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俺こと四ノ宮皇輝は、なんの運命の巡り合わせか夢籐の助手として研究室に住み込んでいた。
今は大学院生。さほど夢籐の研究に興味があったわけではないのだが、なぜか夢については興味があった。
ちなみに夢籐が俺を助手として採用した理由は…。
『言い出しっぺの俺が言うのもあれだけど、なんで俺を助手に? 他に優秀なやつとかいただろうに』
『答えは簡単。君の淹れるコーヒーが美味しいからだね』
『たったそれだけかよ』
『いんや。それからってこと』
とは言いつつも、コーヒーを淹れる係などではなく、ちゃんと雑用も押し付けてくれている。面倒見がいいというか、大雑把というか。
そんな夢籐は校長先生に呼び出され、今は研究室にいない。原因は先程のポカ。
俺はその後片付けに邁進していた。
夢籐の使うデスクの上には、研究資料である紙の束や文献が大量に積み重ねておいてあり、それぞれをファイルに綴じ直したり本棚に直したりもついでにしていた。
散らかった資料たちで、足の踏み場のないような床の掃除もしておいく。
まぁすることが尽きないといった点においては、充実した学生生活を送っていると言えるだろう。
まったく、一室の片付けもできなければ婿に行けないぞ……。
「痛っ!?」
反射的に持っていた資料たちを落としてしまう。
なんと、紙で指を切っていた。
はぁ…。紙で指を切るなんていつ以来か。なんてしている場合じゃない。
資料たちに血がついてしまう。そうなれば夢籐が五月蝿い。
紙で切ったのは左手の薬指の付け根の方。ちょっと深かったか、そこそこ血が溢れ出てくる。
とりあえず絆創膏でも貼っておくか……。
薬指をくるっと一周するように貼る。ちょっときつく貼りすぎたか?
それにしても変なところを切ったな……。
ん? この左手の薬指が締まる感覚…、どこかで?
「あぁ~~あ。怒りすぎだよあの人…。ほんのちょ~っとのポカなのに」
全く反省の色を見せない夢籐が、疲れたと言わんばかりに体を伸ばしながら戻ってきた。
「あ、皇輝君。コーヒー淹れて~」
「その前に片づけを手伝ってくれませんかね?」
「みんなピリピリしてるね~。皇輝君も校長も男なのにあの日?」
無神経に人を逆なでするような発言にはもう慣れてしまった。人間、慣れが一番怖い。
結局、ほとんど俺が掃除したりして研究室の安寧をもたらしてやった。
俺には休憩などなく、特別な技術を使わずにいつも通りコーヒーを淹れて夢籐に手渡す。
「おぉ~。助かるよ。さすが助手君」
「褒めても何も出ないぞ」
「あたりが厳しいね。…あ、これも棚に直しておいてもらえると、お兄さん助かるな~」
「…はいはい」
手渡されたのは一冊の文献書籍。
誰が読んだのか知らないが、少し扱いが雑ではないか? ページの端とか少し折れているし。
こういうのは大切に扱わないとだろ…? 全く…。
夢籐ほどの凄腕研究者の助手ともなると、研究資料の大事さがよく分かるってもんだ。
指で押し伸ばしながら、何についての本なのか表紙を見てみる。
タイトルは…、『命と夢の世界 ―運命は夢の中にあるのか―』
これ…どこかで見た気が…?
「一体誰がこんなもの、図書館から持って来たんだろうね? 君かい?」
「いや…。俺じゃないけど…」
それでもこの拭えない不快感…、いや、不快感なんかじゃない。
不思議な感じ? もうよく分からない。
「そう言えば…。その本には『白い夢』について書かれているページがあった気がするなぁ」
「なんだそりゃ?」
「いつか君が血眼になって調べていたのに…? あれは何だったんだい?」
「実は俺も分からねぇんだよな…。ちょくちょくその話になるけど、なんであんな必死だったのか。何か忘れちゃいけないことがあったはずなんだけど……」
大学二年の時、俺は何か壮絶な経験をした…、気はするのだが、如何せん何も覚えていない。
忘れてはいけない何か。それが原因で俺は夢籐の下に来たことは覚えている。
それにしても…、夢籐の言っている『白い夢』ってなんだ?
夢の中が真っ白ってことか? そんなまさか。
「そもそも白い夢なんてあるのか?」
「断定はできないが…、恐らくある。初めて聞く内容でもないしね。それとここに夢を映像化したデータがあるんだけど、ファイル名に君の名前が付いているのが一つあって、その中に君の夢が二件ほど記録されている。なんだけど…、どっちも何も映ってないんだよね。ファイルはあるのに。映像として残せないから『白い夢』なのか…、はっきりとした見解は一切ないんだけど…、それか君が『白い夢』を見ていたと思っていたんだけど違うのかい?」
「ん? んんん? 俺が見ていたのか?」
「そうだと思うんだけど…。だから君は調べていたんだと思うよ? 『白い夢』について。…え? 覚えてないの?」
はっきり言って覚えていない。でも、なんとなくそんな気もしないでも………。
「ここに残ってるってことは…、俺があのユメユメ映像化マシーンに入ったってことだよな?」
「まぁそうなるね。調べていない夢のファイルだけ置いておくなんてしないし」
ユメユメ映像化マシーン。ネーミングセンスの欠片もない夢籐だけが持つ最高傑作に、俺は整備後の試運転程度でしか使ったことがないし、その時の夢は映像化していない。
無論、俺のファイルなんて作る理由がない。
「この異様なモヤモヤはなんだ…?」
先程からずっと、俺の心にモヤがかかっている。取れそうで取れない何かが。
後一つくらいピースがあれば分かるかも…?
「何か覚えてないか? 俺がその夢について調べてた時の何か!」
「君自身が覚えてない事を僕がね~。…あっ。そう言えばあの時、君はどこに行っていたんだい?」
「あの時?」
「僕の授業をすっぽかしてどこか遠い街に行ってたよね? その時くらいに君が『白い夢』について…………」
…。
……。
―○○が好きだって気持ちを絶対に忘れない!―
遠い日の記憶…。
最早、年単位。物事を忘れていてもおかしくない時間が経ってしまった。
人の名前も、何があったのかも覚えていない。
だけど、左手の薬指の付け根。今は絆創膏がそこにいるが、本来ならそこには別の何かがあった気がする。
……………………それだけじゃない!
俺には好きな人が一人だけいた。一生に一人だけ。
その人を俺は…、あの人のことを………ッ!
「なんで…。忘れちまうかなぁ? 顔も、名前も、何もかも…。それにこんな悲しいのは…?」
溢れる涙が止まらない。俺は滅多に号泣しないはずなのだが…、いつかこんなに泣いた記憶だけある。
「だ、大丈夫かい!? いきなり泣くなんて君らしくない…」
「わりぃ…。でも…思い出せそうなんだ。忘れちゃいけない人を」
「…なら一度帰るといい。ここより思い出せる何かがあるだろうし。今日はこれ以上研究を進める気はないからね」
「あぁ、助かる。迷惑かけるな」
「気にすることないさ。君は手のかかる弟みたいなものだからね」
無駄に気遣いのできる夢籐の好意に甘え、帰宅することに。
前回帰った時から二日ほどしか経っていないのだが、第二の実家は結構恋しい存在だと思う。二日しか経っていないので、さほど郵便物も届いていないのだが、大学からの書類など大事なものも多いので目を通しておかなければ。
二日でこれか…。一週間くらい空けないといけなくなると、郵便物諸々どうなるんだろうか?
…二日。
……二日?
二日で何かあったのか? 俺が忘れちゃいけないことは、二日の内容?
…。
……。
違う。違う違う違う違う!
十一だ。十一年…ッ!
まだ何か思い出すカギがあるはずだ。
俺はなにかと大切なものはちゃんと保管する人間。だとすれば、家の保管場所をあたれば若しくは…。
心当たりのある個所を全て、くまなく探してみる。まるで強盗でもしているかのようにそこら中に散らかしながら。
この棚でもない…。
この引き出しでもない…。
この段ボール箱でもない…。
この…、本棚でも………?
「なんだ? この封筒…? 宛名も何も…」
本と本の間。そこに見たことがない…、宛先のない茶色の封筒が挟まっている。
こんな所に置いておくのは不自然過ぎないか? 物持ちがいいにしろ、管理に問題があるだろ。
いつの日の自分に飽きれながら、封筒を開ける。
中には一通の便箋。そこには短くこう書かれていた。
『黙っていてごめんね。
でも、すぐに忘れるから。許さなくていいよ。
さようなら』
「なんで…。名前…、書いてないんだよ………ッ!」
たった三行。この三行に計り知れない悲しみと辛さが籠っているのが分かる。
その証拠に便箋が濡れて、乾いて、しわよっている。
「あぁぁ…。悲しいこの感情はなんだ? 止まらない涙は、なんなんだよ…」
便箋を抱きしめる手は小刻みに震え、目からは涙が止まらない。
その時、一緒に抱きしめていた封筒の中から小さい何かが床に落ち、クルクル回ってから静止する。
その正体は、研究室で絆創膏を巻いた時から感じていた違和感そのもの。
そう…、指輪だ。
プラスチックでできた、お菓子のおまけみたいな黄色の指輪。
その小ささたるや、俺の指に通すことは適わない。
そんなただの玩具。なんの仕掛けも仕組みのない。
なのに…。拾い上げた瞬間、これが誰のものか。誰が誰にあげたものか。
全部…、全部……………………ッ!?
「思い出したよ……………………。ああああああぁぁぁぁぁっ! ごめん…ッ! ごめん…ッ!! 俺は忘れないって約束したのに……ッ! 一緒に過ごした記憶も、好きだって感情も! ごめん……、ごめんな………。みく……………」
そうだ。この手紙も、指輪も。
二日も、十一年も、白い夢も、…俺が今も生きられていることも全て!
惚れたみくがいたから…。愛してくれたみくのおかげで…。
忘れてはいけない彼女の存在を、今やっと思い出せた。
大学内で窓越しに目が合ったこと。
食堂で話したこと。
帰りにカフェに行ったこと。
翌日、一緒に昼食を食べたこと。
その後、夏祭りに行ったこと。
俺がみくに当たってしまったこと。
それが…、この世に存在としていられる最後の日だったこと。
みくを追いかけ、故郷たる小学校もとい、事故現場に行ったこと。
みくの最期まで、寄り添ったこと…。
忘れないと言ったのにこの有り様。不甲斐ない様。
今日という日は、何度も何度もいるはずのないみくに謝りながら、泣き通して終わった。
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