第7話 マイプリンセス

 森の奥から、赤っぽいオレンジ色の大きな月が顔を出している。


 フルメンの塔の屋根の上。

 ひと組の男女がそこにいた。

 

「サラ、かなりの数が来るぞ。デアも焦っているのだろう。教団も騎士を派遣したというから……今夜こそ捕まえられるといいな」


 鷲の頭、背中に翼を持つ男が鋭い目で遥か遠くを睨んでいる。


「サイモン、終わるといいわね。フィオレ様もこれ以上閉じ込めたらお可哀想だし……それにもう、犠牲者が出るのは辛いわ。喰われる方も、喰う方もね」


 サラは、まちを見下ろし、僅かな間目を瞑った。


「守り切って終わらせよう」


「ええ。凄腕の騎士だというから、デアの確保は任せて、我々は敵を凌ぎきる事を考えないとね。……それにしても今回は酷く臭ってくるわ」


 サラは鼻をひくつかせて眉を顰めた。


「はは、君は辛いだろうね。今回はいつもより敵が多いようだ。……十分な援護が出来ないかもしれない」


 サイモンは真剣な目を向けた。


「大丈夫よ。そっち集中して戦って」


 サラは、微笑んで返した。


「なぁサラ。場合によっては、姫を連れて直ぐに大公宮へ逃げろよ。彼女を死なせては意味がない」


「わかってる。サイモンも無事に帰ってきなさいよ」


「大丈夫、大丈夫。俺たちは強運の持ち主だからな。よし、先にいって少しでも数減らしてくるか、じゃあな」


 サイモンは、片目をパチリとさせて、翼をはためかせると、夜空へ舞いあがった。



 塔では、プラターヌ教団から派遣されたサラとサイモンの2名と、大公の私兵10名がフィオレの護衛に当たっていた。

 しかし、魔物相手では、並の戦士は歯が立たず、襲撃の殆どは、サラとサイモンの2人で退けてきた。


 2人とも元は戦士でも何でもなく、酌婦と会計士だった。

 いずれも死の淵にあった所を教団に拾われたのだが、その後デアの実験台となってしまった。

 人の姿を失い、行き場を無くした2人は、教団で力の使い方を習得し、そのうち護衛などを任されるようになった。

 そして、折りからデアによる被害を食い止める事が、自分たちの使命と感じていた2人は、デア絡みと思われたリノールからの依頼に立候補してやってきた。

 

(忌まわしい力だけれど、これで誰かを守れるならば、やれるだけやろう)


 サラは、全身に魔力を漲らせ、迫り来る魔物の群れに備える。


 

 すえた匂いが強くなった。

 塔の周りあちこちでつむじ風が起こる。


「キャハハッ」

「ウフフ」

「クスクスクスクス……」


 女の頭をした猛禽類の魔物が次々と現れた。


「お前が教団の犬か。創造主に逆らうとは愚かな奴」

「喰ウ、喰ウ、オマエ、喰ッテヤル」

「ククククク……死んで」

 

 怪鳥達は口々に叫んでいる。

 そして、翼を小刻みに動かすと烈風の刃を生み出した。


 四方から迫る攻撃一つひとつ、サラはしっかりと目で追い、確実に躱す。

 最後の風刃を空中で回転して避けて着地し、逆に攻撃に転じる。


波よ唸れVagues hurlantes


 サラが唱えると、足元から遠吠えのような声があがり、細波が生まれた。

 それは進みながら勢いを増し、大波となって怪鳥達に襲いかかる。

 波の圧力に負け、何体かが失神して落下した。


 残った怪鳥が、耳障りな鳴き声が響かせ、大きく翼を振った。

 強い斬撃のような大風。

 それは、瞬時にサラに迫り、一瞬、胴体を両断されたように見えた。


 漆黒のスカートが千切れ落ちる。


 サラの下肢が露わになった。

 それは、真っ黒な被毛が美しい3頭の犬。


 サラは、大きく跳躍した。

 彼女は一気に魔物へと距離を詰め、そのまま中央の犬が佩く剣を素早く抜き、怪鳥の翼を叩き斬った。


 サラは、攻撃の手を緩めない。


水流の轟音rugiens cataracta


 3頭の犬が遠吠えを轟かせると、怪鳥達の頭上から滝のような水が降り注ぎ、飛び回っていた鳥たちは地面に落ちた。

 

 しかし、サラが息をつく間も無く、再び無数の旋風が起こる。

 先程以上の数の羽ばたく魔物が喧しい声をあげる。



 ガチャガチャ


 その時、足元から少し離れた場所にあった塔の天井が開いた。


「なっ」


 サラは、血の気が引いた。

 その小さな出入り口から、フィオレがひょっこり顔を出したからだ。


「戻って!」


 サラは叫んだ。


「だって、護衛の人が塔下からも魔物が登って来るから、屋根に登れって!」


 震えながらフィオレも叫び返す。


(そんな馬鹿な。下から魔物の臭いなんてしないわ……。まさか! )


 フィオレを完全に屋根の上に押し上げ、その後からひとりの男が姿を現した。

 それは…… 大公兵の制服に身を包んだ男は——デアだった。


 サラは、動いた。

 跳躍すると一気に詰めて、フィオレを抱きとめ、デアから距離を取る。

 

「強いなぁ、黒犬。実に興味深い実験結果だよお前は。大人しく私に従うなら、重用してやってもいいぞ。ああ、ちなみに鳥頭は、愚かにも断ったからな、今頃鳥女の糞になっている事だろう」


 怪鳥の大群を従えたデアは、サラの方を向いてニタリと笑った。

 

(サイモン……無事なの? それに。拙いわ。このままフィオレを庇いながらじゃ戦いきれない。この数の魔物を引き連れて大公宮へは行けば、被害は計り知れない……)


 サラは、周囲をサッと見渡した後、フィオレの耳元に囁いた。


「塔を降りて、森を目指します。しっかり抱いていますから、安心して下さいね」


 フィオレはしっかり頷いた。


 

水よ炎よAqua, flamma

 怪鳥の攻撃より先にサラは、簡単な魔法を2つ、出力多めにかけた。


 ブワッと湯気が噴き出し、熱気をくらった鳥達の悲鳴があがる。

 そして辺りは、蒸気に満たされ真っ白になった。

 サラは、フィオレを横抱きにすると屋根の縁を蹴った。

 

 タンッ

 タンッ


 塔の壁を伝い地上へ降り立つと、サラは森を目指した。

 鳥達が追ってくるが、サラはひと足先に森へ到着した。


(大きな翼では木々の中を思うように飛べないはず)


 針葉樹のスッとした心地良い香りに包まれ、サラはホッと息を吐く。


 しかし、程なく上空に怪鳥達は集まり、神経に障る甲高い鳴き声が響きわたりはじめた。


「サラ……」


 小さく震えるフィオレが、ギュッとしがみついてくる。


 ふと、怪鳥の鳴き声が止んだ。


「息を吸って、止めて!」


 膨大な魔力と熱を感じたサラは、フィオレに指示すると自らとフィオレの体を水球で包んだ。


 巨大な、炎の竜巻が森に襲いかかる。

 空気の渦と激しい炎が、一瞬で木々を薙ぎ払い、森を焼いた。


 パシャン


 水の守りを解いて周囲を見渡すと、森の一角は焼け焦げ、上空には無数の怪鳥が羽ばたいていた。

 そして、不気味な忍び笑いがしたデアが現れた。


「全く手間のかかる。鳥達は、すっかり腹を空かせてしまったようだ。さあ、お前ら、そこの犬は骨まで喰いつくせ。小娘の方は、首は残せよ。殺った証拠になるからな」


 デアは嬉しそうに鳥達に声をかけ、鳥達も歓声をあげた。


(これほどの騒ぎ、さすがに大公宮の人々も気づいたはずよ。きっと助けは来る。フィオレを隠す術をかけ、時間を稼げば何とか……この子だけは生き残れるだろうか)


 サラは覚悟を決め、フィオレに隠匿と守護の魔法をかけた。


「大丈夫、絶対に助かるわ」


 涙を流すフィオレの頭をそっと撫で、サラは空を睨んで剣を構えた。

 

 風の刃が降り注ぐ。

 剣で弾き、素早い動きで躱したとしても、絶え間なく襲ってくるそれは、腕を、足を、腹を切り裂き、サラの体のあちこちから血が滴った。

 

 鳥達は涎を垂らして喚くと、鋭い爪を向けて一斉に襲いかかって来た。


(一刻でも長く耐える!)


 サラが己を奮い立たせ、歯を食いしばった時。


 金の光の筋が天から降りて、サラの目前に迫った怪鳥を貫いた。


 雷鳴が轟く。

 電光は閃きながら、次々と怪鳥を墜としていく。

 

(一体何が起こっているの?)


 サラが、鳥達の混乱を呆然と見つめていると、5人の男が現れた。

 2人の剣士はすぐさま、怪鳥の群れに入り、次々と怪鳥を昏倒させていった。

 残りの3人は、サラの方に駆け寄ってくる。


 1人はサイモン。


(良かった。怪我をしているようだけれど生きている)


 もう1人は、サラは一度だけ教団で見たことがある。


 一等騎士「晦冥のウリエル」。


(プラターヌ教団最強とも言われる人だわ)


 そして、最後の1人は……雨のように雷を降らせているのは、ミッシェル・オネットだった。


(嘘でしょう⁉︎)


 驚きと、場違いな胸の高鳴り。

  

 ミッシェルは、サラの傷に目を留めると僅かに眉を歪めた。

 その後、はっとするほど真っ直ぐな眼差しをサラに向けて、ふわりと笑顔を見せた。


「お待たせ、お姫様」


 

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