第四七話 恐怖の夜(テラーナイト) 〇一

 多くの人が感じない違和感はいつも、普通の日常から始まる……そんな夜に浮かぶ月は変わらずとても美しい。


 東京湾に浮かぶ人工島オダイバ……ショッピングモールや娯楽施設が立ち並ぶ人気の観光スポットだ。

 元々は古い時代この国が戦士の末裔だった頃に、外国からの脅威から首都を守るために建造された海上砲台を設置するための防御施設だった。

 未曾有の大戦が終わりこの国に平和が訪れた後、大規模な都市開発の中で計画された臨海副都心の一部として開発が進んだ地域でもある。


「この島の良いところは、侵入経路が限られており防衛がしやすい点、一度人を閉じ込めた場合に脱出経路が限られているため管理がしやすい点ね」

 荒野の魔女ウイッチことアマラ・グランディは、二人の部下と共に黒色のリムジンでオダイバ内を視察していた。彼女が設置を進めていた『隠し球』はこの人工島の各地に設置されており、実行を待つだけになっている。

 異世界とこの世界を強制的に繋ぐゲート……使用可能な時間は短く、呼び出せる量は少ないのだがこの島を制圧するくらいの戦力は召喚できるだろう。

荒野の魔女ウイッチよ……暴動ランペイジ、いやあなたの呼び方は謝肉祭カーニバルでしたか……開始の下知をお願いします」


「そうよ……せっかくのお祭りですもの、皆さんに楽しんでもらいましょう」

 目の前に座るスーツ姿……一見するとビジネスマンのようにも見える、かなり血色の悪い白い肌と赤い目をしている男性がアマラへと頭を下げる。

 アマラは静かにニコリと笑うだけでその男の問いには答えずにいる。

 現在アマラの部下は二名、目の前のビジネスマン風の男性……吸血鬼ヴァンパイアとして転生したロバート・バリー、彼は契約者コントラクターとなったアマラに仕える部下の一人。

 もう一名はその隣にいる護衛ガードを務める寡黙な男性……ドゥイリオ・ルビオという国籍も、出身地すら不明な謎の剣士だ。

 ぱっと見の外見は中東の男性であり少し肌の色が濃く髭をきれいに整えた男性だが、傍らにはその姿には不釣り合いな印象の鞘に入った片手半剣バスタードソードが置かれている。

 ロバートは少し訝しげな顔を浮かべて自らが敬愛する荒野の魔女ウイッチの顔を見つめる。ドゥイリオは特に気にした様子もなく、押し黙ったまま座っている。


 アマラが自由に動かせる戦力のうち、強力な降魔デーモンは後二体……人の身では倒すことのできない怪物が存在している。

 そのほか不死者アンデッドや幻獣、魔獣の類など複数の戦力を用意している。

「私たちの目的は一つ、このオダイバを制圧してKoRJの主要メンバーをこちらに引き付け殲滅すること。そのための準備はすでに終わっている。あとは確実にトドメを刺していくだけよ」

 特にあの少女……ララインサルが言うところのミカガミ流の剣士は要注意だろう。戦闘能力が高すぎる……不確定要素として不安を感じるが、大丈夫最悪私がいれば倒せるはずだ、あの方もそう望んでいる。


荒野の魔女ウイッチよ、あの女剣士は私が相手をします」

 ドゥイリオが久々に口を開いた……とロバートは少し驚いたように側の仲間を見る。仲間とはいえドゥイリオはララインサルが連れてきた男……魔剣を使う剣士で、この世界では存在しない不思議な剣術を使うと説明されている。

「お任せしますよ、この世界では剣士は貴重でしてね……あの少女を止められるものがいるとすれば、同じ剣士であるあなたでしょうね」

 アマラはドゥイリオを見つめて少し艶っぽく笑う。アンブロシオの命令でララインサルがどこから連れて来た男……アマラ本人の見立てでは明らかにこの世界の住人ではない、と思う。なんというか纏っている雰囲気が歴戦の戦士のようにも思えるのだ。

「お任せあれ……その少女が使う剣術が気になっておりまして、実際に手合わせをしたいと思っておりました」

 ドゥイリオはアマラに不器用な笑みを向ける……こういう表情は嫌いではない。アマラは頷くと窓の外へと目を向ける。良い月夜だ、このような夜に見える月は美しい。

「この国では月にウサギがいる、というのでしたっけね……」


 銀色の月を見ていると、昔彼女のことをとても真剣な目で見つめてきたアーネストのことを思い出してしまう。今は関西で目撃されているというが、大丈夫……この謝肉祭カーニバルには間に合ってくれるだろう。

 ああ、愛する……いやアーネスト……私は本当の愛を手に入れてしまったから、あとはあなたを殺すだけしか愛を表現する方法がないの。


「さあ、謝肉祭カーニバルを始めましょうか……この世界を震撼させる謝肉祭カーニバルを、……この世界の人たちに伝える言葉があれば、私はこう伝えるわ」

 アマラは邪悪な笑みを浮かべながら、パチンと指を鳴らすと……ロバートとドゥイリオがそっと首を垂れ……闇に掻き消えるように姿を消していく。

 リムジンを止めて、車を降りると夜風にそっと靡く髪を抑えながらアマラは笑みを浮かべたまま独り言を呟いた。


We Willお前達をあっと Rock Youいわせてやろうとね……」




「ねえ、夜の海って少し怖いよね」

「そうだねえ、引き寄せられるような感覚があるよねえ」

 砂浜で愛を語っていた女性が、夜の東京湾を眺めながら愛する男性へとつぶやく。男性は頷くと彼の愛する女性をそっと抱き寄せて黒い、とても黒い夜の東京湾へと視線を向ける。

 そこで彼らは違和感に気が付く……彼らの目の前に海の中からゆっくりと裸体を晒した金髪碧眼の女性が姿を現す。とても豊かな乳房を曝け出したままのその女性は、男性の唖然とした視線に気がつくと優しく微笑む。

「バラー……ドゥジェルヴァゲルト」


 何語だろう……不思議な言語で喋る裸の女性を前に困惑するカップルを尻目に、恥ずかしがる様子もなく裸の女性はゆっくりとこちらへと進んでくる。おかしい、彼女は上半身をほとんど動かさずにどうやって海の中を進んでいるのだろう? とカップルが気がついたその瞬間、海の中から狼の頭が姿を現す。

「狼?! 何あれ……」

 カップルが息を呑むが、裸の女性はニコニコ笑いながらゆっくりと海の中からその姿を現していく……海から現れた女性の下半身には足が存在せず、複数の狼の頭と、力強い狼の脚を生やした……人間では考えられないような冒涜的な姿をしているのだ。

 オデュッセイアを知っているものであったなら、その姿が神話に登場する海魔スキュラであったことに気がつくだろう。美しい女性の上半身に複数の狼の顔と、たくさんの狼の足を生やした奇怪な怪物……。


「フデュルゥゴ……ジェマドゥルディ。バーダー!」

 海魔スキュラが声を張り上げると次々と東京湾から、奇怪な怪物がオダイバの砂浜へと上陸していく。カップルの横を恐ろしく巨大なカニのような生物や、翼の生えた蛇、そして剣や盾を持った骸骨が姿を現していく。

 あまりの現実離れした光景に、カップルが呆然とその光景を眺めている中……海魔スキュラが彼らにニコリと笑うと、彼女の下半身から突き出した狼の顔がカップルを見て、ニヤリと笑う。大きく開いた口から涎が流れ……視界を大きく覆っていく。血飛沫と、断末魔の悲鳴が砂浜にこだまする。

「ヴァラヴァラ……フェンルゥイ……グラドゥマフイル……」

 海魔スキュラの美しい上半身の顔は、飛び散った血を指で絡めて舐めると、次第に混乱を増していく娯楽施設へと歩を進めていく。本能のままに殺し喰らい、混乱を巻き起こす……これが彼女たちに課せられた使命。海魔スキュラは邪悪な笑みを浮かべて、目の前の光り輝く施設へと複数の足を動かして歩いていくのだった。




『オダイバに火の手が上がっています! 大変なことになっています! 決して近くに行かないようにお願いします!』

 テレビ中継の女性アナウンサーが火の手と悲鳴、そして混乱の巻き起こる夜のオダイバをヘリコプターから撮影しながら叫ぶ。あまりに現実感のない光景、この平和な国に混乱と破壊が巻きおこっている。爆発音が響くと、娯楽施設の一部が爆煙をあげて消失していく。

『今何が起きているのでしょうか?! オダイバは今大変なことになっています!』

 女性アナウンサーの悲鳴のような叫び声が、日本全国に生中継されている。本当に誰もが何が起きているかわからない。少し前、この国を大災害が襲った。その時もこの国に住む人たちは『今何が起きているのか』全く理解できなかった、まさに今それと同じ光景が繰り広げられている。

『スタジオです! 今オダイバで何が起きているのでしょうか? 中継の栗林さん! 何が見えますでしょうか?』

 スタジオの音声が割り込み、緊張感と使命感からか栗林と呼ばれた女性アナウンサーは再び口を開こうとして絶句のようなうめき声をあげた。


『あぅ……』

 テレビキャスターが次にカメラを向けた先に不気味すぎる蜥蜴のような鋭い歯を持った飛翔する生物が口を開けて襲いかかってくる光景が画面いっぱいに広がると、映像が途切れる。

『栗林さん!? 栗林さん!? 申し訳ありません、現在映像が途切れております! オダイバで大変なことが起きています!』

 スタジオのアナウンサーが悲鳴のような絶叫で、繰り返し途切れた映像の先にいるであろう女性アナウンサーを呼び続けている、誰もが何が起きているのかわからない、そんな夜が始まろうとしていた。


「あかりん……何が起きてるんだろう……」

 私は……その様子を、ミカちゃんと寄り道したあと帰宅の最中にあったのだが、家電総合販売店の店頭で映し出されているあまりに混乱したニュース映像を見て絶句していた。

 ミカちゃんがあまりに現実感のない映像を見て、不安そうにつぶやく。彼女を見ると少し肩が震えているのがわかる。私のスマホが震えてメッセージを着信する……わかっているこれはKoRJからの呼び出しだろう。

「ミカちゃん、家にすぐ戻って。絶対に外に出ないでね、約束だよ」


「あかりん? 待って!?」

「いいね!? 早く家に帰って! 私はバイトだから! また明日!」

 私はミカちゃんに微笑むと、肩をポンと叩いてそのまま走り出す……混乱が起きているとはいえ、この国の交通機関はそう簡単に止まってしまうことはない。今ならKoRJに向かうことはそう難しくはないだろう。

 私は走りながらスマホを操作してメッセージを確認すると、そのメッセージは八王子さんからだった。

『緊急招集だ、灯君』

 私はスマホをカバンへ放り込むと改札を走り抜けて、ホームへと上がり……ドアが閉まる寸前の電車へと滑り込み、ホッと息を吐く。

 電車内ではあまりに混乱した状況に、乗客も皆スマホを眺めたり友人たちと不安そうに話し込んでいる。いきなり走り込んできた私を気に留めるような様子もない。


「なんて……なんてことしてくれたのかしら……まさか強硬手段に出るなんて……」

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