10

心臓の鼓動は頂点を超えて、限界突破している。

今までこんなに速い鼓動は聞いたことがない。それに、呼吸もしづらい。

「好き」の二文字を口に出す前は勢いでなんともなかったが、改めて自分の耳で聞き取るとかなり恥ずかしい。

あぁ…、ヤバい。込み上げてくる恥の感情で余計に鼓動が速まっているし、体温も上がっているような…、気もする。

告白って言った側はもちろんだが、言われた側も恥ずかしいものなのか? 知識が小説しかない俺にはピンとこない。

もしかしたら、みくも俺と同じ感じ……、ではなかった。

花火を見ていた時の比ではない涙を流していた。

そしてそのまま膝から崩れ落ちる。

「えっ…、ちょっ……!」

完全に倒れる前になんとか滑り込み、みくの体を支える。体中の全ての力が一気に抜け、人形のように俺の方に体を預けてくるみく。

びっくりするほど涙を流しており、嗚咽も先程までと違っている。

それが意味するものって……。

「ご、ごめん…。口走った。俺なんかが、会って二日とかなのに……」

「違うの…。そ、そんなのじゃない、の……。私、今すっごい……、幸せだなぁって」

持っていたハンカチで涙を拭きとるが、尚もとどまることを知らない。

どうやら俺が告白したことが嫌で泣いているわけではないらしいのだが、それにしては悲壮感の漂う泣き方で、ちょっと心配になる。

泣き続けるみくの背をさすっていると、妹でもできたような不思議な感覚を覚えるが、今はそれどころじゃない。

しばらくして落ち着きを取り戻したみくは深呼吸を一つし、真剣な目で俺を見つめる。そしてゆっくりと口を開き、言葉を紡ぐ。

「私じゃあ…、ダメだよ。皇輝君と釣り合わないよ」

「な、何を言って……。それは俺の方だと思う! こんな冴えない顔に、人との関わりを好まない俺だよ? そんな…」

「そういうことじゃなくて…。私といたら皇輝君が不幸になるの」

「う、占いとか?」

「ううん。違う。信じてもらえないと思うけど…」

「信じない。現在進行形で俺は幸せだから」

「私もだよ。でもそれは、皇輝君の何十年も生きる人生の中のほんの数分の幸福。ないに等しいし、なくてもよかったもの。だから………、その気持ちは忘れて欲しい」

分からない。みくが何を言っているのか。

なくてもよかった幸せ? この二日間も? それじゃあ一体なんの二日間だったのか。

俺が今まで以上に他人と関わって、あまつさえ好きになってしまった。好きだと気付いた。

初めてのカフェに女の子と行ったこと。

俺には一時期の記憶がないと打ち明けたこと。

一緒に昼を食べて、食欲の底知れなさを知ったこと。

浴衣を着て、こうして祭りに来たこと。

その全部がなくて良かったこと?

みくに対するこの気持ちはちょっとした気まぐれで、忘れろと言われて忘れられるもの?

そんなわけ……………、ないだろ。

俺はみくの勢いに乗せられて、可愛い顔や仕草だけで惚れたんじゃない。

わざとおどけた話し方や口調を使い、それでいて他人に気を使えるところ。

他人の目を気にせず自分をちゃんと持っていて、俺の話なんかにちゃんと目を見て聞いてくれるところ。

こんな俺を信用してくれるようなところや、日々の疲れを忘れさせてくれる時間や、唯一素直になれる相手になってくれたこと。

挙げたらきりがない。本当に濃い二日間だった。それをこれからも「みく」と、作っていきたい。

そう……、思っていたのだが。

それは俺だけが理想としていたこと。みくは、そうは思っていないらしい。

俺の元に現れるのは、みくに対する怒りや疑問なんかより、虚無感、脱力感の方だった。

そもそもみくが誰を好きで、なんで俺と関わるかなど一度も聞いたことがない。

その上、俺は今以上の関係を結ぶことを恐れている自分がいることを知っている。

好きを伝えただけ。それ以上は言葉にできないでいた。そんな俺に何かを望むのは、強欲というものか。

……みくの言う通りなのかもしれない。

俺が関係を望んでいないのはきっと、俺の気付いていない心のどっかに無駄な時間と捉えてしまっている。若しくは……、「本当の意味で好きではない」の二つだろう。

はー…。なんだかなー。

もう何もかもがどうでもよく感じる。心の大炎が冷めてしまった感覚。

これではっきりした。所詮、この程度なんだと。

届かない気持ちと分かった途端の自暴自棄…。

救いようのない餓鬼だ。俺は…。

「ごめんね……。私は本当は皇輝君と関わっちゃダメなのに、こんなに連れまして、付き合わせて。それにこんな言い方しかできなくて。私の私利私欲に皇輝君を巻き込んで。…失望だよね。その気にもさせといて…。でも私は………ッ!」

「もう…、いい。………ごめん。一人で帰ってくれない?」

なんで…。なんでこんな突き放したような言い方しかできない?

何か続けて言おうとしてたのに、それを遮ってまで…。

最早気持ちがぐちゃぐちゃで、口からでる言葉は俺の意思なく勝手に発せられている。

「あっ……。うん。分かった……。それじゃあ……」

みくも「またね」と続けることはなかった。

その代わり、みくはずっと小さな声で謝りながらその場から去って行った。


「情けねーよな…。これが失恋ってやつか…? だからって、………なんで、あんな傷つけるような言い方しかできなかったんだよ! なんで…、なんで……!!」

手すりを強く殴りつけるも、痛みなど全く感じない。

最早、自分の意思では止まることはできない。何度も、何度も、何度も、何度も殴りつける。

「この……、クソバカ野郎がッッ!!」

思いっきり振り上げた血が出ている右手は、再び手すりを殴りつけることはなかった。

「花火終わっちゃったか~。せっかくここ、貸し切りでおさえたのにな~」

間延びしたような話し方、それにこの声は…。

「血が出ちゃってるよ? 大丈夫?」

なぜ夢籐がここにいる? しかも…、見計らったようなタイミングで俺の右腕を掴んで。

「おやおや~? 驚いてる? なんで僕がここに? って顔してるね」

「いいから離せよ」

「ピリピリしない。僕も本当は、君の目の前に現れるつもりはなかったんだから」

「なら一人にしてくれないか?」

「いつもの君に言われたならそうするさ。でも、今の君は放っておけないね」

「……。なんなんだよ…。どいつもこいつも」

「口が悪い。そんなキャラじゃないでしょ? ……あ、そうそう。僕の淹れたのじゃなくて悪いんだけど、これでも飲んで落ち着きな」

夢籐がポケットから取り出したのは、「ちょー苦い」と書かれた缶コーヒー。

一体、どこにこんなものが売っているのか。どんな心境でこれを俺に渡そうと思ったのか。甚だ理解に苦しむ。

「そうだよ。僕を貶していればいい。今くらい、現実から目を背けたらいいさ」

「!!」

なにもかもお見通しなうえに、常に一歩先で俺を見ている。

それなのに怒るどころか、俺が迷子にならないように面倒を見てくれている。

「落ち着いたら、お兄さんが聞いてあげるから。とりあえず今は、それ飲んで。さん、はい!」

「わ~かった。飲むから。ったく…、急かすなって…………」

パキャッ音と共にタブを開けると、コーヒー特有のいい香りが広がる。

見かけが独特なだけに異臭の一つでもするだろうと思っていたが、余計な杞憂だったらしい。

恐らくハズレのコーヒーではないだろう……。

「ブフッーーーーッ!! なんだこれ………ッ!? 苦すぎだろ!?」

「ククククククッ……。さてはバカだね? 缶に書いてあるじゃないか。苦いって」

腹を抱えて笑ってくれるが、本当にこれは苦い。

そう言えば、夢籐が淹れるコーヒーはなぜか、えぐ味と苦味がすごい。それを遥かに凌駕するこの苦味…、さては薬品てんこ盛りだな?

「君の苦味耐性をこうも……。世の中には面白いことを考える人がいるもんだね」

「ゴホッ……。買ったお前もだよ」

「まぁそんなことはどうでもいいさ。だいぶ冷静になれたろ? お兄さんに聞きたいことでもあれば聞いてみな?」

「話し相手に難ありなんだが…?」

すると夢籐は長椅子に腰を下ろし、新しい缶コーヒーをポケットから取り出す。

俺に渡した物とは全く違う、普通のコーヒーを手で弄りながら口を開く。

「真面目な話、今まで君に何が必要だったか分かるかい?」

「なんだよ。いきなり」

「……僕が答えちゃうけど、それは他者との関わりだよ。君自身、そんなものに興味がなくても、周囲の人間は結構気を使っているんだよ。なのに君は壁を作りたがる。まるで幼子のようにね」

夢籐は手にしていたコーヒーをグビッっと飲み込むと、缶を長椅子に置いて俺の隣に歩み寄る。

「そんな君だけど、他者との関わりに大きな意味を見出したと思う。それが親友でもなければ、面倒見のいい僕でもなく、……惚れた女にだけど。そこで君は初めて悩んだ。俺といたら…。とか、こうしてあげたい…。とかね」

「………」

「それは確かな成長だよ。今まで避けてきたことに対して、やっと向き合ったのだから。残念ながら僕は色恋には疎くてね。面白いアドバイスの一つもできないから、経験談と心理学に基づいて君に教えてあげよう。………ここが、君のこれからの人生の大きな分岐点になっているよ。とね」

なぜか、夢籐の言葉が重くのしかかる。いや、なぜかじゃない。

もうはっきりしているはずなのだ。なのに…、俺は………ッ!

「そう。悩むんだ。悩んで、悩んで、悩みまくって、壁にぶつかって、酷く不格好を晒したらいい。それが成長と大人になるってこと。だから…、安心していい。間違った道には行かせない。それが僕ら教師の…、大人の役目だからね」

「……かっこつけやがって」

「そりゃあ人生の先輩だからね。君より多く、恥も過ちも晒してきた。だから分かるんだよ。若さゆえの苦痛が」

夢籐の声が、言葉が、心にくる。そして震える。

なぜだろうか。夢籐が眩しく見える。

夢籐は…、俺を肯定するために、わざわざここに来たんだ。俺が悩むことを分かっていて。

ここで、挫けないために。

この先、挫けさせないために。

みくにフラれた時に流れなかった涙が流れる。

体の内側から溢れるこの感情…。これは悲しみなんかじゃない。

なんだろう。初めての感情からくる涙の理由が分からない…。

これは……、心が満たされるこの感じは………ッ!

「男が泣くんじゃない。…と言いたいところだけど、まぁ今は僕の横にいるってことで特別に許可しよう。枯れるまで泣くがいいさ。でも、その後は…………。言うまでもないね」

止まらない涙に、いつもと違う雰囲気の夢籐の抱擁。

時間が分からなくなるくらい泣いて、泣いて、泣きまくった。

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