バイバイ天使

傘井

バイバイ天使

今日は珍しく寝起きが良かった。いつもなら重い瞼をこすりながら台所にたっているが、眠気は全くなく、心なしかいつもより卵焼きが上手に焼けている気がする。最後の日でもあり、大事な門出の日にこの卵焼きを焼けた事に少し感慨深さを見出してる時に、嫁である知美が二階から降りてきた。

彼女は45年間見せてきた、変わらぬ笑顔で私に明るくこういった

「将司さんの作るご飯はいつもおいしそうで眠気がとんじゃいますよ」

知美は結婚した当初から私をよく褒めてくれたがいまだにどのように対応していいか、分らない。

「ああ」

でもそんなぎこちない私に、嫌味を言わずに、彼女は微笑みで返してくれるのであった。

卵焼きを二つの皿に分けて、盛り付ける。その間彼女は、自分の分と私の分の、味噌汁とご飯をよそいでいた。居間の机に今日の朝食が全て用意されて、座布団が置かれた自分の定位置に胡坐で座る。対面はまだ彼女が座っていなくて庭が見える。見慣れた筈の松の木も特別な日である今日見ると、美しく思えた。明日からは、ここの対面には誰も座らなくなるのだからこの美しい松の木を存分に眺めながら朝食を食せる。しかし私には明日もこの松を美しく思える自信はなかった。トンという木が瀬戸物と接触した時の音で、意識が戻る。対面には笑顔の知美がいて、たべましょうよとやさしく語りかけてくれた。彼女はいつもこのような柔らかい布質のような声だか、いつもより、私に寄り添って問い掛けられるように感じられた。ふたりで最後の「いただきます」を復唱した。

 彼女と結婚して45年たつ。明るい嫁と無口な夫よくある組み合わせだが、自分にとってそれはとても居心地が良かった。お見合い結婚であったが、彼女と結婚した事が自分の人生で数少なく誇れることであった。子育てもひと段落し、定年退職して、いつもの無口の口を勇気を振り絞りこじ開け、彼女に「二人で静岡にでも旅行にいこう」と告げようと思った夜に知美は私に土下座をしてこう告げた。

 「本当にごめんなさい。私と離婚してください。」

 突然の事に唖然としている私に彼女は、「山田 将司」の欄だけて書かれてない離婚届けを差し出した。状況を飲み込めてない私に対して、知美は泣きながら、いつものやさしい声でここまでの経緯を語ってくれた。

 簡潔にいえば彼女はレズビアンだと私にカミングアウトして、好きな女性とこれから一緒に暮らしたいという。45年間隠していたが、本来彼女は同性である女性しか愛せないという。しかし当時の世間は同性の恋は認めず、大好きな両親は孫を見たいと願っていたため、私と結婚したそうだ。

 結婚生活を思い返せば彼女は女性アイドルに対して人一倍愛好していた。45年間という間様々なアイドルが登場してきたが、彼女は全ての時代で並みならぬ熱を込めて応援し続けた。注意する所が見当たらない、彼女唯一の短所である、浪費癖は女性アイドルグッズの大量購入からきていた。今思えばレズビアンという本来自分の個性をひた隠しにしている事のストレスを女性アイドルの応援で発散していたのであろう。

 そういえば一回だけ二人で出掛けたデパートに、彼女が当時応援していた、女性アイドルがお忍びでショッピングを楽しんでいた。彼女は少し悩んだ後慎ましい態度で、アイドルに話しかけた。当時知美は50代後半ということもあり、若者を主に相手しているアイドルの彼女にとって、高齢で同性のファンは珍しかったのか、気さくに接してくれ最終的にツウショットで写真を撮った。その時の彼女の顔は緊張してる顔だと最近までおもっていたがあれは、それまでろくに女性と喋った事がない私が、知美と初めてあったときにした表情と同じものだったんだろう。

 知美が離婚する経緯を全て話した後、最後に

 「でもあなたのことは心から愛してるんです。本当に私が悪いの」

 といつもの笑顔がない知美は告げた。いつもの自分が思っている事をあまり口にしない私はこれだけ告げた

 「君が笑顔でいられる人生を歩んでいってほしい。」

 

 最後の朝私は彼女に対して初めてリクエストした。

 「知美の好きな人の話をしてくれないか」

 彼女はとびきっりの笑顔でこれから一緒に暮らす女性の話をしてくれた。

 この姿を見て私は確信した。


 

 私は知美の事が大好きだった

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バイバイ天使 傘井 @ogiuetika

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