第一〇六話 星幽迷宮(アストラルメイズ) 一五

 ニムグリフ暦五〇一九年、アルネリア大陸……とある城塞にて。



「ん? 戦いが怖くないのかって? そりゃあ怖いさ……」

 俺、ノエル・ノーランドは隣で酔っ払っているエリーゼの質問に答える。こいつ何杯飲んでるんだよ……テーブルに転がっているジョッキの数を見て、目の前の酔っぱらいの状況を理解するが……大丈夫かな。

 ベロベロに酔っているエリーゼは呂律の回っていない口で必死に喋っている。

「らって……のえるはいつも前線にれて戦うひゃない……怖いなんてろもってないんにゃないかにゅわーって」


「お前……飲み過ぎだろ……怖いのは怖いよ、殺してしまった相手の顔とか夢に出るからな」

 ジョッキからエールを飲みながら、苦い記憶を思い出す……初めて敵を斬った夜、寝ようとして瞼を閉じると死に際のそいつの顔がずっと再生されてしまった。あまりに怖くて、ずっと震えていて……一睡もできずに翌日の朝を迎えた。

 そいつはずっと痛みに苦しんで、俺に向かって泣いていて……そして俺に凄まじいまでの憎しみの眼差しを向けていた……まだ魔王軍との戦いが始まる前、人間同士の戦争が起きていた時期だ。その目が……凄まじいまでに俺に罪悪感と恐怖を与えていた。

 そして迎えた朝日があんなに安心できるものだなんて、あの時ほどホッとした時間はなかった。

 戦争でも魔物との戦いでも、ずっと怖いと思う瞬間はあった……けどだったあの夜だけは、いまだに強烈な恐怖と傷を俺の中に残し続けている。


「エリーゼ……お前怖くないのか? 戦うことが」

 俺の言葉にエリーゼはジョッキの中身を確認するように、軽く回してから一気に飲み干すと、ジェスチャーだけで新しい酒を給仕に頼むと、そっと俺の腕にコツンと頭を当てて少しだけ幸せそうな顔で呟く。

「怖いよ……でもあんたいるし……だから大丈夫」


 なんだよちゃんと喋れるじゃねえか……俺は額をピシッと弾くように彼女を剥がすが、その行為に少しだけ口を尖らせたエリーゼが不貞腐れた表情を見せてテーブルに頬杖をつく。

 そんな彼女を見て少しだけ表情を緩めてしまうが、俺はジョッキから少しだけエールを啜るとポツリと呟く。

「戦っている限り、ずっと死の恐怖と向かい合わなきゃいけないのかもなあ……そんな生活は人間として正解なのかね」


「魔王倒せば……しなくて済むんじゃない? 少なくとも人間同士の戦いは魔王のおかげで収まってるわけだしね」

 エリーゼの元に新しいジョッキが二つ置かれて、彼女は嬉しそうな顔でジョッキからエールを飲み始める。

 ま、確かにな……魔王が人間というか、キリアンへと布告プロクラメイションしたことで、人間代表の俺たち勇者ヒーローパーティと魔王軍の戦いが中心となり、人間は一つにまとまったと言っても過言ではない。

 人間同士の抗争や戦争はなくなり、魔王軍との戦いに人間は団結している……もう少し早くそれが起きていれば、俺はあの男を切らずに済んだのかもしれないしな。

 ジョッキから酒を飲み干すと、俺はエリーゼの肩をポンと叩いて……テーブルから立ち上がる。

「俺寝るわ……お前も飲みすぎるなよ? それと暖かくして寝ないと風邪ひくからな」

「子供扱いするなよ、私大人なんだから!」





 ふと、うとうとしている俺の耳に少女が泣いているような声が聞こえて、毛布を跳ね除けて俺は寝台の上に上体を起こしてあたりの様子を確認する。

 いつも抱えたまま寝ている魔剣グランブレイカーを握って、ゆっくりと音を立てないように寝台を降りると……その声の元を探すために俺は忍足で移動をしていく。

 鎧を着たまま寝る習慣は、ここ最近行っていない……冒険中や戦争の時はそうやって寝首をかかれないようにしていたのだが、安全な場所ではきちんと鎧を脱いで寝るようになってどのくらい経つだろうか?

 俺もだいぶ変わったな……昔ならそんなことをしている自分が怖くなったものだけども、最近は仲間がいて安心し斬ってしまっているのだろう。

 鎧を着なくてもちゃんと睡眠を取れる自分の変化に少しだけ失笑してしまう。


 その間も啜り泣くような声がずっと聞こえていて……まさか泣き女バンシーでもいるのか? という疑念に囚われるが、まさか街中に出てくるような魔物ではないしな。

 それ以外だと不死者アンデッドの類か? 祓うのは俺の専門外だが……グランブレイカーがあればなんとかなるか。

「どこから聞こえているんだ……?」


 今いる城塞は魔王軍との戦闘前には、戦争で国同士が奪い合った場所で確かにここで多くの人が死んでいるし、そういった負の力が集中する場所ではあるのだけど、それでもアナがここを浄化していたはずなので、魔物も近寄りにくいと言っていたはずだが。

 啜り泣きの声が聞こえている場所を探して俺は静かに城塞の中を歩き続ける……ふと、小さな部屋の中からその声が聞こえている気がして、俺はその部屋の扉に近づく。

 こんな場所あったっけ? この城塞に一時的に逗留するにあたって俺たちは城塞内の全ての場所を隈無く調べた……その時にこんな場所なんか見た記憶がないんだけど。

「怖いよ……助けてよ……」


 女の声? どういうことだ……やっぱり泣き女バンシーが湧いているのだろうか……そうするとめちゃくちゃ厄介だな。あの魔物は死を呼ぶ金切り声をあげることができるし、本体自体もめちゃくちゃ身体能力が高く戦士と互角に戦える……この夜中に戦闘か、ため息でそうだ。

「助けて……助けて……ノ……ル」


 自分の名前を呼ばれた気がして、心臓がどきりと高鳴る。な、なんでだ? 慌てて扉を開けると、そこは扉の大きさからは想像もつかないような恐ろしく広い空間だった。

 ふと背後を見てもそこには空間が広がっていて……ここから出れないじゃん……どうなってるんだ。

 警戒をしつつ前を見ると、そこには黒い髪の見たこともない服装をした少女が泣きながら俯いて座っている。泣き女バンシーではない? 何者なんだ……。

「怖いよ……怖いよぉ……やだよぉ……」


「お、おい……大丈夫か? なんで泣いているんだ?」

 俺は流石に心配になってその少女へと声をかける。触っていいものか悩むが、とりあえず肩に手を置いて……あれ? 触ってわかったが随分と作りの良い服だな。

 紺色に染色されており、裁縫も丁寧だ……しかも胸の辺りに金の刺繍でできた紋章のようなものが縫い付けられている。王族か何かか? 

 下半身にはやはり紺色のスカート……そこまで見てびっくりしたが、太ももが露出しており本当に細身だ。

 な、なんて扇情的ハレンチな……でもそういう職業の少女には見えないぞ? どういうことなんだ……俺は困惑しながらも優しく声をかけていく。

「お、おい……本当に大丈夫か? 困っているなら俺が話を聞くぞ?」


 少女は俺に気がついたのか、顔を上げて俺を見るが……その娘の顔を見て驚いた。

 東方に住む民族がこういう顔をしていると聞いたことがある。黒髪に黒い眼……少しだけきつめの顔立ちだが、白くなめらかな肌をしている。

 服の上からでもわかるくらい、とても大きな胸部をしていて全体的に細身なのに、とてもスタイルが良い……そして、化粧っ気が全然ないのに、とても美しい。ボロボロと涙を流して泣いているが、俺の顔を見て……顔をくしゃくしゃに歪めて泣きながら俺の胸に縋り付く。

「ノエル……怖かった……怖いよ……みんな私を責めて……」


「お、おい……なんで俺の名前を……お前、だ……ウッ……」

 ズキリ、と頭が強く痛んだ……この少女の名前は……新居 灯……お前の魂を継ぐもの……声が響く。アライ アカリ? 俺の魂を継ぐもの……そこではっきりと俺は思い出した。

 自分が既に死んでいること……そして日本へと転生して目の前の少女として生きていること……全て……この少女は俺だ。

「おい……灯……勇気を出せ。お前が受けている攻撃は心の隙間に入り込み、本来持っている弱さに干渉する」


 俺の言葉に驚いたように胸から顔を上げて、涙でぐしゃぐしゃに濡れた目で俺をみる灯。そんな彼女の頭を優しく撫でて俺は微笑む。

 そうだ……どこからが夢か幻かわからないけど……お前は立ち上がらなければいけない、俺はもう死んだ人間だ。お前の人生は自分自身で紡ぐものだ。

「で、でも……もう怖いよ……私、みんなに責められて……もう嫌だよ……」


 灯は俺に影響されて戦士として生きているが……本当は心優しい少女の魂を持っている。

 そうだ……俺という存在がすらあるのだ。苦々しい思いに胸が締め付けられる。

 魂の融合はかなり進んでいる……でも、まだこの少女を助けることはできるな……彼女の涙を優しく拭うと俺はにっこりと笑う。

 灯は俺の顔を見て再び泣き出し始める……大丈夫、大丈夫だ、そんなに辛いなら今だけは君を助けよう。

「一度だけ、もう一度だけ俺は君を助ける。でもその後は君に自分の足で歩いてほしい。日本人、新居 灯という女性の人生を、そして君自身の手で世界を救うんだ」




「どうしたあ? かかってこないのか? この娘を殺すぞぉ?」

 ラルフは勝ち誇った表情で、エツィオとリヒターを前に座り込んだままの新居 灯の首筋に爪を当てて咲う……爪が少しだけ肌に食い込み、赤い血が流れ出すが……灯は全く反応しようとせず、ブツブツ何かを呟いている。

 フィリップとフランシスが倒されたのは想定外だったが……ここでこの三人を倒せれば、結果的には勝利ということになるだろう……ラルフは笑みを隠せない。


 恐慌フィアーがここまで効果的に働くとは思っていなかった、あまり試したことがないが大抵は逃げ出すものが多く、この娘のように内に篭ってしまうという効果になったのは初めての経験だ。

 どうやらこの娘は心の奥底に強い恐怖や葛藤を抱えていたようだ、それでなければ説明がつかない。でもまあ……考えるのは後でいいか……。

「まずはそこの二人を殺してから……この娘をどうにか……」


 いきなり新居 灯に突きつけていたはずの左手が叩き切られる。何が起こったかわからず、ラルフは強い痛みから思わず左手を押さえてその場から跳躍して距離を取る……左腕は泡立つように再生を始めているが、何が起きた?

 目の前でゆっくりと先ほどまで廃人同様だった新居 灯が立ち上がるのが見える……どうしてだ!? なぜ立ち上がれる……先ほどまで動くことすら拒否していたではないか?!

「……何が起きているんだ……」


「なんだ……? 魂の色が違うぞ?」

 新居 灯があまりに不気味な雰囲気のまま立ち上がったことで、エツィオとリヒターも流石に困惑を隠しきれない。リヒターが赤い目を輝かせて灯を見つめる。

 無造作に日本刀を握ってふらりと立ち上がった灯を見て、背筋が凍りつくような殺気を感じる。ラルフに向かって、灯が日本刀を片手で突きつけて口を開いた。


「おい、そこの雑魚……こんな可愛い灯ちゃんをいじめるたあ、許せねえな……」

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