七時には案の定間に合わなかった。まぁ分かっていたことなので、そこまで気にしないことにしよう。夢籐にどやされる覚悟だけ、予めしておく必要があるだろうが。

行き先は俺が普段使っている講義室のある新設校舎の地下二階。普段の授業などに用いる機器などを保管・管理している教室しかないので、生徒は基本的に立ち入り禁止となっている。

その地下二階の廊下を一人で歩く。通るたびに思うが、夜の学校はどうしても慣れない。

数日前には、夢籐に階段下で驚かされたので、余計な用心をしながら進む癖がついてしまった。

目的の部屋は、よりによって廊下の突き当り。そう、一番奥の教室。

距離にしてだいたい八十メートルあるかどうかなのだが、どうしてもそれ以上に遠く感じる。そして俺の足音だけが廊下に響くこと響くこと。

やっとの思いで激しい心拍と共に、不自然に光が零れ出る教室の前にたどり着いた。夢籐に驚かされなかっただけで、こんなにも安心感と脱力感がすごいとは。

震えの消えた手でドアノブを握る。

ガチャ…、ガチャガチャ……?

「ん? まだいないのか? もう十分は過ぎてるんだけどなぁ…」

「おや? 意外と早かったね~? もっと遅くなるかと思ってたのに~」

間延びした話し方だが、いきなり話しかけられれば当然びっくりしてしまう。そんな俺の表情を見てニヤニヤするこの悪趣味の男。

その男は俺の背後も背後。ぴったり俺の背中にくっ付くくらいの距離で立っている。

「いきなり後ろから出てくんな! てか、なんでそう思ったんだよ」

「いや~、君が女の子と門をくぐるのが見えたからね~。来るにしても、もっと遅いかと」

「み、見てたのか…」

「まぁ…、お似合いだったよ?」

「ばっ、ばっか! んなわけねーだろ!?」

「何でそんな慌てるのさ。案外…、気があったり?」

この男は、すぐなんでもかんでも茶化してくる。子供っぽすぎるだろ。

「まぁ中へどうぞ~」

本当に人の気も知らないで事を進める。だというのに、これに慣れてきている自分が怖い。

夢籐に促されるまま室内に入ろうとした時、すれ違い際に夢籐が小声で「良かったな…」みたいな感じのことを言ったような気が…、する。

「ん、なんて?」

「いや、こっちの話だ。気にしな~い」

やはりはぐらかしてきたか。

…にしても、どういうことだ? 気にするな?

多分なんだが…、今の小言はわざと俺に聞こえるように言った気がする。

それでいて、「何でもない」だの「気にするな」だの…、一体どういうつもりなんだ?

言及しようにも、きっとはぐらかすだろうし、今から検査もとい実験に近い事をするので余計なことは考えない方がいいのだろうけど…。

ここ天夢大学とこの夢籐という男は、実は深い繋がりがあるらしく自分の極秘研究室を学校に設置している。なんでも、かなりの極秘らしく生徒どころか極一部の人間しか知らないほどらしい。

以前、例の夢について話したところ原因が分かるかもしれないと言われ、それ以来この極秘エリアへの入場許可証を貰ったのだ。

実験内容は、変なヘルメットを装着して睡眠に入り、なにやら大きな筒の機械に吸い込まれていくだけ。人間ドックでよく見るあれみたいなやつ。

この行程を小一時間程繰り返し、夢籐が満足したら帰宅。が、いつもの流れなのだが…、今日はそうではなかった。

「少しだけ話があるから、帰らないで待ってくれるかい?」

だそうだ。やけに神妙な面をしているので無視はできない。

幸か不幸か、俺はこの後、特に用事がないせいもあるが。


時刻は九時半をまわったところ。夢籐の淹れたコーヒーを持って、少し低めのソファに腰を下ろし、ひざ下くらいの小さいテーブルを挟んで向かい合う。

「さて、本題の前に一つ聞きたい事があってね~。いいかい?」

「嫌つっても、はじめるんだろ?」

「んふふ。じゃあまず、君にとって『運命』って何だい?」

「運命…って、それに何ってどういうことだよ?」

「質問を質問で返さない。んまぁ、そうだね…。『具体的に』と言うか『砕いて』言うなら運命ってどんなもの?」

「そりゃ抗うことができない、絶対的なルールとかなんじゃねーの?」

「まぁそれがあたりまえの答えだね」

「なんだよ。ちげーのかよ?」

「いや、違わないさ。破ろうとして破れる約束や規律みたいなものじゃないし、破らないようにしていたとしても破られてしまう、要は神のみぞ知るってやつだね」

「…」

夢籐は説明しながら、取り出した白紙のプリントを破いて見せる。

「だが、当人若しくは神以外の第三者がその絶対的なルールに、干渉・変化を起こせたら?」

破いた紙を適当に放り投げ、もう一枚別のプリントを取り出し、折り目をつける。

「その第三者中心で…、物事が決まっていく?」

「そうなるね」

折り目に合わせながらプリントを破いていく。今度は綺麗に真っ二つ。

「それがどうしたんだ? 根本、神が運命に関係あるのか自体、確証や信憑性ねーのに」

「あぁないさ。ましてや神の存在を否定している者もいるくらいだからね。だからここでは、神はいないとしよう。『運命』といったルールの上で当人と、元からいた第三者の二人のみ。もしこの二人でルールという波を逆らった結果、本来迎える結末を変え、異なった運命を作り上げてしまったら? そうすると必然にも異物が出てくるだろうね。…端的に言おう。この異物、君だと思う」

「……………は?」

「なにも確証なしに言っているんじゃないさ。これまでの検査結果と、僕の経験がそう告げているんだよ」

異物……? 俺が…? 言ってる意味が全く分からないのだが。

「俺が運命を逆らった存在…、ってことか?」

「んまぁ~そんな感じかな。ちなみに逆らい始めたのがいつか、薄々気づいてると思うんだけど、どうかな?」

「………」

「分からない…。いや、分かりたくないとかかな? どちらにせよ、この答えは僕から言っても面白くないからね。…自分で確かめる。認めるまで僕は黙っておくとするよ」


よく分からない話の後、夢籐から解放された俺は家路を急いでいた。

真っ暗な道を一人歩きながら、先程の話を振り返ってみる。

俺が運命? を逆らった存在? …んなバカな。

そもそも、なんでこんな訳の分からない話にまで膨れ上がったんだ?

何が検査結果と経験によると、だよ。言っている意味がさっぱり。

それに…、確かめる? 認める?

普段からふくませる言い回しばかりの男だが、今回のは特に酷すぎる。

ため息しか出てこないまま、自宅までを結ぶ最後の信号で立ち止まる。色は…、赤。

俺の住まい周辺は車通りが少ないうえに、こんな時間。人の姿すら見えなければ、当然エンジン音の一つもしない。

わざわざ信号を待つ必要などない。ないのだが…、足が前に出ない。

誰かに見られているからとかではなく、どこか自分でもわかっていない意志が働いている…、そんな気がするような、しないような。

しばらくすると信号は青に変わり、金縛りのように動かなかった足が歩みを始める。

実は俺、不思議なことに信号無視をしたことがない。本当に不思議で、他にヤンチャなことは一通りしてきたのに、信号だけはきっちり守ってきた。

まぁ、そんなこと気にしない人の方が多いのだが。

自宅に着くと、さっさと晩飯を食べ、風呂に入り、簡単に授業の課題をまとめてベッドに向かう。これがいつものルーティン。特に変わったことはしない主義が如実に分かるだろう。

もう数週間洗濯できていないシーツの上で横になる。

また…、あの夢に苛まれると思うと寝たくない気持ちが大きくなるのだが、きっとあの手が助けてくれると、そう思えると多少は気が楽になれる。

時刻は二十三時過ぎ。………寝るとするか。

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