第30話 気楽ちゃんー終
空っぽだった。
妹の為に使っていた時間は自分自身の心の安寧の時間でもあったのかもしれない。
妹は自分の中で生きているなんて言葉は嫌いだ。
都合が良いのは分かるが、私の心はそんな言葉に騙されない。あれだけ怖がっていた妹は怖い思いをしたままに死んだ。
それが全てだ。
暫くの間の家族の情緒はおかしくなっていた。事あるごとに何かを思い出して泣いている。忘れらんないんだ。
あの子の涙を、あの子の癇癪を、あの子の苦悩を。
姉の瞼には飴玉が入り込んでいる様に腫れていた。
母は何も話さない。
父は仕事に逃げている。
TVのドキュメンタリー番組を見て嫌気がさす。可哀想な人を撮って可哀想な気持ちになる幸福人。
メディアを媒介に周りに周知出来た事に意義があると言うが、その後に行動しなければ、何かを昇華しないと意味が無い。
チャンネルを回すと映る、外国と言う名の幻想郷では銃を片手に人と人とが殺しあっている。それは遠い国の他人の出来事では無いのだ。
幸せな人間は手の届かない範囲の出来事を可哀想だと言って自分達の幸福を噛み締める。
不幸な人間は自分の事で手一杯で手の届く範囲しか見る事が出来ない。
人間なんてそんなものだ。
夜の帳が落ちる。
義姉の顔が見たい。避けられているのは分かっている。
でも無性に逢いたくて、触れたくて仕方が無いのだ。
いつかこの目も耳も聞こえなくなる事は分かっていた。
今しか彼女の真意は聞こえないんだ。
ドアの前で踏ん切りがつかずに熊の様にウロウロと落ち着きが無い。知る事が怖かった。
性格上、私を嫌いになった訳では絶対に無かった。
見られたくないのかな?ああ見えて強情で頑固だ。自分の弱い所を私に見せまいとしているのだろう。
呼吸を一つ取り、ドアを開けた。
悩みはどうせ逢ってからも出てくる。話したい気持ちが勝った。
義姉は眠っていた。
起こさない様に近づいて行く。寝顔は穏やかでこれから自殺しようとした人間には見えない。
起きない。眠りが深いタイプなのだと知った。
手持無沙汰になり、周りを見る。
簡素な引出しの付いた白い収納具が目につき、『人と仲良くなる為の関西弁ー第二の故郷大阪編』という本が置かれている。
懐かしい記憶を辿って笑みが零れる。
本を捲ろうと手に取ると下に重なっていて見えなかった何かが落ちた。
地面に落ちて開いている手帳の文字が私の目に入る。
私の名前が書いてある。
悪い事をしているという思考の余地は無く衝動的に見てしまった。日記だった。
日記
『〇〇を知ったのは彼女が他の患者と喧嘩している時だった。小さい女の子が大の大人相手に諭している。我が強いタイプだと思ったので近付かない様にしようと思った。振り回されるのはもう懲りていたから。』
『次に会った時には彼女の周りに何人か集まって楽しそうに自分達の症状や夢について語っていた。それはここではタブーなのだ。先の事を話してはいけない。死が全てを阻む事を思い出させるからだ。でも彼女達は自分達が死ぬ事なんて忘れて楽しそうに話していた。あの笑顔が頭から離れない。』
『彼女が泣いている。誘った相手から死ねと言われたり天使になったつもりかとからかわれていたからだ。無性に苛立ちが止まらなかっ た。ただ断れば良いだけではないか?相手を傷つける必要が無い。彼女が離れた後にも笑っている二人を見て私は我慢が出来ずにタブーを破る。貴方達はそうやってただ人を傷つけて死ぬだけの人生なのね。何も分からず、一人で死んでいく。昔、動画で見た猫に襲われそうになった鶏に似ている。何も言わず固まったまま動かない。』
「ズズッ」
『彼女の会に入る。学校に行ってたらこんな感じなのかなぁと思った。誰かが話したい事を話し、誰かが笑う。それだけでここに居て良かったと思えた。あの二人も彼女に謝り、彼女は快く迎えている。限りなく透明な彼女の心が気が付けば好きになっていた。』
『彼女の様子がおかしい。仲間が一人一人と死んでいくのを彼女には受け止めきれないのだ。死に逝く者も辛いが、同じ位に遺された者も辛いのだ。彼女は自殺しようとしていた。ためらった。気持ちは分かる、止めるだけのモノを自分は持っていないかもしれない。でもせめて彼女からもらった気持ちは返したかった。彼女は今回は繋ぎとめてくれた。生まれてから一番嬉しかった。彼女が死なないで本当に良かった』
「字が震えている」
捲る度に義姉の気持ちが伝わって来る。気が付けば涙が止まらなかった。
ページを進めるスピードが上がっていく。
『彼女の様子がまた怪しい。元気が無く最近は身体も動かしていない。逢いたい。けれど私の身体も限界が来ている。脳に異常がある私はいつ死ぬかも分からないしどうなるかも分からない。怖い。』
脳の病気だったのか。
イントネーションの指摘は失言だった。
『彼女の命が終わろうとしていた。私も段々とモノを考えられなくなっていた。私は助からない。脳を移植する訳にはいかないからだ。ただ彼女は生かせるかもしれない。私の内臓を使えば良いのだ。合うかどうか分からないが、助かる可能性が少しでもあるならそれでいい。姉妹が欲しかった。短い間だったけれど妹が出来たらこんな感じなのかと思えた。姉だと思ってもらえてたら嬉しいなあ。彼女には本当に申し訳ないけれど私は・・・いや何でもない』
日記は此処で終わっていた。その先にも空白のページは半分以上ある。
書ける所はまだ幾らでもある。まだ生きているのだ。
これからも姉妹仲良く過ごして生きたい。
義姉が死ななくて本当に良かった。
「見たんか?」
姉がこっちを睨んでいる。
「見てないよ。お姉ちゃん」
「コレは見てるなぁ・・・悪い妹や」
私が笑うと義姉も笑う。
「生きてて良かったわお互いに。」
「〇〇さーんどこに居ますか?」
看護婦が病室に居ない私を探しに来ている。
「ヤバイ。もう行かないと」
「そっかぁ。またなぁ妹よ」
「うん。また遊ぼうねお姉ちゃん」
私は病室に戻る。
ああこの時の私に戻りたい。
この日から義姉は4年間目を覚まさなかった。
話したい事は沢山あったのに。
そして私が17歳になって少し経った時、また私の内臓が駄目になっている事が担当医から告げられる。
2か月以内には内臓が壊死する事が伝えられた。
もっと最悪なのは義姉がこのタイミングで目覚めた事だ。
義姉にとっては最高のタイミングなのかもしれないが。
決めていた事があった。もう移植は受けたくなかった。
これが私の寿命なのだ。
病院を飛び出してここに来た。
もう誰も私の為に犠牲になって欲しくは無いから。
「これでウチの話は終わりです」
「ぐすっ」
彼方此方から嗚咽の音が響く。
彼女の外見からは想像もできない話に面食らっていた。
彼女を自殺させない方法を話しを聞きながらずっと考えていた。
怒らせてみてはどうか?
彼女を怒らせてこの会を長引かせる事で警察に来てもらい拘束させる。病院で移植を受ければ少しは生きられるかもしれない。
だがその先は?
自身が何故辛いのかを理解している彼女にとって言葉で生かすのは不可能に思えた。
そもそも電話していない。殺人鬼を見つける事に気をやり過ぎた。
何か宗教的な物を頼るか?
一度は宗教に頼っていた過去はある。だが話の途中で神への恨みがひしひしと伝わった。
神の言葉はもう届かないだろう。
無理矢理拘束して若しくは気絶させて、いやそれでも結局は駄目か。
思いつかないこのままでは・・・
赤目が私の事を見ている。私にどうしろと言うのだ。
しかしとんでもない一言がこの場に落とされ、私の意識は持っていかれる。
「良かったです。ここに死にたい人が居る」
陰気な女が気楽女に微笑みかける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます