第41話 陰気ちゃん⑩

私は鍵の数を増やして貰った。


一度獲物の味を覚えた獣と一緒に過ごすには今の檻は余りにも心許ないからだ。


その気になればドアを壊してまでも入ってくるかもしれない。


母は相変わらず呑気な笑顔で過ごしている。「〇〇ちゃん今日はね・・・」


話が殆ど入って来ない。


あの日無理やり父に手籠めにされてからは家に居ても身も心も休まらない。


母が気付かない事に、助けてくれない事に殺意を抱いていた。


誰よりも信頼している母だからこそ助けて欲しかった。


父は別人の様に私に優しくなった。


私がまた心を許し、傷の舐め合いをするとでも思ったのか?


限界だった。


自分の境遇が平和である日本だからこそ、同じ時間に幸せに暮らしている人間が許せなかった。


母親は私に通信教育をさせる為に古いPCを私に買って与えた。


僅かな可能性に賭け、何時間も勉強した。


外に出られない私にとってインターネットは全てだった。


ネット世界の住人は可哀そうな人間しか居なかった。この世は楽しい事よりも辛い事の方が多い。


私はそう確信した。


体感時間が何倍にもなる位に一日が早く終わる気がしていた。


何もせず、ただ暗闇でジッと辛い事だけがフラッシュバックする日常は辛かった。


やる事が無いのもあるが何をしようとしても身体が動かないのだ。


何をやっても全て徒労に終わる気がして、物事の始めを絶望から、悪い事から感じ始めるようになっていた。


ネット世界の住人はそんな人種ばかりだった。


一人でも大丈夫だと口では大層に話し、人との繋がりを誰よりも求めている。


皆、自分が不幸にならない様に必死に他者を攻撃する。


弱い自分を見られたくないから、弱点を突かれると簡単に壊れかけてしまうから。


或いはもう既に壊れているのかもしれない。



私は気が付いたら17歳になっていた。


私の人生は余りにも空っぽだった。


好きな人も居ない。やりたい事も無い。将来の夢もない。


これから先どうやって生きていくのか分からない。


外には殆ど出ていない。


今更外に出られるなんて思っても居なかった。


あの一件以来、父からは何度も襲われレイプされている。


私は自分の身体を鍛えていた。少なくとも獣から自分の身を守れるように。


アイツのせいで風呂もトイレも自由にいけないのが本当に嫌だった私は死ぬほどに鍛錬し勉強した。


出来なければ自分の命に関わると感じていた。


アイツと同じ人生を送りたくない。


身体が大きくなった15歳まで私は犯され続けた。


初めて撃退した時に父が言った言葉が私の頭を駆け巡る。


「お前も俺を拒絶するのか・・・お前も変わってしまうのか」


父に何があったかは分からない。


ただこの世は奪られる側に回ってはいけないのだ。奪う側に回れとは言わないが、いつでもそちら側に立てるようにする必要がある。





13歳の時にインターネットに本当に辛い時に救われる”ジブリッシュ”という言葉があると私は知った。


ジブリッシュとは意味の無い言葉を出鱈目に発言し、身振り手振りも自分で作る即興劇みたいなモノである。


私もやってみる事にした。どうせ時間は幾らでもある。


「あじゃらぽじゃらぽう!ぽう!ぐったらほい!」日本の伝統芸能で歌舞伎というモノがあるらしいのでその動きを取り入れてみた。


ついでに母の化粧ポーチを借り、歌舞伎のペイントを自分に施す。


「あぱかーっ!あんジャンとがぁ?ぐえぐえモルモルふぁ?」


意味不明な言葉を唱えながらとても繊細な行動作法の動きをする。


意味不明な言葉を言いながら歌舞伎の動きは難しく、意外と楽しかった。


「あんがぁー!(喜)ふんぼぼー!(怒)じゃっぺんぺん・・・(哀)アパチャイチャイ(楽)」


喜怒哀楽を混ぜ、片手を突き出し首を変に傾けより目をする。




より目で見た先に母が居た・・・


「〇〇、、、ちゃん?」


母は泣き出し、私の言い訳を何一つ聞かずに私を病院に連れていく。


お陰様で私は自分に選択制緘黙せんたくせいかんもくと社会不安障害がある事が分かった。


母がしきりに私が奇天烈な格好をして、謎の言葉を叫んでいたと先生に訴えている。


「あの子は歌舞伎の化粧をして、喜んだり、怒ったりしながら訳の分からない事を叫んでいたんです!どこか脳とかに異常は無いですか先生?治る薬を下さい!」


私はと言うともう恥ずかしさの極みで、何故あんな事をしてしまったのか本当に後悔した。


結果から言うと”ジブリッシュ”には確かに救われた。


私に自分がどういう障害があるのかがはっきりと分かったからだ。


失ったものも同じ位大きかった私は母に見つからない所でジブリッシュを繰り返していた。

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