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昼食時の食堂は騒がしいはずなのだが、まわりの音が全く耳に入ってこない。まるで俺と目の前の女子だけが世界から切り離された感覚。視界だけでなく、脳内までもが真っ白になってしまう。
その原因は、紛れもなく目の前の女子だ。
「あ、あの…。私が誰か、分かりますか?」
何度も耳の奥で反響するその台詞は、二人の間に奇妙な空気を流している。
そして、なんとか絞り出した返事は…、素っとん狂なものだった。
「…ふぇっ?」
「ふぇっ? ってなんですかそれ」
笑いをなんとか堪えながら、さっと服のしわを伸ばして服装を整えると、目の前の子は改めて俺に向き直る。
その上品な立ち振る舞いといったら。
「あっ、私の名前は南みくです。…聞き覚えありませんか?」
…南みく。
今までに会ってきた人を必死で思い出すが、残念ながら記憶にない。
最も、こんな可憐な人の名前など一度聞いたら忘れないだろう。
すると、彼女の口から予想外の質問が飛び出す。
「琴城小学校の…、出身だよね?」
「………ッ!」
その小学校の名前を聞いた瞬間、頭に尋常じゃない痛みが襲ってきた。
あまりにもひどい痛みに耐えかねた俺は、思わずその場にしゃがみ込んでしまう。
手が異様に湿る感覚…。首筋をなぞる汗が止まらない。
「ちょっ!? 大丈夫!?」
覗き込んでいる心配顔も可愛らしいなと思っているうちは、きっと大丈夫だろう。
周囲の目も引きたくないし、頑張って立ち上がる。
「どうしたの?」
「実は…、その……。記憶が無いんだ」
そう。俺こと、四ノ宮皇輝は小学生の時の記憶が無いのだ。
…少し言い方が悪かった。全く無いのではなく、ある一時期の記憶が抜け落ちているのだ。
「……。なんか、ごめんなさい…」
「いや…! 気にしないで」
ヤバい。せっかく俺みたいな人間に話しかけてくれているのに、気まずい空気になってしまった。何か気が紛れるような話題は…。
口下手なのもあるが、そもそも俺は自分から話題を振るような人間じゃない。
無論、この状況の打開策など一つも持ち合わせていない。
そんな俺を見かねてか、彼女の方から切り出してくれた。
「じゃ、じゃあ…さ。後でお茶でもしながらお話ししない?」
「…えっ?」
「あっ、いやいやお近づきに…、ね?」
舌を少しペロッと出す姿が、現実の女の子に似合うと誰が想像できたことか。
いやまぁ、この子だから似合うのだろうけど。
そんなことより…。いや、そんなことじゃなくて。…お茶? 俺とこの子が?
またも頭がフリーズしてしまうが、今度は何とか言葉を発せて…、いるはず。
「えぇっと…、俺はいつでもいいけど…」
「う~ん…、今日とかは?」
「今日!? わっ、分かった。行こう…、か」
「うん♪ 終わったら門のところで待っててね。皇輝君!」
「あ、あぁ」
女の子…。南さんは再び、颯爽と人の波に消えていった。
皇輝…。俺の名前を知っているあたり、やっぱり知り合いなのだろう。
でも…、何で小学校なんかを? 確かに琴城小学校に通っていたが…。
南みく。
…そんな名前、聞いたことがない。
あれから二限の間…。当然ながら授業に集中できるはずもなく。
授業が終わってから、待ち合わせの門の前でもずっとそわそわしていた。
お茶に行くといっても女子と行くのは初めてなので、どういう雰囲気の店がいいとか全く分からない。この手のことに詳しいヤツが身近にいるにはいるのだが、相談しづらい過去もあり、大変言いづらい。
それは遡ること高校二年の春。人生で初めて女子から告白された際、大空のおかげで学校中の話題になり、知り合いの三年生によくいじられたことがあった。
まぁ結局、その女の子と付き合うことはなかった。決して三年生や大空のせいなんかではなくて。
そんな苦い経験があるので、できれば大空に知られたくない。相談ができる相手は大空くらいしかいないのだが。
信用のできる友人は大空しかいないのも、そもそもの問題ではある。
人との接触を避けているのはよくないと分かっていながら、相手のテリトリーに踏み入る勇気みたいなものがないせいで、友人を進んで作ろうと思わない。
成人手前にもなって今更何をこじらせているのか。自分の事なのだが、呆れてしまう。
確か以前、大空に『どうしたら、大空みたいに他の人と関わりをもてるようになるんだ?』的なことを聞いてみたことがあった。
『そ~だな…。とりあえず見た目だな!』
俺の顔を指さしながらビシッとか自分で効果音付きで放った一言。聞いた俺が言うのもなんだが、ズバッと言い過ぎじゃないか? …割と気にしている部分を。
『見た目か…』
『うん。だって皇輝目つきわり~もん』
『うっ…。それは知ってるけど、どうしようもねーじゃん』
『なら笑えばいいだろ? 笑顔が少ね~から、周りも近づきにくいんだと思うぞ?』
『笑顔か…、こんな感じか?』
俺が思う、笑った顔を大空に見せてみる。
『ぷっ…。あっははははははっ! はははははははははっ! はぁ~、あっはははははははっ!』
寝転びながら腹を抱えて大爆笑の始末。そしてやたら長い。
『お、お前なぁ……』
大空に一歩ずつ近づく俺の右手に、少しづつ力が籠っていく。
『まてまてまてまて!! ごめんって!』
『最期に言いたいことは?』
『くらえ! 俺の変顔!』
あのイケメンの大空が、全力の変顔を不意打ちでお見舞いしてきた。これほどの完成度…、一生にそう何度も拝めるものではないだろう。
『くっ…、あっははははははははっ! やめろって~』
今まで見たことがない完璧な変顔に我慢できず、思わず大笑いしてしまった。
するとシャッター音と共に、大空が携帯の画面を見せてくる。そこには大笑いしている俺が映って…。
『いい顔して笑えんじゃん。それがいい。…うんうん』
見事にいっぱいくわされた。さすがというか、なんというか。
そんなこともあったなぁ…、と思い出していると自然と笑みが零れていたらしい。
「な~にニヤニヤしてんのさ~」
いつに間にいたのか、目の前に南さんがいた。覗き込んでくる顔は上目遣いで可愛いのだが、どこか距離感が一気に縮まっているような…? 気もしないでもない。というより、明らかに言葉遣いが変わっている。これが俗に言う陽キャラというやつなのか?
「そんなに私との…、『デート』…を、楽しみにしてくれてたのかな?」
小悪魔のような悪戯じみた笑顔を見せてくる。その発言と姿に…、やはりドキッとしてしまう。
「デ、デート!? いやいやいや、昔のことを思い出してただけだよ!?」
過去一番呂律が酷く、カミカミ状態。…あぁ、恥ずかしい。
「と、ところでどこに行くの?」
「駅前のカフェとかどうかな?」
「駅前にカフェなんてあったんだ…」
「うん。よくみんなと行くんだよ~」
「じゃあ早速行こうか。ちょっと…、周りの目が気になる」
可憐な南さんと、冴えない俺。その凹凸ペアを見る周囲の視線が痛い。
「おやおやおやおや~? 緊張してる?」
またも悪い顔をしている。…どこか遊ばれてる気がするんだけど。
そんな俺の気も知れない南さんは、いきなり俺の右手を握り歩き始める。
「レッツ…、ゴー!!」
当然、すぐに振りほどくのだが。
お店の名前は、サラ・ローラル・カフェという。
駅前に位置しているせいか少し派手な印象を与える建物で、絵に描いたようなテラスのある店だった。
だがお店の中に入ってみると、そこに広がる雰囲気は外観とは相容れず和風っぽく、木材を基調としていた。初めて来たが、案外こういう感じのお店は好きかもしれない。
そんなことを考えていたら慌ただしそうな店員に促され、割と景色の良い窓際の席に腰を下ろした。
「なんにする?」
南さんはもう手にメニューを持っており、ページをパラパラと送っている。
「カフェとか来るの初めてだから、なにがとかは…。あ、オススメってある?」
「う~ん。カフェに来てオススメ聞かれたの初めてだな~」
「そうだよね…。じゃあ南さんと同じのにしようかな」
…やべっ。さすがにキモいと思われるか? 完璧に無意識で話してしまった。
だから俺はダメなんだ…。
などとネガティブ思考に突っ走っていると…。
「お、そうしよう! そうしよう! 同じのなら味は保障するよ!」
……。
…きっと俺の考えていることなんて杞憂に過ぎないのだろう。そう思わせてくれる南さんのメニューから離す顔には、パッと笑顔が咲いていた。
「すいませ~ん!」
と元気な声で店員を呼ぶ。なぜか手を振っている姿を見ていると、本当に俺が考え過ぎなのかもしれないと思う。キモいとか思うような子じゃないのは、言動からでも分かるだろうに。
それと、女子と二人という状況は意外と悪い気分ではなかった。…むしろ楽しい。
この楽しい勢いに流すのも悪くはないのだが、それは俺があまり好きじゃない。注文してくれたものが来るまでに、一通りしておかないといけない事をしておこう。
「改めまして。四ノ宮皇輝です」
「わたしは、南みくです!」
なぜか敬礼ポーズをする南さん。わざとなのか、あざとい仕草をさり気なく入れてこられると俺の心臓がもたない。
…いやいや。本題を見失うところだった。
「えぇと、南さんは…」
「ちょちょっ! 昔みたいにみくで…、って覚えて無いんだったね」
「…ごめん。なにも」
「どういう経緯で記憶を忘れたのか…、とか聞いても良いかな?」
自己紹介前から俺の名前を知っていたから、恐らく知り合いのはず…。
そうであるなら、知る権利を彼女は持っていると思う。
「分かった…」
意を決してお茶に誘ってきたのは、きっとこの話をするためだろう。
だったら、俺もちゃんと向き合って話すべきだ。…俺の脳に残る、不確かで僅かな記憶の欠片を。
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