる。


 善や悪など時代により移り変わる。大事なのはそれらの神様が存在し、その力がそれに即した人間に与えられるという事実。すべての人間がおのれの信じる神の力を行使することができるからこそ、神の実在を感じられるのだ。


 善ある神。悪なる神。神話において争いあっているとあるが、その決着はつかなかった。それは善も悪も同じことと言う解釈ができる。善のみで世界は成立せず、悪のみで世界は成り立たない。そのバランスこそが世界というモノなのだ。


 ――つまり何が言いたいかと言うと。


「盗賊の神ドーラを奉じる無法者たちよ。己の罪を悔いなさい。女神フローラを信じぬ愚者どもよ。その無知を呪いなさい」


 アンジェは倒れ伏す盗賊達に向けて優しく語りかける。盗賊達は皆土気色の顔をしており、指一本動かすこともできない。一秒ごとに命を削られ、神の奇蹟がなければこのまま死に至るだろう。


 善悪だからと相争うのは、いつだって人間なのだ。


「が……ッ。ば、かな……ドーラの解毒奇蹟でも治せない、だと……?」


 盗賊神ドーラは暗殺者等が使う毒も取り扱う。卑劣と言うことなかれ。工夫こそがドーラの真骨頂。最小限の力で最大限を為す。そのためなら毒をも使う。その流れで解毒もできるのだが……。


「ええ、そうでしょう。毒ではありません。あなた達を苦しめているのは、ネズミが媒介する病気ですから」

「は、白死はくし病……!? お、お前は調和と平和の女神の聖女じゃないのか!?」


 白死病。それはかつて大陸を大混乱に貶めた悪魔の病気。原因不明の死によりパニックが起き、知識神の探求によりその原因を突き止め、今では下火になりつつある病気。今なお大陸内で苦しむ者がいる名前だ。


「ええ、そうですよ。私は女神フローラ様にお仕えする聖女。この世で最もフローラ様に近い存在。

 私はただ、苦しむネズミ達に癒しの力を与えただけです。ああ、でも白死病の源を取り除いたかどうかは忘れましたが」


 事も無げに、死に至る病を広めたかもしれないと言い放つアンジェ。確かにネズミの数が増えた気はしたし、そのためにネズミ捕りのトラップも多く仕掛けた。だが、


「私が癒したのは1000匹近いネズミさんの群れです。あれからかなり経っていますから、その数はどれだけ増えているでしょうか。想像もできません」


 1000を超える病気持ちのネズミ。それを止めることは不可能だ。いや、それはもう街中に広まっているだろう。下手をすると町を出て、国中に。そしてまた大陸に白死病の波が広まりかねない。


「なんてことを……」

「ドーラを信じる人達は穴倉に籠って見つけづらいですから。このやり方が一番効率よく駆逐できるんです」


 恐怖におののく盗賊に、笑顔で答えるアンジェ。そして静かに祈りをささげた。女神フローラへの祈りを。


「俺達を滅ぼすために、白死病を爆発的に広めただと……! そんなことが許されるわけがない!」

「何を言っているんですか? 貴方達の許しなんていりません。大事なのはフローラ様の慈悲です」

「はぁ?」

「これからフローラ様の慈悲が苦しむ民を救います。多くの人達がフローラ様にすがり、慈悲を請うのです。嗚呼、なんという素晴らしい世界! 皆がフローラ様に首を垂れ、皆がフローラ様を慕うのです!」


 その未来を想像し、アンジェは笑みを浮かべた。すべての民がフローラに祈りを捧げる世界。世界はフローラ様の愛によって救われる。世界はフローラ様の奇蹟により救われる。女神フローラ様の慈悲が世界を満たすのだ!


「む、無理だ! 白死病を癒せる聖女は他の神にもいる! そいつらが癒せば――」

「ええ。白死病を癒せるほどの信仰心を持つ方はたくさんいますとも。そちらの方々にも


 あえぐ盗賊に向けて、にっこりと笑みを浮かべるアンジェ。


「カーマインさんには元気な弟さんがいるみたいですから、そのことで『お話』をしたら快諾していただけました。誰だって、突然死ぬことはあるかもしれませんしね」

「…………おい」


 どんな『お話』をしたのかを想像して、盗賊はつぶやく。身内の突然死を想起させるような『お話』。そうとれる言い方。


「リグレットちゃんは慕う幼馴染がいました。こっちは幼馴染に『お話』したらリグレットちゃん真っ青になって割って入ってきました。嫉妬する姿がかわいかったです」


 眼球をくるりと抉るようなジェスチャーをするアンジェに、真っ青になる盗賊。目の前で眼球を抉られながら会話する相手に笑顔で話しかけられたら、誰だって同じ顔をする。


「メーヴェ様は頑固でしたね。さすがは騎士女神の聖女。ですが騎士様は守るべき民が多いですから。凶暴な生物を沢山『元気』にして町に向かわせたら、いつの間にかいなくなってしまいました」


 残念です、と肩をすくめるアンジェ。盗賊達は、騎士女神の聖女が動物の大暴走から民を守るために身を挺して戦った事件を思い出す。まさか、あれは――


「そういうわけで、他の神の聖女の皆さんには『お話』済みです。一部お話しできない『状態』になった方もいますが、現在白死病を癒せるのは私だけ。いいえ、女神フローラ様だけですわ」

「そ、それが調和と平和の女神のやることか!?」

「ええ。拳を振るうなんて暴力的なことは一切していません。他人を傷つけるようなことはしていません。調和と平和を求めて『お話』しただけです」


 盗賊の言葉に笑みを浮かべるアンジェ。調和と平和の女神の名において、フローラ様の聖女の名において、嘘偽りは言っていないと言わんがばかりの笑顔。


 実際にやっていることは脅迫と扇動だ。この黒死病に至っては騒乱と大量殺人。しかしアンジェ自身がやったことはあくまで生物の癒し。調和と平和の女神の教えに反することは何一つやっていないとアンジェは心の底から信じていた。


「く、狂ってやがる……!」

「残念です。フローラ様の慈悲を理解できないなんて。嗚呼、世界は何と不浄に満ちているのでしょうか? このような世界を浄化するために、私はここにいるのです。

 誠に残念ですが、私には貴方達は救えません。まだまだ私は未熟なのですね。これも女神フローラ様の与えたもうた試練。この失敗を糧に、アンジェはこれからも邁進していきますわ」


 盗賊達の悪態を受けて、悲しそうに首を振るアンジェ。盗賊達の命が尽きるまで、ずっとそうしていた。そして全員の命が尽きた後に背を向ける。


「ふふ、これから忙しくなりますわ。白死病を癒し、女神フローラ様の愛をお伝えしなければならないのですから」


 かくして、聖女アンジェは白死病に侵された人たちを救うべく女神の奇蹟を行使する。

 その献身と御業は多くの人達を魅了したという――

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