第3話 魔物の誘惑

「こ、ここで……かい?」


 男の口からは非難めいたセリフが飛び出したが、その声には喜びが混じり、表情はだらしなく緩んでいる。


「ええ、もう我慢できないわ。貴方が欲しいの、今すぐに」


 耳元にかかる熱い息、甘い声。

 女の手がゆっくり太腿を撫で、内腿を上っていく。

 体中に痺れるような欲望が走り、男は夢中で女の体をまさぐった。

 男の欲望を受け入れた女は、恍惚の表情を浮かべ、形の良いふっくらした唇で男の口を塞ぐ。

 

 うめき声をあげ、溶け合う二人…………いや、溶けているのは男だけか。



∗∗∗



「うへぇ」


 ガブリエルは、思い切り顔を顰めた。


 若い男の死体。

 といっても残っているのは首だけだ。

 体の方は全てを吸い取られたのか、どこにも見当たらず、ベタついた水のようなものだけが残されている。


「綺麗に喰われているな。これで、26人目。ペースが早いようにも思うが……。相手は1人だろうか? 気配は?」


 死体を検分しながら、ラファエルは隣で探索の魔法を使っていたミッシェルに訊ねた。


「……魔物の痕跡は、複数。というかこの辺一帯は酷い。そして、あの塔を中心に魔障が広がっているね」 


 ミッシェルは、閉じていた目を開いた。「龍眼の魔道士」の由来である翠色の瞳は、明るさを増し、虹彩が金色がチカチカと輝いている。


「あそこにバケモンがいるってか?」


 ガブリエルは、街のはずれにそびえる塔を見上げた。


「フルメンの塔は、公国の持ち物のはずだが。なぁ、ミッシェル、今回の依頼は公国関係者からだろう? 塔の住人そのものに問題がありそうだったか?」


 ラファエルは、チラリと横目を向けた。


「話を持ってきたのは、公国法務官府の高官だが、あくまで個人的な依頼だよ。塔の話は出なかった。怪事件があり、国内の巡察隊や教会も動いてはいるが、追い切れないから、独自に調べて人外の場合は退治してほしいってね」


 ミッシェルは、顎をさすって考え込む素振りを見せた。



「……『ヴェールのきみ』ねぇ」


「なんだそいつは?」


 ミッシェルの呟きをひろったガブリエルが訊ねた。


「半年ほど前フルメンの塔のてっぺんに入った囚人のことだよ。その正体を知った者は、死を賜ると噂されている。大公家に繋がる人物ではと言われているんだけれど、謎が多いんだよね。その人物が狙われてるってのが1番あり得るかなぁ」


 ミッシェルは説明した。


「『ヴェールの君』が絡むとしたら……正直深入りしたくないな」


 ラファエルはため息混じりに呟く。


「そうなんだよね。あまり政治的な案件に関わるのは……良くないよね」


 ミッシェルは肩をすくめる。


「でもよ。喰われてる奴がいて、止められる奴いねぇんだろ? もうちょっとだけ調べてみようぜ」


 ガブリエルは、先程死体のあった場所をチラッと見た。


「なんだ、ガブリエル。エンプーサに殺られるなら、本望だろうなんて言ってたのに」


 ラファエルは両腕を組んで眉を上げた。


「だってよぅ。あんな表情で、首だけになってみ……ゾッとする。まだ若えのに……気の毒でよ。これ以上の犠牲は出したくねぇ」


 ガブリエルは眉を寄せた。


「そうだな、せっかく来たんだし、退くのはまだ早いよね」


 ミッシェルは、ガブリエルの肩を軽く叩いて頷いた。

 


∗∗∗



 ミッシェル達は、塔の近くの酒場で夜が更けるのを待っていた。

 

「くぅ、さすがリノールのワイン。この渋みとコクがたまんねぇな」


 ガブリエルは、3杯目のグラスを空にした。


「この土地のブドウの品質が良くて、最高級の赤ワインの産地として有名だものね」


 ミッシェルは、それをニコニコを見ている。


「おい、飲みすぎるなよ。この後戦闘になるかも知れないんだろ?」


 更にお代わりを注文するガブリエルに、ラファエルが注意を促した。


「ワインなんか、水と一緒だろ。こんなんで酔うかよ。お前らのオレンジジュースの方が、どうかしていると思うけどね。どんだけお子様なんだ」


「何を言う。オレンジジュースも名物なんだよ。チーズとも生ハムともちゃんと合うしな」


 ラファエルはそう言って、グリル野菜と一緒に名物のチーズを頬張った。



 3人が、リノール料理を堪能して時間を潰していると。


「こちらをどうぞ」


 ウエイトレスの女性が、ラファエルにカラメルソースのかかったデザートらしきものを差し出した。


「え? これは……」


「ボネですよ」


「ああ、チョコレート風味のプリンだね」


「お前チョコプリンまで頼んだのかよ、本当に中身は、お子ちゃまだな」


「……私は、頼んでいないが」


 ガブリエルの言葉に、ラファエルはブスッと呟いた。


「ああ、すみません……これ、あちらのお客さまからなんです」


 店員は少し離れたVIP席のようなソファを示す。

 そこには、派手な女性を数人侍らせた男がいた。

 ラファエルの視線を感じた男は、片目をつむってニヤッとした。


「……返してくる」


 ラファエルは、プリンを持って立ち上がった。


「おい、ああいうの構わねぇほうがいいぞって……行っちまった。大丈夫か、あいつ」


「なんたって『ラファエル・グレイ』だよ、何とかするさ」


 そう言って2人は、ラファエルの後ろ姿を見送った。



「おい、間違って届いたから返すぞ」


 女を侍らせて、高い酒を次々と開けている男に向けて、ラファエルはチョコプリンを差し出した。


「あんたへのプレゼントだったのに。上品で大人のキスみたいに美味しいプリン……気に入らなかった?」


 そう言って男はラファエルの手に触れた。

「……私は『男』だが?」


 サッと手を引いて、ラファエルは低い声を出した。


「本当に⁉︎ こんなに可愛いのに⁉︎ ……いや、でもあんたとならいける気がする」


「何を」


 思わぬセリフに後退るラファエル。

 それを追うように、男は素早く立ち上がった。

 そして……。

 

ちゅっ


「どう今夜? 俺と試してみない?」


 男はラファエルの頬にキスをすると、耳元で囁いた。


「んがっ! なぁぁぁ」


 声にならない声をあげて、ラファエルが男の顔を狙って拳を突き出した。

 

「わ、危ない」


 男はそれを慌ててかわす。



「ちょっとウル様、浮気はダメよ。今夜は私と過ごすんでしょう?」


「何言ってるのよ。私に熱い夜をくださるって言ったじゃない」


「喧嘩しないで。二人まとめて満足させてやるよ」


「きゃ〜」


「…………」


「あ、あんたも一緒にくる? 4人一緒に楽しむのも良いな」


「きゃ〜」


「…………」


 ラファエルは、チョコレートプリンを押しつけて逃げるようにVIPテーブルを離れた。



「顔色が悪いよ、大丈夫かい」


「ナンパ? 慣れてるだろうに」


 走って戻って来たラファエルに、2人は声をかける。


「あんなの慣れるか。気持ち悪い。なんなんだあいつ」


 悪寒がしたのか、ラファエルは両腕で自分を抱きしめた。


「医者だってさ」


「医者⁉︎」


「腕は良いらしいよ。ヴィアには、3週間位前にやってきたらしい。お金を持ってる商人の所にも出入りして、結構稼いるようだよ」


 ミッシェルは、隣のテーブルから仕入れた情報を伝えた。


「3週間前……。事件の時期と一緒か…… 警戒はしておいた方がいいかも知れない。あいつ、只の医者じゃない」


 ラファエルは、チラッとVIP席を睨んだ。


「何か違和感が?」


 ミッシェルが訊ねた。


「キスされた」


 ラファエルが小声で答えた。


「ぶっ」


 ガブリエルは、ワインを吹いた。


「いや、油断していたとしても、私は一応『ラファエル・グレイ』だ。鼻の骨位折ってやろうと思ったけれど、躱されたし……」


 ラファエルは眉を寄せる。


「成る程ねぇ。ただのエロ医者じゃないって訳か」


 ミッシェルは、VIP席の方を見た、ほんの少し虹彩が揺れていた。




 真夜中になった。

 雲ひとつない空には、明月が浮かんでいる。


「まるで、昼間みてぇだな。こんなんで、魔物は現れるのか?」


 酒場から出ると、ガブリエルが恨めしそうに空を見上げた。


「月光を浴びるのを好む魔物も少なくないさ。美しさをも武器にする奴ならば、姿が映えるもってこいの夜じゃないか。私達のうちの誰かが、魔物に声をかけられれば簡単なんだがな」


 そう言うラファエルは、柔らかい光を受け、月神の如く美貌で微笑む。


「魔物の色香に酔わないってお前の自信がすげーわ。……でもやっぱ3人の中で誰を狙うかっていえば、ミッシェルだよな」


「確かに」


 2人は頷き合って、ミッシェルを見た。


「なんで僕?」


 ミッシェルは首を傾げる。


「なんつーか、普通っぽいっていうか、声かけ易いっつうか」


「正体を知らなきゃ、良いところの坊ちゃん風なんだよ」


「1番チョロそうに見えるってこと?」


 ミッシェルが問いかけると、2人は笑顔で頷いた。




 狙われ易いように、3人が別々に巡回することにして、少したった頃。


「お兄さん、素敵ねぇ。その綺麗な瞳、もっと見せて頂戴」


 艶のある声が、ミッシェルを呼び止めた。

 振り返ると、凍える夜にも関わらず淫らに肌を晒した女が微笑んで手招きをしている。

 女からは、明らかな魔の気配が漂ってきた。


(えっ。やっぱり僕なの⁉︎)


 ミッシェルは、ため息と魔力を隠しつつ、女の方へ歩き出した。

 




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