20

それなりに時が経ったおかげで、今まで時間がかかっていた長距離間の移動は、凄く短縮された。

交通機関の成長は、技術進歩の証だろう。

そんな俺が今、電車で向かっている先は例の場所。以前行った時は徒歩メインだったせいで五時間くらいかかったが、今は交通機関が整ったおかげもあり、二時間程度で目的地周辺まで一気にたどり着くことができた。

ここに来るのは…、あの日以来かぁ……。

ここに設置されている信号機はいつの間にか新品に替えられていて、気分は浦島太郎だ。

「ほんと…、懐かしいなぁ。六角公園は…」

俺が死ぬはずだった場所に今、立っている。

みくとの、運命を超えた物語の始まりと終わりの地。

何故俺がここに再び訪れたのかというと、ある人物に会えるかもしれないと思ったからだ。

…少し訂正。人ではない…、かな。

そんな曖昧な存在に会いに来た理由は一つ。

研究者として知りたいことがあったから他ならない。

ただ、その者に会えるかどうかは全く分からないのだが…。

そういえば、我が母校の琴城小学校は、その姿を再び見せることはなくなったようだ。

完璧に取り壊され、今は更地。僅かにショベルカーなど取り壊しに使った重機が残っているが、撤退も時間の問題だろう。

…俺とみくが通っていた教室はもうなくなってしまった。

黒板に残した俺とみくの名前も…。

名前も……。

………。

……。

なんであの時、みくの名前が黒板に残ってたんだ…?

そもそもみくが残した置手紙もそうだ。

全ての人の記憶からなくなってしまったみくの存在と一緒に、この世からみくに関するあらゆる物が消えていったはずだ。

例えば、夢籐がみくについて調べた資料とか、夏祭りの時にみくが着ていた浴衣とかもそうだ。

みくがどんなカタチでも関与したものは、すべからず消滅するはずなのに…。

この指輪も…、例外じゃないはず……ッ!?

「待て待て待て待て…。今あるカードを整理するんだ…」

みくは、俺を庇って死んでしまった。

そしてこの世からみくの痕跡の一切が消え去った。

なのに…、『黒板の名前』と『置手紙』、『玩具の婚約指輪』。

この三つはみくが消える寸前も、消えた後も残っている。

特に『置手紙』と『玩具の結婚指輪』の二つは今も尚残っている…。

それに俺だけ、みくを思い出せた。この『玩具の結婚指輪』のおかげで。

…なんでだ?


「その顔…。貴様か」


どこか聞き覚えのある口調のする方へ顔を向けると、そこには小さな子犬のような小動物が俺の顔を見ていた。

確かに…、目が合っている。けど…、今言葉を発したよな? まさかこんな小動物が?

「…腑抜けた顔を。相変わらずだな貴様は」

「……。えええぇぇぇぇぇぇぇ!?」

子犬のようで、アリクイのような生き物が人の言葉を……?

いや、俺が会いに来たヤツの本当の姿を俺は見たことがないんだ。前回会った時はみくの体を使って話していたのだから。

「お前が…、獏なのか?」

「それ以外に何がある? わざわざ不要な疑問を口にするな」

上から目線な態度も相変わらずだが、俺がこいつに聞きたいことはそこじゃない。

しかし…、本当に会いに来るとは。賭け以上の博打だったのだが、こいつの方から姿を現すということに何かあるのではないかと勘繰ってしまう。

「お前の力…、詳しく教えてくれないか?」

「我の力なんぞ知ってどうする。貴様の女を生き返らせろと?」

「そうじゃない。…けど、俺は知らないといけないはずだろ!?」

「……」

しばらくだんまりを決め込んでいた獏は、おもむろに口を開く。

「いいだろう…。だが全ては話せん。そういう契約があるからな」

「分かった。頼む…」

「ふん…」


みくが俺を助けるために身代わりになり、そして獏の力を得た。

心身の疲労などがあったにも関わらず、十一年俺を守ってくれていた。

――今、その裏側が分かるのだ――


「我は『夢を司る』…、いわゆる神だ。だが大した力は持っていない。精々貴様の魂を冥界に行かないように夢に閉じ込めるだけだ」

「……」

『夢を司る』…。神様…。魂を閉じ込める…。

「貴様の女は、貴様の魂を閉じ込めた夢を守護する役目を引き受けた。それがどんなに過酷な役目か幼子の時は知らんかっただろうが、お前に再び現で会う日まで守護してみせた。あの夢が白かった理由は、女の精神にかかる負荷を和らげるためだ。そしてこの街が舞台だった理由は、貴様らの関係が最も深い場所だったからだろう。あの女も我も意識的に映せないからな」

だから『白い街』だったのか。

…だから……ッ!? 夢の中で琴城小学校に入れたのか……ッ!

…もしかして。黒板にみくの名前が残っていたのって……。

「貴様も思っていたほど愚者ではなさそうだな。…そうだ。あの女の名前が残っていた理由はそれだ。夢の中で書いたからだ。だがこれは我の力ではない。……あまり好きではないが、これは一重に『想いの丈』というやつだろう」

なんの偶然か。夢の中の出来事が現実に反映されていたなんて…。

みくはこれが分かっていて、あえて書いていたのか?

真相は分からないが、謎は一つ解けた。

「あぁ。それと貴様を死から蘇らした代償は、女の魂半分と、我の魂の半分だ」

「魂を……、半分…?」

「人一人の魂では、人一人の魂の代替に限界があるのだ。だから貴様と死ぬまで夢で守護するつもりでいたあの女は、魂の半分を我に使わせた」

みくがそこまで覚悟していてくれていたのか…。

ずっと一緒にいたいと思って、ずっと一緒の人生を歩んで…。

「な、なんで…、お前は自分の魂の半分を俺に?」

「愚問。理由は一つだ。あの女の心が、目が、貴様を助けることしかなかったからだ。その美しさに心を打たれ、我もどこか救われた。それに……」


「わ~~~~い!」


……………ん?

今……。

女の子の声が聞こえて…?

今の今まで獏の話に聞き入っていたせいか、人の気配に気付かなかった。

それに……、聞こえてきた女の子は既に公園横の信号を渡っていて……。


――トラックが差し掛かっていた――


「………………」

目の前で起きている光景は、まるでスローモーションでも見ているかのように映る。

脳内では甲高い耳鳴りのような音が制し、思考を遮るどころか周囲の音が入ってこない。

ただ直感で、「あの子はトラックに轢かれて死んでしまう」とだけ思ってしまう。

…。

……。

思ってしまう。じゃ……、ないだろ……。

俺の目の前で、女の子が死んでしまうかもしれないんだぞ?

見ず知らずとはいえ、未来ある女の子が。

そんなこと……。

見て見るふりなんて……、できるはずがねぇだろぉぉぉぉぉ!?

そう覚悟を決めるより早くに足が動いており、女の子の背後まで追いついていた。

差し迫るトラックに、目の前の女の子。

偶然にもあの日の光景が蘇る。

あぁ…。そうだ。全くと言っていいほど同じだ。

であるなら、絶対に助けなければ。

きっと、みくだってそうするはずなんだ。

……それに、みくに会えるのなら……。


「そんなこと…、私は望まないよ?」


耳元で誰かの囁き声が聞こえる。

初めて聞く声なんかじゃなく、ずっと昔に聞いたことのある声。

俺がずっと聞いていたかった声。ずっと一緒にいたいと思った人の声。

その声が聞こえた直後、背中を軽く押される感覚と共に、先行する女の子を抱えながら対岸の歩道へと倒れ込む。

そして…、トラックはまるで何もなかったかのように走り去り、無音が響き渡る。

無音が…、響き渡る…。

「なっ………………」

丁度、横断歩道の真ん中。

そこに一筋の涙を流す女性が、無理に笑顔を浮かべて佇んでいる。

そして小さく手を振ると、女性は消えてしまい、代わりに獏がその場に姿を現す。

一連の光景に…、激しい悲しみ、後悔を含む様々な感情が渦巻き、今まで流したことのない量の涙が流れ落ちる。

「み、みく…。また…、そうやって俺を助けてくれるんだよな…。何度も、何度も…」

俺はずっと…、みくに助けられてばっかりなんだよなぁ…。

十一年前も。十一年間も。そして今も。

「残念だが…、これが最後だ。…ここに契約は成された。精々達者で生きることだ」

「お…、お前……ッ!? なんでお前も消えそうなんだよ!?」

最早立つことのできない状態の獏は倒れ込み、体の透過が始まっていた。

息も絶え絶え。虚ろな目は焦点が合っていないよう。

「これが『消滅』か…。よくもあの女は笑顔で逝けたもの…、だ。やはり…、我の契約者に値する…」

「何言って…」

「南みくとの契約。それは…、残る我の魂と…、引き換えに貴様を救うことだ…」

「なっ…、なんだよそれ…ッ!」

みくは死んでも尚、俺を救うことだけを考えていたのか? 獏にまで手を回して。

言葉にならない。言葉に…、できない。

ただ涙を流すことしか…、できない。

情けなく。惨めに。男らしさなんてものもなく、ただ子供のように。

「それが南みくの答えだ。我は気に入らんが…、南みくがそう望むのなら、我は南みくに従う。それが契約であり、我の望みだ」

「だからって、こんな…」

「甘ったれるな!! 貴様にあの女が抱える、希望の代償の『苦痛』が分かるのか!? 死よりも万倍、苦しみが襲い掛かる中、貴様の前で笑顔で逝ったのだぞ!? 四肢を引き裂かれ、殴られ、焼かれる。この世の苦痛の全てを受けても尚だ! その上で生かされた貴様は何を望む!? 『やっぱり助けるな』か!? 『俺なんて見捨てろ』か!? 貴様如きの杓子定規で測るな…。南みくを愛しているなら一層そうだ!」

憤怒の感情をぶちまける獏も、その苦痛からか身動き一つできない。

できないはずなのだが、体を引きずりながら俺の方へと向かって来る。

その姿に引き寄せられるように、獏の元まで俺の足は勝手に歩み始める。

そして、小さなその体を両手で持ち上げる。

「…わりぃ。俺がこんなんじゃあ、お前もみくも浮かばれないよな…」

「我のことを数に入れるな。…言ったであろう。貴様の為では…、ないと」

「あぁ…。そうだったな…」

これ以上涙を流すまいと空を見上げると、両手で抱えていた重みが無くなる。

……わざわざ目をやる必要もない。

ただ、感謝だけは忘れない。

獏にも、みくにも。

二人がいたから生きてこれたし、生きていける。

それに死んでみくに会おうにも、みくがきっとそれを望まないだろうし、会ってもくれないだろう。

そういうところは、頑固だから。

だから…、目標を立てよう。

みくにとって恥じない、自慢のできる人間であれるように。

みくが繋いでくれたこの命を…………、意味あるものに……!


これが俺とみくとの、運命を超えた物語の最終章。

もう二度と…、会うことはなかった…。

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