第2話 塔の上の姫君
ああ、神様。
きっと私は殺される。
母さんのように、ゴミみたいに。
リノール公国の街には大抵「塔」がある。
塔は貴族の権力の象徴。
かつてこの国の後継を巡って、2つの派閥が争った際に、それぞれがより高く美しい塔を建てることを競い合った名残で、リノールは他国に比べて塔の数が遥かに多く、都であるヴィアにもいくつもの塔がそびえている。
そんなヴィアの中でもひときわ高い塔の最上階から、街の灯を見下ろし、フィオレは掌を握りしめた。
『自由』
かつて当たり前にあったそれは、もう二度と手に入らないもののように思える。
狭い部屋にもう半年近く閉じ込められ、フィオレの頭の中は鬱々としていた。
何しろ、半年前に家を何者かに襲われて母は亡くなり、よく分からないまま都に連れて来られたと思ったら、塔に閉じ込められたのだ。
しかも、部屋の外ではしばしば物騒なやりとりの気配があり、フィオレは、自分の命を狙われていると自覚していた。
(私は、あとはただ死を待つだけの人生なのかしら)
フィオレは闇に浮かぶ鏡のような月を見つめていた。
「今日は気温が低い。窓際は冷えますよ」
手に毛布を抱えて、世話係のサラが部屋に入ってきた。
彼女は、そのままフィオレのベッドを整える。
「いっそ、風邪をこじらせて死んでしまえれば良いのに」
ひんやりとした窓を指で触れながら、フィオレは呟いた。
母の最期が忘れられない。
悲鳴、苦痛に喘ぐ声……戸棚に隠れて音しか聞こえなかったけれど、凄惨な死だったことは間違いない。後で見たそれは、人の原型を留めてはいなかった。
あんな死を迎える位ならいっそ……とフィオレは思うのだった。
「そんな事仰らずに、さあ」
彼女は、小さな暖炉の前の椅子にフィオレを誘導した。
「誰も私を必要としていないし、むしろ災いの種になりかねない。毎日のように命は狙われるし、もうウンザリよ。ずっと閉じ込められて……私なんか生きていたってしょうがない。サラ、貴女だって、嫌でしょう? 本当は、早く死んでくれって思っているんじゃないの?」
フィオレは、鋭い口調で言ってくるりと顔を向けた。
「……」
ほんの少し眉を寄せたサラの瞳には、僅かに憂いが滲む。
「……ごめんなさい。本当にダメだ、私は……。貴女にあたっても仕方ないのに」
フィオレは、慌てて目をそらすと、頭を抱えて椅子に座り込んだ。
「……私をここに遣わした方は、貴女の身をそれは案じておられますよ。フィオレ様……寝る前に、カモミールとオレンジフラワーのお茶をお持ちしますね」
サラの問いかけに、フィオレは俯いたまま頷いた。
(もう少しだけ耐えてほしい)
サラは、瞳を翳らせる幼さの残る女の子を見つめた。
昨年まで、片田舎で母親と二人静かに暮らしていた10歳の少女。
それが、母親は殺され、平穏を失ってしまった。
果たして誰の仕業だったのか。
彼女の抱える「秘密」故に狙われたのではないか。
放っておけば殺されてしまうことを恐れたある人物は、彼女を目の届く所に置くことにした。
それが此処、フルメンの塔。
城砦のような塔のてっぺんで、彼女は護られている。
真実を知らされていないフィオレにとっては、確かに、辛い状況かも知れない。
けれど——こんなものはまだ、易しい辛さだともサラは思うのだった。
生きることは楽ではなく、生まれた直後から、生死の際にあり、心身が潰れそうな痛みや苦しみを味わう過酷な状況の子どもは沢山いる。
サラ自身、幼い頃に神に仕えるはず者に暴行されて捨てられて、場末の酒場で働いて、売られて……と散々な人生を歩んできた。
今だって帰る場所もなく、「人」であるかどうかもあやしい。
けれど、どんなに今日までの時を嘆いたとしても、これまでの人生を生き直すことは出来ないし、未来は不確定過ぎて考えても仕方がないものだ。
だからサラは、今を出来るだけ大切に生きようと決めていた。
(こんな事で、人生を諦めて欲しくはないわ)
サラは、今や妹のようにさえ思っている姫君のために薄黄色の液体をティーカップに注いだ。
優しく甘い香りと爽やかな柑橘系の香りが立ち上った。
「どうぞ、お召し上がりください」
サラが、打ち沈む姫君にお茶を差し出すと、彼女の表情はほんのり和らいだ。
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