目をつむってシルブプレ

月並海

本編

 十一時半。私は明日も会社だからと毛布の下に身体を滑り込ませる。

 ルームソックスを脱いだ足は冷たくて、しばらく擦り合わせてやっと冷えが気にならないくらいの温度になる。

「ナオ、もう寝るか?」

 そう問いかけてくるのは、フィギュアサイズの燕尾服の紳士。すっかり専用席になった本棚の一角で本を読んでいた彼は、私がベッドに入ったのに気づいてふわふわとこちらに飛んでくる。

 枕元に着地した彼はその小さな手で私の前髪を梳いた。

 このやり取りも二週間を過ぎればなんだか慣れてきてしまった。照れることもしない自分もこれからの”おまじない”も恥ずかしくなって、私は急いで目を閉じる。

「おやすみナオ」

「うん、おやすみベル」

紳士は梳いていた前髪を払って私の眉間にキスをする。

 一日で溜まった心のもやもやがスーッと吸い取られていく。心地よさに任せて私は意識を手放した。

 毎晩繰り返されるこのおまじないこそが、フィギュアサイズの彼、悪魔・ベルゼブブと私の契約である。


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 私とベルの出会いは言ってしまえば偶然の産物である。

 二週間前、秋も深まってきた頃の私は人生のどん底を這っていた。

 半年かけて準備していたプレゼンコンペはまさかの後輩に敗れ、携わっているプロジェクトではミスをして取引先に平謝り、その上入社した頃から好きだった同僚に告白すれば彼女がいると呆気なく振られる始末だった。

 睡眠不足に目を背けて働いたことと精神的に参ってしまったことで体調を崩した私は、有休をとって実家に帰っていた。両親には溜まっていた有休を消化するため、と言って高校生まで使っていた自分の部屋に転がり込む。

 部屋は季節家電が隅に鎮座していること以外は当時のままだった。家を出たばかりの頃、「あの部屋お母さんの部屋にしちゃえば?」と言った私に母が「菜穂子がいつ帰ってきてもいいようにあのままにしておくわよ」と言った会話が呼び起こされる。そんな何気ない思い出ですら涙が滲むのだから、案外自分は弱っていたと気付かされた。

 感傷ついでに部屋の整理でもしていこう、そう決めた私はもう今ではあらすじすら思い出せない本の整理を始めた。


 昼過ぎから始めた整理は夕方も終わりの頃にようやく半分を過ぎるほどのペースだった。一冊抜いては中身をめくりこの本が必要かどうかを吟味する。それを六段の本棚に隙間なく詰められた本全てに行っているのだから、半日やそっとじゃ終わらない。

 ジョバンニが列車に乗ったあたりで「銀河鉄道の夜」を本棚に戻す。読まないと決めた本は専ら参考書だったり一人暮らしの家に同じものがある本で、本棚は整理前と比べてもさして代わり映えしない。次は、と手に取ったのはおまじないの本だった。

 キラキラ光るピンクの表紙にポップな文字で「あなたもできる!みんなのおまじない」と書かれたそれは、小学生の頃の一時期、友達みんなではまり込んだ本だった。「席替えで好きな子の隣になれるおまじない」とか「テストでいい点数がとれるおまじない」とか、いかにも小学生受けするような内容が所狭しと書かれている。当時の私も例に漏れず、それらのおまじないを友達とも一人でも試していた。叶ったものがあったかどうかも今では忘れてしまったけど。

 パラパラめくっていると気になるものを見つける。

 「嫌な気分を忘れられるおまじない」。

 いつもなら目に留まらないこんな言葉もダメージを蓄積した今の私には魅力的に感じてしまう。

 内容を読み始めれば、必要なものは紙とペンと甘いものの三つだけ。なかなかお手軽なおまじないだし、気休めにもなればいいかなと思ってコピー用紙とお菓子を取りにリビングへと下りた。


 見本と見比べながら即席の魔方陣を定規とコンパスで書いていく。コンパスなんて触ったのは高校入試以来だろうか? 久しぶりの感触に幼心が弾む。嫌な気持ちの原因から半強制的に心を他所に向けさせることこそ、このおまじないの本当の意味なのかもしれない。

 そこそこ複雑だった魔方陣を書き上げて机の中央に置く。魔方陣の中央に手土産で買ってきたショートケーキを置けば完成だ。あとは本に書かれた呪文を読み上げるだけ。

 換気のために少しだけ開けていた窓から急に冷たい風が吹き込んで鳥肌が立つ。おまじないが終わったら温かい珈琲でも入れてケーキを食べよう、そう決めて呪文を読み始める。

「モジェン ゾウジェンモシェジョブ センピ ルルドゥ ジュピン」

 本から顔を上げて魔方陣をじっと見る。もちろん何も起こらない。魔方陣にもケーキにも。部屋を見回しても、相変わらずぎゅうぎゅうに詰まった大きな本棚とその足元に読まないと決めた本が散らばっているだけ。

 いい気分転換になったかも、と珈琲を準備するために立ち上がった。

「おい、オレを呼び出したのに無視かー?」

 一人しかいないはずの部屋に聞いたことのない男の声が響く。

「えっ!?」

 振り返ればそこには、

「七つの大罪のひとつ、暴食を司る大悪魔のベルゼブブ様を呼び出すのに、ケーキ一ピースとは! うむ、しかし、悪くないぞ」

 フィギュアサイズの燕尾服を着た紳士が、同じ大きさのフォークを器用に使って私のショートケーキを食べていたのだ。

「え、は、え? 誰?」

 二の句が継げない私に、彼は尊大に告げる。

「親切に今自己紹介したのだが? オレは、お前が今その魔方陣と呪文とケーキで喚び出し契約した悪魔であるぞ」

「はあ」

随分と気の抜けた返事だなあ! と悪魔は豪快に笑う。いやいや、この状況を信じろって方が難しいでしょう。私もう二十台も半ばですよ? 小学生じゃないんだから、こんなファンタジーみたいなことそんなに簡単に信じられない。

 しかし、何度目をこすっても目の前の悪魔はショートケーキをもりもり食べているし、スマホも通常運転だ。

 一呼吸置くために、先ほどまで呪文を読み上げていたところへ座りなおす。

「悪魔さん」

「おう、ベルでいいぜ」

「ではベルさん、私はあなたとどんな契約を結んだんですか?」

悪魔との契約、と聞いて正直肝を冷やしている。どんな対価でどんな代償が発生しているのか。想像もつかないからこそ、私は始めに確かめておきたかった。

 結果として、私の不安は杞憂に終わった。

 悪魔は苺にかぶりつきながら軽く言ったのだ。

「お前の嫌な気分をオレが食べる、それが契約内容だ。悪魔にとって人間の負の感情はこのケーキと同じスイーツだからな。悪魔のオレは好きなだけ負の感情を食べられる、人間のお前は嫌な気分が消えて無くなる。win-winな関係ってやつだよ」

 あのおまじないの本もあながち間違ったことは言ってなかったらしい。今夜にでも捨ててやろうと思ってたけど、古本屋に売るくらいはしてあげようと思いなおす。

 とにかく破格の代償を取られるわけではないらしい。供えたケーキは前払いということだろうか。彼は着々と食べ進めてそろそろ半分を食べ切ろうとしていた。

「そしたら、早速私の嫌な気分を食べてもらえませんか?」

ここまで来たら、物は試しだ。有名な悪魔の彼がどんな術を使うのかも気になる。

 よしきた、とばかりに悪魔はフォークを置いて立ち上がると手招きをする。

「額をこっちに」

言われた通り、顔を悪魔に近づければ思っていたよりも端正な顔がこちらに歩いてきた。

「名前は?」

「菜穂子です」

「じゃあナオ、おやすみ」

悪魔は額にかかった前髪を払うと私の眉間にキスをした。

 ドキリ、と心臓が大きく音を立てる。それも束の間、頭の中に巣くっていたどす黒い塊が溶けだしていくような感じがした。今まではどんなに叩いてもダイヤモンドみたいに頑なだったのに、今はアルミニウムみたいに低温度で簡単に溶けだした。

 睡魔がじわじわと頭の上からつま先まで侵食していく。でもそれは、夜中に会社でコンプの準備をしていた時の不愉快な眠気ではなく至極当然の安心する眠気だった。

 私は眠気のままに机に突っ伏して瞼を閉じた。


「菜穂子、あんたこんな寒い部屋で居眠りして。ごはんよ、起きなさい」

ここしばらく感じたことのないすっきりとした目覚めで顔を上げれば、外は既に真っ暗だった。

 夕飯の時間を知らせに来た母が文句を言いながらも開きっぱなしだった窓を閉めてくれる。

 寝起きでぼーっとする私に早く来てよ、と声をかけ母がリビングに下りて行った。

 数分後、寝る前のことをようやく思い出した私は急いで部屋を見渡す。突っ伏していた机の上には魔方陣とおまじないの本と食べ終わったケーキの皿だけ。悪魔の姿はどこにもない。

「ナオ、こっちだ」

声のする方を見れば、枕の間からひょこっと顔を出す悪魔がいる。

「気分はどうだ?」

得意げな悪魔の問いかけ。私の答えは一つだ。

「最高だよ。これからよろしくね、ベル」


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 小さな悪魔、ベルとの契約は私に良い効果をもたらした。

 生きていれば大なり小なりストレスが溜まる。それらのストレスをため込んだ結果、私は体調を崩したわけだったが今ではそんな悪循環とも無縁だ。

 どんなに嫌なことがあっても家に帰って寝るときには悪魔がその気分を食べてくれる。翌朝はリセットした清々しい気分で会社に向かう。上司に嫌味を言われたってへっちゃらだ。

「ナオ、最近いい感じだね」

同じ部署の同期とランチをしているときだ。いい感じ?と聞き返すと、

「前は眉間に皴が寄りまくっていて、こわーい顔でくらーい雰囲気だったけど。今は良い感じに肩の力抜けてて雰囲気も明るくなってるんだよね。うちのグループでもナオが可愛くなったって評判だよ」

そんなこと言われてたのか、と驚くが心当たりはあった。最近誰とでもコミュニケーションがうまく取れている。プロジェクトでもミスが無くなっていいアイディアが浮かぶようになった。この前なんて、取引先から名指しで褒められたくらいなのだ。

 うちのグループという言葉に引っ掛かりを感じる。同期の彼女は私がこの前告白して呆気なく振られた彼と同じグループだ。もやもやが心に浮上してくる。早く帰って、ベルに食べてもらわなきゃ。


 部屋に帰れば日常になった「おかえり」の声が聞こえてくる。疲れて帰って誰かの声が聞けるようになったのは、おまじない以外のいいことだ。

「ただいまー、今日はモンブランです!」

「栗のケーキか!今日の気分にぴったりだ」

 玄関から部屋に一直線に向かって、テーブルの上に買い物袋を置く。私が手を洗っている間にベルは買い物袋に身体を突っ込みお目当てのスイーツを探す。彼にぴったりの小さなフォークも用意すればもう準備万端だ。

 彼は少し前からスイーツをねだるようになった。人間界での生活が長くなって人間の食に興味が出たのかな?なんて嬉しくなって、いろんな種類のスイーツを買ってくるのが最近の日課になっている。それでも彼のお気に入りは、喚び出したときに食べたショートケーキだ。

 二人でテレビを見たりしゃべりながら夕飯を食べる。ベルは私のいないときは、本を読んでいるか散歩をしているらしい。人に見つかって驚かれたりしなければいいが。

「今日は駅前でイルミネーションの準備をしているところを眺めてたぞ」

「そろそろそういう時期だね、今度光るところ見にいこっか」

それもいいな、とベルは笑ってキッチンへゴミを捨てに行った。


 今日も冷えるのでさっさと布団に入る。貧乏性のせいでまだエアコンをつけるのは我慢しているけど十二月に入ったら、解禁しちゃおうかな。

「ナオ」

「なあに? ベル」

「最近どうだ?」

父親みたいなことを唐突に聞かれて、少し笑いがこぼれる。最近どうだ?なんて他人から聞かれるの中学生以来かもしれない。

「最近はベルのおかげで毎日いい気分で働けるよ。今日も同期に褒められたばっかりだし」

この前なんてね、と話を続ける私の頭をベルは小さな手で撫でながら聞いている。

「そうか、ならよかった」

いつも通り前髪を払って眉間を晒す。おまじないの合図だ。

「おやすみ、ベル」

「おやすみ、ナオ」

想像よりも小さかった嫌な気分はゆっくりと吸い出されていった。


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 今年も残り一か月になった。私はベルに買っていくスイーツを考えながら会社を出るところだった。

「志水」

懐かしい声に肩が跳ねる。しばらく忘れていた好きだった声の主を振り向く。

「お疲れ様、畑岡君」

笑顔で返事をした私に彼はなんだか気まずそうに言葉を選んでいる様子だった。何か用?という意味を込めて首を傾げれば、意を決したように彼が口を開く。

「明日、会社終わったら飲みに行かね?」

次の瞬間、ときめきではない、むしろ嫌な予感がして心拍数が跳ね上がった。胸騒ぎがする。早く帰らなければいけない、と頭に警鐘が鳴っている。

 真剣な表情で返事を待つ畑岡君にとりあえず了承の回答をして帰路を急いだ。


「ベル! いる!?」

いつもは靴箱にしまうヒールを脱ぎ捨てて部屋に一直線に走る。いつもは帰って来る「お帰り」がないのも不安を加速させた。

「よう、ナオ。早かったな」

 ベルはいつものように本棚ではなく、窓際に座っていた。その体は暗くなった夕暮れに夕日を纏っているみたいにキラキラ輝いていた。

「ベル……? 何その光……」

 いつものようにベルは息の上がった私を落ち着かせて、私にわかるように説明してくれると思ってた。なのに、今のベルはほほ笑むだけで何も言ってくれない。

「ベル、」

「なあナオ、そろそろ契約は終わりみたいだ」

契約は終わり、その言葉に心拍数がどんどん上がっていく。明らかにいつもの10倍は動く心臓が痛い。

「終わりって、なんで、」

「多分ナオの一番のストレスの原因が消化されたからじゃねえかなあ」

心当たりが頭に浮かぶ。でも、そんなの、ベルがここに来てからずっと忘れてたのに。

「ナオ、こっちおいで」

最初におまじないをしてくれた時と同じように、ベルは手招きをして私を呼ぶ。

 手に持ったままだったカバンを床に落としてベルの前に駆け寄った。

 窓の縁に座ったベルと目線を合わせるために膝立ちになる。

「そんな顔すんなよ、寂しくなるだろ」

そう言ってベルは燕尾服の袖で私の目尻を拭う。拭ったそばからあふれてくる涙のせいでベルの燕尾服がびしょぬれになってしまいそうだ。

「寂しくなるって、ベルは寂しくないわけ?」

私の問いにベルは少し思案して答える。

「寂しくないわけじゃないけどさ、またナオの容量がオーバーしたら喚んでくれよ。オレはいつでも待ってるから」

 ベルを包む夕日色の光が量と輝きを増していく。お別れは近いらしい。

「ねえベル」

「ん?」

「最後にさ、目閉じて?」

ベルは何も聞かずにん、と言って目を閉じた。

 私は消えそうなベルの頭と背中にそうっと手を回す。

「またね、ベル」

ベルの額にキスをする。髪の毛の温度のないさらさらした感触と額の温かいすべすべの感触が唇に残った。

「またな、ナオ」

目を開けると、目の前には濃紺の夜だけが広がっている。まるで今さっきまでそこにいた彼は幻だったみたいだ。

「ありがとう、私のかみさま」

 呟いた言葉は夜に吸い込まれていった。お別れじゃない、背中を押してくれる人が少しの間だけいなくなるだけ。私は一人で歩ける。

 そうして私のかみさまとの日々は終わりを告げた。


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次の日の終業後、私は畑岡君と待ち合わせして居酒屋に向かった。

 彼とこうやって二人でお酒を飲むのは本当に久しぶりだ。告白する前に何度か行ったときは緊張のあまり、ドギマギしていたのを思い出す。今日の私たちはあの頃と正反対だ。

 注文にしどろもどろになる彼の代わりに、私は生ビール二つと適当なおつまみを頼んだ。

「いやあ、志水とこうやって飲むのもめっちゃ久しぶりだなあ!」

騒がしい居酒屋の中で、一際大きな畑岡君の声。彼はこんなに声を張り上げたことなかったなあ、と誰かと比較している自分にくすりと笑う。二人で世間話をしていれば、ほどなくしてビールが届いた。

「じゃあ乾杯」

グラスのぶつかる子気味いい音がする。これまた久しぶりのビールは美味しい。

「そういえば」

私は彼に聞かなきゃいけないことがある。酔っぱらう前に聞いておかなければならない。

「彼女さんとはどうなの?」

ギクリ、という言葉がとてもよく似合う顔を浮かべる。手に持ったビールの残りを一気に煽ると

「いやさあ、最近別れて……」

なるほど今日は別れた彼女の愚痴を言いたかったのか、と得心がいく。

「聞いてくれよ志水! 彼女さ、初めは明るくて優しくて仕事もできるいい女だったんだよ! 俺もそういう彼女を好きになって付き合い始めたのにさ、いざ彼氏彼女になったら束縛はするし仕事が忙しくなると途端にピリピリするし。ほんと詐欺にあったみたいで、我慢できなくてさー! ついに一昨日に俺から振っちゃったわ」

 アルコールという潤滑油を得た彼の口はよく回る。

 付き合った後の彼女さんのイメージがそのままベルに出会う前の私と一致していて、ああ私こういう風に彼から思われていたんだなあと、体温に反して冷めていく頭で考える。

 彼女と別れた日と私を飲みに誘った日があんまりに近すぎて、思わず苦笑が漏れてしまった。

 一通り愚痴を吐き出して人心地着いたのか、口を閉じた彼は店員さんを呼び追加のビール1つを注文した。

「そっかあ、まあでも次はきっといい人見つかるよ」

目が座った彼から目をそらしつつ、私はだし巻き卵を口に入れる。美味しい。

 畑岡君は今までの勢いはどこへやら、口をもごつかせている。

「なあ志水、俺たちさ、」

「畑岡君」

先に声を出した彼が口ごもる。笑顔で話を始めた私が優勢のようだ。

「私酔っちゃったから帰るね、お会計これで足りるかな」


 五千円札を一枚置いて私は居酒屋を後にした。今の私には痛い出費だけど、長年の片想いに対する未練を断ち切れたんだから安いものだ。

 私が遮った畑岡君の言葉はなんとなく想像がつく。やはり、面と向かって振られるのはつらい。私の辛さを彼にも同じように味合わせたくないと思ったのは、惚れた弱みと呼んでいいのだろうか?

 いいや、彼には嫌な気分を消してくれるかみさまがいないから、私は可哀想に思っているんだろう。ようやく酔いが回ってきた頭でそう決める。

 居酒屋では塩辛いものばかり食べていたから、甘いものが食べたいな。

 そうだ、駅前のスーパーでショートケーキを買って帰ろう。帰り道にはイルミネーションを見よう。  

 スキップでもしそうな足取りで私は駅へと向かった。

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