第八三話 通常の三倍(トレブル)

「ああ、ギブスをつける君も美しい……僕の女神様……」


 都内の男子高校生、折田 隆史は彼が女神と崇める女性、新居 灯がギブスをつけて歩いているのをそっと物陰から覗いている。彼は心の中で彼女への愛の詩を歌い上げていた。


『拝啓、麗しの君。

 今僕は君が街を楽しそうに歩いているのを見ています。

 灯さんはお怪我をされたのでしょうか? ギブスをつけていますね、なんて痛々しい。

 灯さんが歩くたびに髪がふわりと揺れ、僕の心臓は大きく震えます。

 灯さんのギブスを支えるその胸は大きく、僕は揺れる胸の動きに合わせて視線を動かしてしまう。

 ああ、君のギブスになって、君の怪我を癒してあげたい、そう僕が君の癒しになりたい。

 ああ、さらにそのギブスの中の匂いを僕は全て嗅ぎ取りたい、そう君の匂いを全て受け止めたい。

 僕はどうしても、いつまでも君に愛されたい。美しい女神よ、いつか君の愛を僕にくれないか』




 ここ最近私は痛めた左腕にギブスを巻いている。

 怪猫キャスパリーグの一撃は割と私の腕に深刻なダメージを与えていて、戦闘中には気が付かなかったが神経にまで達する傷が入っていたと後で聞かされた。

 治るといえば治るが、治療中に無理をすると後遺症が残るかもしれないと念を押されている。

 ということで当分左手を動かすことは御法度……ということで私はギブスを三角巾固定している。この状態で学校に向かった後にミカちゃんだけでなくお友達から相当に心配された。

『あかりん……バイトで怪我してるけど危険なことしてない? 大丈夫?』


 大丈夫だとは答えてるが、書類整理だけで怪我なんかしないから……私のやっていることが薄々ミカちゃんにもバレてきてる可能性もあるよな。

 前世のノエルは身体中傷だらけになりながらも、剣を握れなくなるような重大な怪我を負ったことが無い……本当に最後の戦いの致命傷は、彼の中では初めての経験だったはずだ。

 骨を折ったり大怪我をするというのはあったようだが、不思議とその後の人生に関わるような怪我の記憶がないのも確かだ。


 勇者ヒーローパーティに属してからは『大司祭ハイプリースト』 アナ・コレーアのおかげもあって、大怪我をしても数日後にはピンピンした状態で立っていた、ということもあったようだ。

 あの治療魔法や防御魔法はまさに神の代理人と言わんばかりの威力だったなあ……お淑やかなお嬢様という印象だったアナだが、実は凄まじい酒豪であり二日間飲み続けても顔色すら変わらないという、彼女の肝臓はどうなっているのか知りたいレベルであったことを思い出す。

 ちなみにキリアンに心底惚れ込んでおり、キリアンの一挙手一投足を全て記録しては、毎日メモを見てニヤニヤ笑っているという、ある意味勇者のストーカーみたいな性格をしており、多分世界が平和になった後はキリアンとどうにかして結婚して幸せな人生を送っているといいなと思う次第である。


 話を戻すが私は……ノエルほどの打たれ強さがない、正確にいうのであればこの世界の人間としては恐ろしいくらいの耐久性を保持しているが、おそらく致命傷を負えば普通に死ぬだろうし、四肢をもがれてしまえば剣を握れなくなるだろう。

「運動能力をどれだけ上げられるか、が大事か……」


 アマラとの戦いで魔法に対する抵抗力が高いことは分かっているが、例えば剣で串刺しにされたら私死ぬんじゃないだろうか? いや普通死ぬだろそんなもん……だからいかに攻撃を受けないように立ち回れるのかを真剣に考えなくてはいけない。

 ノエルが先の先を重視していたのも案外そういうところもあるのかもなあ……傷を受けずに立ち回るというのは剣士の理想に近いのかもしれないしね。

「おや? 何を考えているんだい?」


「うひぃっ……って、エツィオさん……」

 急に声をかけられて私は後ろを振り返るが、そこには金髪碧眼のスーツを着たイケメン男性……エツィオ・ビアンキが立っていた。

 この人私の感覚に引っかからないんだよな……それで普段であれば接近されたらそこに誰がいるかわかるんだけど、この人は常に隠密ステルスに属している魔法を展開しているのか全く探知できない。

「って、なんで街中で声かけるんですか! ……学校のみんなに見つかったら変な噂立てられちゃいますよ……」


「ふむ……まあ、僕はそれでも構わないけど……君は不満かい?」

 ニコリと眩しすぎるくらいのイケメンスマイルをぶつけてくるエツィオさん……くそっ……何だか敗北した気分になって頬が熱くなる。

 エツィオさんはクスッと笑うと周りを何度か見て、人に聞かれないようにそっと私に耳打ちする。なんていい匂い……男性としては少しフローラルすぎる匂いな気もするが、心地よい香りがふわりと香る。

「固くならないで……美味しいスイーツ知ってるでしょ? 教えてよ」


 へ? キョトンとして彼の顔を見つめていると、少しだけ恥ずかしそうな顔でもう一度私に耳打ちをするエツィオさん。

「だから……美味しいお菓子のある店に連れてってって言ってるの。わかるでしょ?」

 あ、ああ……そっか彼、いや彼の本性は女性だから……美味しいものが食べたい、と。美味しいものを食べたい、スイーツを食べたいというのは万国共通の好みではあるので……そっか、ならの美味しいスイーツを紹介することはやぶさかではない。

「……ふふっ。警戒して損した……」

 なんだかおかしな気分になってしまってクスクス笑う私……そんな私を見て、ジト目で不満そうな表情を浮かべるエツィオさん。見た目よりも本当に乙女だな、エツィオさんは……。

「わかりました! では先生を美味しいスイーツのお店にご案内しますね!」




「で……これは? この馬鹿みたいに大きな物体はなんだ?」

 今私はいつものお店にエツィオさんを連れてきており、ジャンボチョコクリームスペシャルバナナパフェが私たちのテーブルに乗せられており、彼は唖然とした顔で目の前に置かれているその物体を見つめている。

 なお、ジャンボチョコクリームスペシャルバナナパフェは総重量が一キログラムを超えている物量であり、この店に来ている客層の大半はこのスペシャルメニューを見ることは少ない。


「エツィオさん、これ美味しいんですよ! なんてったってこのチョコレートがですね通常の三倍になってまして……」

 自慢げにこのパフェの良さを語り始めた私を置いて、彼は口元を押さえて気持ち悪そうに青い顔をしている……なんでだ? これほど美味しいスイーツは前世なんかじゃ絶対に食べれないものなんだぞ。

「君……味覚か満腹中枢ぶっ壊れてない? 大丈夫か本当に?」


「全然、フツーですよ! ほらこんなに美味しいんですよぉ、もうたまらない……」

 私はニコニコ笑いながらパフェにスプーンを突っ込んで食べ始める……その速度も含めて、エツィオさんは『うわぁ……』という顔しながらパフェを食べ始める。

 スプーンを恐る恐る口に入れたエツィオさんは、少しだけ驚いたように目を見開く。

「……まあ、クリームの暴力という感じではあるけど……味は悪くないな」


「でしょでしょ? 私一ヶ月に一回はこれ食べてるんですよぉ」

 私は既に半分くらいまで量を減らしたパフェを前に自然と笑顔になってしまう……普段はミカちゃんと一緒に食べているのだけど、ミカちゃんはこのパフェを絶対に頼まないからな。

 エツィオさんがこれを食べてくれるようになると私がパフェを食べにくる口実にもなるのだ、と閃いた! 私エツィオさんとスイーツ仲間になればいいんじゃないのか!?

「うぷっ……スイーツ好きだっていうから聞いたのに……ケーキとかさ、マカロンとかさ色々あるんじゃないのか?」


「え? 行きますよ? 次ショートケーキのお店紹介したいですし」

 こともなげにそう答える私を見て、エツィオさんは少しだけ何を言っているんだ? という顔をしていたが、言葉の意味を理解したのか急に驚き始める。

「はぁ?! まだ食うのか君は!」


「え? 食べますけど……家帰ったら普通に晩御飯も……」

 ってかそんな動きしたら周りのお客さんから痴話喧嘩っぽく見られちゃうじゃないですか……第一、エツィオさんが禁断の恋アモーレプロイビートとかなんとか言ってある程度距離をとってくれているわけで。

 エツィオさんは心底気持ちが悪い、という顔で目の前のパフェを私の方へと押しやると、青い顔でコーヒーを飲み始める。

「すまない、僕はもう食べれそうにないから……それ食べていいよ。それとケーキはまた今度にしよう」


「え? 食べていいんですか? やったぁ ♪」

 私は自分の分のパフェを片付けると、残されたエツィオさん用のジャンボチョコクリームスペシャルバナナパフェにスプーンを突っ込んで食べ始める。

 そんな私を見てエツィオさんは本当に呆れたような顔で呟く。

「君に聞いた僕が間違ってたよ……君は絶対満腹中枢が壊れてるよ、ほんと」


「満足したぁ……あとは晩御飯かなー」

 お腹をさすってニコニコ笑う私を見て、何か異界の怪物を見るかのような顔をしているエツィオさんだったが、周りに人がいなくなったタイミングで少しだけ真面目な顔になって口を開いた。

「なあ……腕は動くようになるのかい?」


「どうでしょうか……ちゃんと治療ができれば支障が出ないとは言われていますけど……」

 私は少しだけその言葉が心配になって、吊るしているギブスを見つめる……そうか、今日一緒についてきたのはこれを聞きたかったからなのか?

 現代医学だけでなく、KoRJの魔法医学は通常の人たちが考えているほど低くはない、とはいえ……動かなくなった腕を治すとか、失った四肢を元に戻すなんてことはできるわけじゃない。

「君は女の子なんだ……中身は男性だろうが、女の子が怪我をするようなことはしちゃいけないと思うんだよ」


「え? ちょ、ちょっと……」

 そっと私の頬に手を添えると、本当に心配そうな顔で私を見つめるエツィオさん。

 え? ちょっとなんか恥ずかしいんですけど……頬が熱い、イケメンにこんな顔をされると、さすがの私もドキドキしてしまうわけでして。


「いいか、本当に無理するな……君はもう僕に近い人間となってきている。そんな人間を失うなんて、前世だけで十分なんだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る