第一〇七話 星幽迷宮(アストラルメイズ) 一六

「な、なんだ……なんだお前……さっきと様子が……」


 困惑した表情のラルフを見て、俺は日本刀を肩に置いて微笑む。ラルフ自身は獣人ライカンスロープの再生能力のおかげか、切り落とした左手は既に生え変わっている。

 この世界に顕現したのはこれで二回目か……でも周りの様子は見慣れたような風景に近い……そうか、星幽迷宮アストラルメイズって言ってたな。

 不思議な光景だが、違和感はない……元となるイメージは俺と同じ世界のやつが作ったんだろうなあ、とても懐かしいような気分を感じるのが本当に奇妙だ。

「あー、うん……ジョシコーセーってやつには悩み事が色々あんだよ。で、とりあえず……お前殺すわ」


「な、あ、……ギャアアッ!」

 ぎらり、と目を輝かせた瞬間俺はラルフとの距離を一瞬で縮める……咄嗟に逃げようとしたラルフの右足を神速の泡沫ウタカタで叩き落とす。

 血飛沫を上げながらも俺との距離を取るラルフ……目には完全に恐怖の色が浮かんでおり、怯えの感情も伝わってくる。

 日本刀を何度か握り直して、あらためてなかなかいい武器だな……と感心する。俺と同じでちゃんと手入れしているな、素晴らしい、業物だし灯自身も気に入っているわけでね、俺もこの日本刀は良いものだと思っている。

「おい、お嬢さんシニョリーナ大丈夫なのか?」


「大丈夫、安心してそこで見てなって」

 エツィオ・ビアンキが俺に声をかけてくる……軽く彼の顔を見て、微笑んで片手でひらひらと大丈夫だとジェスチャーを送る。

 いつもと違う俺の口調に少し違和感を感じているようだが……流石にそこまで説明を詳しくしてやるほど俺は暇でもない。

 前に体を入れ替えたのは結構前だが、そこから魂の融合は進んでいて灯自身も気がついていないだろうが前よりも身体能力は俺に近づいている。

 なので本来持っている能力だけでいけば……目の前の獣人ライカンスロープに負けるような要素は見当たらない。それでも先ほどまでの状態にまで追い込まれたのは、咆哮ハウリングによる影響が普段持っている不安とか恐怖といった押し殺していた感情を強く揺さぶったせいだろう。

「さて、獣人ライカンスロープ……少しだけ遊ぼうか。かかってきな」


「な、なんだと……貴様……」

 笑みを浮かべて俺は獣人ライカンスロープを誘う……その挑発にラルフは流石に怒りを隠しきれない表情を浮かべて唸り始める……。あの顔ー、超怒ってるのマジ受けるんですけどー、プフ〜。

 片手でかかってこい、と手招きするジェスチャーをする……次の瞬間、俺の左側に高速移動したラルフが出現する……鋭い爪の一撃が俺の体を引き裂く……訳もなく、俺は攻撃を躱して日本刀を構える。ラルフが少しだけ困惑した顔で俺を見て呟いている。

「さっきと動きが違うな……お前は一体……」


「ジョシコーセー新居 灯さんだよ。こんな可愛い子に殺されるってある意味……ご褒美だせ?」

 いうが早いか俺は高速で距離を詰めると、ラルフの右腕を一撃で断ち切る……そのまま俺の日本刀は踊るような軌跡を見せてそのまま紫雲英レンゲの超高速斬撃へと移る。

 少し遊ぶか……俺は目の前の獣人ライカンスロープの右腕を一撃目で軽く宙に浮かすと、紫雲英レンゲで細切れにする……修行時代によくやった遊びだ、ただその時は木片とかを使ったけどね。

「クフフ……腕は落ちてねーな……」


「な、なんなんだお前は……」

 切り落とされた右手の傷を庇いながら、ラルフは恐怖の表情を浮かべて震える……目の前に立っている少女の中にいた何かを起こしてしまった、という事実をまだ理解できていない。

 何度か日本刀を振るって、重さを確認すると俺はラルフを指差して笑いながら宣言する。

「なあ、俺……いや私の攻撃を防ぎきれたら逃してやるよ。試すか?」


「何を……お嬢さんシニョリーナ、敵を逃すってなんだ!」

 エツィオが流石に見てられないという顔で俺に叫ぶが……俺は彼の顔を見ずに、指を左右に振って問題ないとジェスチャーだけで伝える。

 安心しろ、これは単なるゲームだ……逃す気なんか本当はない、確実にここで殺すって決めている。だからあえて逃げられるかもという期待を持たせてから絶望を味合わせるんだ。

 だってこいつは新居 灯を……俺の魂を継いでいるあの少女をあんな悲しみの淵に叩き落としたやつなのだ……泣いて謝ったって殺すよ。

「次に出す私の攻撃を凌ぎ切ったら逃してやるよ、


 ラルフは先ほどまでの攻防を考えて……内心ほくそ笑む。先ほど切り裂かれたのは油断したからだ……それまではほぼ互角に戦えていた。

 凌ぎきるのは不可能ではない……そうだ先ほどは自分も油断しただけなのだ・…そう考えるとラルフは軽く頷く。新居 灯は満足そうに笑うと構えを解いた。

 その姿を見てラルフは内心苛立ちを感じて口を開いた。

「構えんのか? なぜ構えを解く……」


「ンフフ……これが構えだ。細かいことなんか気にするなよ、どうせお前は今から死ぬんだから」

 俺はクスクス笑って何度か地面を足で蹴って、大きく息を吐く。そう、こいつは絶対殺す……俺の大事な後継者を傷つけたんだから……。

 エツィオは不安そうな顔で俺を見ている……少し目が合ったので笑顔を向けておく。お前は良いやつだな……あの灯が大事に思っている先輩とかいうのもいい男だったが、お前はそれ以上にいいやつかもしれない。だから……この世界において灯が信頼しているお前らに、灯を預ける。

 この少女はとても傷つきやすい、心が俺ほど鈍くない……もしこの少女を傷つけたら、俺がお前らを殺してやるから。

「さて……? 三下」


 軽く床面を足で叩いて……俺は目の前の獣人ライカンスロープに向かって攻撃を繰り出す。

 ここで繰り出す攻撃は決まっている……俺がミカガミ流剣聖ソードマスターとして認められている唯一の技……見たものが絶望感のままに死んでいく最強の攻撃。凌ぎきる? そんなことすらできないまま細切れにしてやる。

「ミカガミ流絶技……無尽ムジン




 それはまさに絶望という言葉がふさわしい絶技だった。

 目の前にいた新居 灯がボソリと呟いた無尽ムジンという言葉と同時にラルフの前に新居 灯の姿が全く同じ姿勢で一〇人出現する……どうやっているのかわからないが、日本刀を無造作に構えた女剣士一〇人が一斉に視界から消える……一人目は目の前から、二人目は背後から、三人目、四人目……全ての新居 灯が同時に一瞬であらゆる方向からラルフを細切れにしていく、いや気がついたら全ての部位が細切れになっている。

 一瞬でラルフの視界に自らの体が細切れにされていく姿が写り、自分が今まさに死んでいくのを見ている……いや見せられている、どうしてこの光景が見れているのか?


 それは痛みを感じる痛覚や命が終わる瞬間よりも早く切り裂かれているから。


 痛みすら感じない、目の前で自分の腕が、足が……そして胴体すら細切れに変化していく。どうしてこんな光景が見れているのだ? 今目の前に自分の耳が、鼻が、そして何もかもが視界の中で細切れにされていく。

 命がまだあるのに……自分にまだ意識があるのに、自分の体が細かい肉片へと解体されていくのだ……逃げ切れる? そんな希望を数秒前まで考えていたのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、ラルフは瞬く間に解体されていく。

「クフフッ……再生して見せろよ、ゴミが……」


 あまりに歪んだ笑みを浮かべる新居 灯の顔が視界に広がる……その手には俺の心臓が……握られているのに、その心臓を笑顔で握りつぶす少女の笑顔を見ながら……ラルフだった目玉は細かく切り刻まれていく。

 何も見えない……何も感じない……俺の命が終わる、終わってしまう……。そこでラルフの意識が命の終わりを迎えて、ようやくブツン、と唐突に途切れた。




「ったく……全く反応すらできないとは……本当にゴミじゃねえか……」

 俺は日本刀にこびりついた血を軽く振るうことで飛ばして払う。こうしないと鞘に入れた後に固まってしまうので、次は抜けなくなるからな。

 怒りは収まっていない……俺の後継者をあれだけコケにしてくれた獣人ライカンスロープは原子レベルまで切り裂かなければ許せるものではないからだ。まあもう殺しちゃったけどさ。

 とはいえ……これ以上はいいだろう、そろそろ時間切れになりそうだし灯に体を返さねば、仲間たちの不信感を煽るだけだし。

 それに……次に顕現できるのはいつになるのか、俺自身ももうわからない。


 なあ、灯……勇気を出してくれ、この世界を守るのはこの世界で生まれたお前の役目なんだ……立ち上がって歩き出すんだ。俺はお前を信頼している……俺の力を使って世界を守るのが、ミカガミ流剣士としての責任なんだ。

 大丈夫お前はちゃんと歩ける……だって俺の魂を受け継いでいるんだから……俺は目の前で繰り広げられた恐ろしい光景を目撃して、呆然と俺を見ているエツィオの元へと歩き……彼の胸に軽く拳を当てて微笑む。

「エツィオ・ビアンキ……君に体は任せる、起きたら優しくしてやれ……頼んだぞ」


 そのまま俺は、暗闇の中へと落ちていく。魂を上書きして顕現するというのは、魂の不文律を破る行為だ。

 強いペナルティがあるかもしれないが……俺は満足だ。灯のために、灯を助けるために行動できたのだから、だから満足だ。

 俺はお前を心の底から信じているから、勇気を出してもう一度立ち上がるんだ。


「後は頼むぞ灯……お前は最強の剣士になれるんだ……だから信じろ、お前の魂を」

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