第6話 カーニバルの夜
(やだ……あの人……なんでこんな所にいるの?)
塔の下階。
自室のドアを閉めると、サラは頬を押さえて座り込んだ。
——ミッシェル・オネット。
サラの人生において、数少ない美しく幸福な記憶。
……幼い初恋の記憶。
昔、サラが預けられていた教会に、時々やってきた綺麗な男の子。
サラは見習いシスターという名の小間使いで、ミッシェルは貴族で、身分は全然遠くて……でも、彼はいつも優しくあたたかかった。
「僕はサラみたいなお嫁さんが欲しいよ。君が淹れてくれる紅茶、いつもとびきりおいしいな。君が作るものはみんな優しい味がしそうだね。毎日でも食べたい」
「とんでもないです。ミッシェル様は、きっとお姫様みたいな人と結婚なさるでしょう」
「ええ〜、僕にとっては君がお姫様なんだけどな」
にっこり微笑む罪作りな少年。
素敵な男の子にそんな風に言われて微笑まれたら、女の子は恋に落ちてしまう。
美しいままの、宝石の様な記憶。
「恋」なんて、ずっと忘れていたけれど、10年以上の時を経ても、彼は本当に素敵だった。
あの頃より色が濃くなった金茶色の髪、柔らかな光を湛えたグリーンアイ。
華奢だった身体は逞しく成長し、きちんと鍛えていることが分かる、均整のとれた筋肉がついていた。
きっと彼は、あの時の醜聞を知っていることだろう。
けれどサラに向けられたのは、昔と同じ気遣いと好意の眼差しだった。
嬉しかった。
足元で黒い犬達が尻尾を振っている。
(ほんとイヤだわ)
サラは、なだめるように犬の頭を撫でた。
「いつか王子様が迎えにきてくれる」ミッシェルは、そんな少女の夢を体現してくれそうな存在で、幼いサラも分不相応と知りながら、「こうして王子様とお姫様は幸せになりましたとさ」といったお伽噺のような夢を見てしまう事があった。
(王子様は、時間が経っても王子様だったわね。ミッシェルは元気そうで、今も素敵な人だった……「いいものを見た」そうとだけ思うことにしよう)
サラは首を振って立ち上がると、身支度を整え、本物のお姫様のいる上の階へ向かった。
「サラ、街の様子はどうだった?」
娯楽に飢えているフィオレは、サラが部屋に入ると直ぐに訊ねてきた。
「近々お祭りがあるんだそうです。いつもより少し人が多かったですね」
「ヴィアのカーニバルでしょ。この国じゃ有名な祭りよ。村の収穫祭なら行ったことあるんだけれど、カーニバルかぁ……仮装する人も多いらしいし、楽しいんでしょうね」
サラの報告に、フィオレは羨ましそうに窓の方を見た。
「そんなものですか」
「サラは興味ないの?」
「すみません……無いです。物心ついてからずっと、余裕が無くて。祭りが楽しいという認識が無いんですよね」
サラの言葉に、フィオレは少し考えこんだ。
「私は、きっと幸せだったのね。でも、好きだな…… お祭り。音楽を聴いて、踊って、美味しいものを食べて、友達とと思いっきり笑って……もう二度と出来ないだろうけれど」
フィオレは、寂しそうに笑った。
「大丈夫。来年は見れますよ、きっと」
「え?」
「あ、申し訳ありません。出過ぎたことを言いました」
「……サラ。ありがとう。今日はいつもとちょっと違うわね。街で良いことでもあったの? いつもより顔が明るいみたい。ひょっとして、恋でもしたの?」
フィオレは、悪戯っ子の表情で首を傾げた。
「そ、そんなことありませんよ」
意外と鋭いフィオレの指摘に顔を赤くしたサラは、夕食の支度を理由に慌てて部屋を出た。
∗∗∗
「殿下、今夜こそ必ずやあの娘を仕留めてご覧にいれます」
「うむ」
「では、本懐を遂げた暁には、私を正式に麾下に加えて頂き、存分に研究をさせて頂きたく」
「うむ」
デアは、恭しく頭を下げると退室していった。
(胃が痛い。なんなら頭も痛い)
デアが目の前からいなくなった後、男は頭を抱えた。
(なんであんな厄介な奴に儂は目をつけられたのだ……)
何が悪かったといえば、過去の自分の短慮なのだから仕方はないのだが……。
男は大公の従兄で、大公位継承権は第3位。
野心がないわけではなかった。
2人の王子に何かあればひょっとしたら……と思ったことは何度もある。
ある時、大公の隠し子の噂を耳にした。
10年ほど前、暇を出された女官がおり、その女は結婚もせず子を育てているという。
女は、田舎でつつましく暮らしているようだが、大公が密かに資金援助と警備を手配しているらしいと。
その時、男は漠然と考えた。
(もしその子が表に出てくれば、自分の継承権は4位、大公位は更に遠のく)
半年より前、プラターヌ教団の司教を名乗るデアがやってきた。
「殿下、何かお困りの頃はございませんでしょうか? 殿下のお立場でしたら、何かと障害もございましょう。私なら、簡単に取り除いて差し上げますよ」
最初は何も無いと断ったが、しつこく、気味の悪い男を早く追い払いたくて、デアに言ってしまった。
「では、国王の隠し子を消す事ができるか?」
と。
まさに魔がさしたとしか思えない。
実のところ「隠し子」なんてものは存在しないと思っていた。
噂というものは、面白おかしく貴族たちが囁くものであって、往々にして大きな尾びれがついているものだから。
ところが、デアはやってしまった。
辺境の地にいた母子を見つけ出し、襲って母親を殺した。
しかも子供は継承権を持たない「娘」だった。
娘は密かにヴィアに呼び寄せられ、城塞のような塔、フルメンで守られることとなった。
一連の事件は、公にされていないが、フルメンを使うからには、大公家が絡んでいるに違いない。
男は焦ってデアを呼び出し、金をやるからどこかに行ってくれと告げたのだが……デアという男は、全く人の心が読めないらしい。
「殿下、次こそは大丈夫です。最強の部下を作り出し、消して見せましょう。ふふふふ……」
「…………」
その後もデアは、娘を殺すべく魔物を操りしばしば塔を襲った。
更に悩ましい事に、デアの魔物は城下で人を襲っているようなのだ。
(まずい、まずい、まずい、まずい)
魔物もデアも、誰かに退治して欲しいが、下手に動けば、自分の事がバレてしまう。
一方、デアが、恐ろしくて仕方が無く、気分を損ねれば、自分が殺されるのでは無いか。とも思え、デアに対し何も言う事が出来ない。
どうすることもできないまま、男は今に至った。
最近は食欲もなく、夜もまともに眠れない。
とにかく今は、誰かがデアを葬ってくれることを祈るのみだった。
そう、何も露見せぬままに……。
∗∗∗
カーニバル当日
「ヴィアのカーニバル……聞いてはいたけれど、壮観だな」
「500年以上前から続いてる祭りだよ。国が変わっても、様々な形で続いてきたんだってさ。夜は、色とりどりのランタンが灯され美しいらしいね」
「すげぇな。俺も仮装して混ざってこようかな」
「バカ、混ざってどうするんだよ。この人ゴミ、そして仮装……魔物が紛れるにはもってこいで、食い放題っぽいだろ。祭りの高揚感は人々の警戒感を弱らせる。魔物のことなんかすっかり忘れているだろう。危険極まり無いな」
ラファエル、ミッシェル、ガブリエル、そして一緒に行動することになったウリエルの4人組は、華やかな祭りの様子に感嘆していた。
「ウリエルってば正論。こういうの好きそうだと思ったんだけど」
「失礼だな。それに普段でも俺は、ちゃんと顔や体を見て好みの女を選びたいね。これじゃ男か女かいくつ位なのか、分かんねぇじゃねーか」
ミッシェルの言葉に、ウリエルは自論を説く。
「貴族も平民もどこの国の者かも分からない。参加者がしがらみを忘れて楽しめるってのかこの祭りの醍醐味だからな。魅力的な祭りだと思うが……ウリエルの言う通り、今夜は危ない」
思い思いの衣装に身を包み、仮装を楽しむ人々を眺めて、ラファエルの顔には憂いが浮かんでいた。
夜の帳が降りると、祭りはがらりと違った顔をみせる。
メイン会場の広場の回廊は黄色やオレンジ、青色の灯りがともり幻想的で、そこを仮面をつけたり化粧をしたり、仮装をした人々が行き交う様は妖艶ですらある。
「ガブリエル……これはなんだ?」
「『仮面』だけど」
ガブリエルの手には顔の半分を隠すタイプの仮面があった。しかも4つ。
「何のつもりだ」
「今夜は危険なんだろう? 無礼講で、仮面があれば入れる舞踏会やレストランなんかもあるっつうから、偵察に入るにも必要じゃねーかと思って。ラファエルなんか、いかにも警戒してますって顔で歩いてたら浮くだろ」
「今夜は馴染んだ方が動きやすいのは確かだ。俺はこれで」
ウリエルは、黒地に銀の装飾の仮面を手に取った。
「じゃあ僕はこれで」
そう言ってミッシェルは深緑に金のものを受け取った。
そしてラファエルも渋々といった形で、ターコイズブルーに銅色の縁取りの仮面に手を伸ばしたのだが、ガブリエルがサッと別の仮面を手渡した。
「おい、喧嘩売ってるのか」
ラファエルが睨む。
手にあるのは、純白のマスク。しかしそれには白くふわふわした花と銀の蝶があしらわれていた。
「なんで怒るんだよ。俺は真剣にみんなに似合うの選んだんだぞ。ミッシェルとウリエルはその通り選んでくれたし」
「まぁ、ラファエル……ガブリエルはおふざけじゃなくて、真面目に選んでくれたみたいだし、多分僕らじゃそれに合わないから貴方で」
ミッシェルに取りなされ、ラファエルは、ため息ををつきながら仮面を身に着ける。
「やっぱ、あんた可愛いな。ガブリエル、結構良いセンスしてるよ」
「こら、ウリエル。これ以上ラファエルを怒らせないでよ」
「だろ。絶対に似合うと思ったんだよ~。なんかさ、銀の蝶を伴った月の女神って感じ?」
「⁉」
「ちょっと、ガブリエルも! ラファエルで遊ばないでよ。僕たちが浮かれててどうするの……って、え!」
「ミッシェル! 探索の魔法かけろ。気配がするぞ」
「うん、大きいそして複数」
「一定方向に向かっていないか?」
「みんな良く分かるよな~」
「
ミッシェルが目を凝らすと、黒い雲のような一団が塔めがけて飛んでいた。
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