第5話 魂を売った者

 翌日

 

 昨夜の戦いの現場を確認した後、ミッシェルはフルメンの塔周辺を探っていた。

 明るい昼間は瘴気もごく薄く、小さな子どもが駆け回って遊んでいる。至って普通の長閑な広場の風景だ。


「おい、少し話がある」


 ミッシェルが魔障の位置や種類を分析していると、1人の男が声をかけてきた。


 振り返ると、昨夜のチョコプリンの男が、深刻な表情でミッシェルを見ていた。

 陽の光の下で見ると、彫の深い顔立ち、緩やかに波打つ漆黒の髪に、碧い切長の目が印象的な、中々の美形だ。

 

「僕、好きな人いるんで」


 ミッシェルはそう言って作業に戻ろうとした。


「おいっ! お前なんか口説かねーよ。その瓶の事で相談がある」


 男は、目線をミッシェルの右胸に据え、あごをしゃくった。


「瓶って何?」


 ミッシェルは微笑んで首を傾げたが、瞳の奥は笑っていない。


「そう警戒するな。奪い取る気だったら直接訊くかよ」


 男はそう言うと、首にかかった細い鎖を引き上げて、その先にぶら下がる銀細工の紋章を見せた。


「蛇が巻き付いた杖…… プラターヌ教団の証……君、教団の騎士かい⁉︎」


 ミッシェルは、両眉をあげた。


 プラターヌ教団は、医術の神を信仰し、病の研究をしたり、国を越えて病人を治療して回ったりしている宗教医団だ。団員は神職であり医師であることが多い。

 教団員は、どの国でも一目置かれる存在だが、銀の紋章を持つ騎士は、医術、武術に優れたエリート中のエリートと言われる。


「一応な。俺はプラターヌ教団の一等騎士、ウリエル・ラピアーという。そんな訳だから『龍眼の魔道士、ミッシェル・オネット』、話を聞いてくれるか?」


「プラターヌの晦冥かいめい……」


(教団に、双剣を使う凄腕の戦士がいると聞いたことがあるが……この男か)


 ミッシェルが目を見張ると、ウリエルは口の端を上げた。




 数分後、ミッシェルとウリエルは、広場に面したバルのテラス席で向かい合っていた。

 運ばれてきた淹れたてのエスプレッソを、ウリエルはそのまま、ミッシェルは一杯の砂糖を加えてさっと飲み干した。

 ゆっくり息を吐いて、深い香りの余韻を楽しんだ後、2人は本題に入った。


「さてと」


 ミッシェルが、そう言って指でテーブルをトンと鳴らすと、周囲の音が消えた。


「結界か、ありがたい。確かに他に聞かれたくない話だから助かる。それにしても詠唱無しであっさりとは……」


「どうも。それで、瓶が何か?」


「ああ。そいつを、俺に渡して欲しい。対価は払う」


 ウリエルは、テーブルに両肘をついて手を組み、ミッシェルの目を見た。


「うーん。お金は要らないけどさ。何故かを聞かせて欲しい。悪いけど、僕も少し調べたいんだ。理由によっては渡せない」


 ミッシェルの視線に僅かに険が混じる。


「……睨まなくても、ちゃんと言うよ『龍眼・・』さん。あんたに嘘は通用しないからな」


 それを聞いたミッシェルは、黙って片方の眉を持ち上げた。


「さて、あんたの内ポケットにしまわれている、小瓶の中の魔物……そいつは『人だ』。『人だった』と言った方がいいか……」


 ウリエルは低い声で言った。


「どうりで。この魔物、魔力の構成が少し不安定だと思ったんだよね。それで、教団はどう絡んでいるのかな。普通なら、教団が魔物退治に興味を持つとは思えないけれど」


 ミッシェルが尋ねた。


「あの魔物は、教団の元司教が生み出したものだ。男の名はデア。奴は、新薬研究部門の主席研究員でもあった。いや……なにも教団が人を魔物に変える薬を研究していた訳じゃない。どっかのお偉いさんの依頼で『万能薬』を作ろうとしていたんだ」


 ウリエルは淡々と答えた。


「それがどうして?」


 ミッシェルは目を眇めた。


「ある時デアは、非常に効果の高い薬を完成させた。それは、最初は成功かと思われた。瀕死の人間を一気に回復させる奇跡の薬だとね」


「副作用が?」


「ああ。様々な疾病を抱えた20人の被験者は、瞬く間症状が回復した。しかし直ぐに、様々な異常が現れた。身体能力や魔力が急上昇し、何より……人の形を保てなくなった。そして、その変化は、人々の精神に大きな負荷をかけるものだったのだろう。多くは理性を失い……本能のまま、食欲、性欲を満たそうと暴れまわった」


「つまり出来上がったのは……人を魔物に変える薬だったって事だね。で、昨日の魔物は、その時の一人なの?」


 ミッシェルの問いかけに、ウリエルは首を振った。


「被験者の殆どは、間もなく弱って死んだ。生き残った5人のうち2人は、奇跡的に人の心を保っていて、今も教団にいる。そして残り3人は……教団本部を破壊しつくす勢いで暴れ続け、手に負えなくなり……殺された。殺ったのは俺だが」


 ウリエル声は落ち着いていたが、その指先に力がこもったのをミッシェルは見逃さなかった。


「だとすると、今回の件は何?」


「デアが逃げた。奴は研究は大成功だと言って憚らず、研究続行を望んだんだ」


「え、大失敗じゃなくて?」


「ああ。当然、教団は研究継続を認めず、揉めているうちにデアは姿をくらました。そして、そのうち、あちこちで半人半獣の魔物が暴れるという話が時々聞かれるようになったんだ。教団も動いたが、奴も司教にまでなった男。魔術の心得もあるせいか並の騎士では捕らえることは出来なかった。そして遂にこの俺の出番という訳だ。俺の任務は、毒薬の回収、デアの捕縛、そして生み出された魔物の始末だ」


 ウリエルは、話し終えると深いため息をついた。


「そういう事か。分かったよ。この瓶の中にある限り魔物は暴れることは無い。安易に始末しないと誓えるなら君に渡そう」


「教団騎士の名に懸けて」


 その瞳を覗いたミッシェルは、軽く頷くと、錫の小瓶をウリエルに手渡した。


「それでさ。あんた達も魔物による被害を止めたいなら、俺と共闘しないか? 今回の件、これまでと違って、どうやら魔物が意図的に動かされている。デアは本格的に悪魔に魂を売ったのかも知れない。組んだ方が解決が早いと思うんだが?」


「そうだね。考えてみるよ。ただ、他のメンバーの意見も聞かないと」


「俺は夜は大抵あの酒場にいる。何時でも声をかけてくれ」


「分かった」

 

 コン


 ミッシェルがテーブルを叩くと、結界が解け、音が流れ出した。


「それにしても、アレって『金剛のガブリエル』と『銀風のラファエル』だろ。よくそんなの捕まえたな」


 ウリエルは椅子の背にもたれた。


「コネを最大限に利用して呼んだんだよ。彼らと一緒に傭兵団を組めたら面白いなと思って、今誘っているんだよね」


 ミッシェルは笑みを漏らした。


「3人揃って小国一個分位の戦闘力じゃないのか? 一体何がしたいんだよ」


「まぁ、夢は色々あってね。傭兵団と一緒にギルドも設立したい。傭兵と利用者を危なげなく繋ぐ場所にするんだ」


 ミッシェル答えながら、瞳を輝かせた。


「確かに、それは需要があるかもな。お前らが所属していれば、きっと仕事も集まる。そこそこ流行りそうだ」


「でしょ。きっと人もお金も集まる。そうしたら、色々仕事が生まれてさ、ささやかだけれど、人が働く場所を作ることが出来ると思う。そこで、女性とか若い子とか雇えたらいいな、なんてね」


 ミッシェルは、ウリエルから視線を逸らし、僅かな笑みを漏らした。


「成る程。狙いはそっちか。ノブレス・オブリージュってやつ?」


 ウリエルは皮肉っぽい目を向けた。


「そんな格好いいもんじゃないよ。救えなかった女の子への贖罪、というか完全な自己満足かな」


 ミッシェルは首を振った。


「理由はどうあれ、悪くないんじゃないか、それ。施しだけじゃ救えないものが、沢山あるからな。しかし…… 斡旋所やら教会やら、既得権益を侵されて騒ぎそうだな」


「そうなんだよね。魔物よりむしろ、そっちとの戦いの方が厄介かもね」


 ミッシェルはクスリと笑った。


「頑張れよ。まぁ『金』『銀』揃えた時点で、勝ち確な気もするがな」


 ウリエルは愉快そうに口の端を上げた。


「ふふっ、ありがとう。あ、良かったら君も一緒に……っ!」


 会話の途中だったが、ミッシェルは勢いよく広場の方を振り向いた。


 そして、音をたてて勢いよく立ち上がると、何かをめがけて駈け出した。




「サラっ!」


 ミッシェルの呼びかけに、飾り気のない濃紺のシャツ、たっぷりとして裾広がりの黒いスカート、手編みのストールを羽織った女性がびっくりした顔で振り返った。


「サラ……」


 長年探していた。

 そして『龍眼』を得てからも探せ出せずにいた「初恋の君」が目の前にいる。


「ずっと会いたかった」


 万感の想いが溢れる。


「……あの、どちら様ですか?」


 女性は怪訝そうに訊ねた。


「え、あ。ミッシェルです。小さい頃グルナで一緒に遊んだ事があったよね」


 ミッシェルは少し早口になりながら告げた。


「人違いでしょう。私、グルナ国に行った事などありません。ごめんなさい」


 彼女は素っ気なく言うと、人混みに紛れていった。




「おい、どうした。何惚けてる」


「ああ、悪い」


 ウリエルに声をかけられて、ミッシェルはビクリと体を震わせた。


「全く、急に居なくなりやがって。エスプレッソ代、次は奢って返せよ」


「わ、ホントごめん。ちょっと気になる女の子が……」


「で、振られたか」


「……うん。知りあいのはずなんだけれど、知らないって嘘つかれちゃった。昔は好かれていたと思ったんだけどな」


 ミッシェルはサラの消えた方を見つめた。


「時は人を変えるさ。それに、嘘には理由がある。…… それを暴くのは覚悟が要るぞ」


 ウリエルは、ミッシェルと同じ方へ目を向けた。


「そうだよねぇ」


 ミッシェルは、長く息を吐いた。


「龍眼は真偽は分かっても、人の心の内までは分からないんだろう? まぁひとり勝手に落ち込むなよ。どうしても未練があるなら、攻めるしか無いだろ」


 ミッシェルはウリエルに肩を叩かれながら、喧騒の中を歩きだした。


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