第14話 不運君⑨

母が見つかったと報告があった。


会社には一言仕事を辞めると告げ、辞職理由は一身上の都合とだけ伝えた。


見つかるのに多大な時間と費用が掛かった。探偵への依頼も片っ端からやったので、何件依頼したかも10を超えてからは数えていない。


探偵達は格好付けて成功報酬でお金を受け取ると言われたり、依頼自体にお金が掛かったり、失敗しても前金を払うシステムのせいで胡散臭い職業だと余計に感じてはいたが、考えを改めよう。人探しにもちゃんとプロは居るのだ。


「少し出掛けていきます。もしかしたら今日でもう会う事は無いかもしれません。今まで本当にお世話になりました」


手紙一つ残して出ていけば簡単な事だと思っていたが、少しだけ「いつまでも居てくれてもいいし、好きに出て行ってもいい」という言葉に感謝を示したかった。


そういう意味では成長したのかもしれない。


それとも母が祖母の前から消える時に手紙一つで出ていったと聞いた事が同じ事をする気にさせなかったのかもしれない。


「そうかい。母が見つかったんだな・・・」


何も言わずに靴紐を固く、硬く縛る。心の決心が鈍らぬように、柔らかい気持ちを持たない為に。


「一つだけ言わせてほしい。お前の母さんは私の教育が歪んでいたせいでああなった。お前がそうなったように。」


世間にはどれくらい居るのだろうか?孫や息子に"お前"という人間は。


「あの子には辛い思いをさせたし、そんな私がお前を教育することはどうしても出来なかった」


靴紐を何度も解き結ぶ。


「言い訳をするつもりじゃないが・・・お前が母を殺すと、間違った親鳥を殺すというなら・・・」


苦しい。


「その前にもう一人の間違った親鳥の私を殺してほしい」


僕が言った言葉には矛盾が有るのだ。だから見ないようにしていた。


母は今でも祖母にどこか怯えている様に見えた。


統計的に悲しい数字がある。


虐待されていた親は愛し方や正しい躾が分からずに同じ事を繰り返してしまう人が一定数居るのだ。


まるで呪われているように自分はそうやって生きてきたからという言葉一つで同じ事をやってしまう。



<主人公視点>


身に染みて男には分かっていた。


辛い事や悲しい事が多い人間は麻痺してしまうのだ。


友達や知人からつらい体験や悲しい話を聞いても自分はもっと苦しい思いをしていたと考え、自分の過去と比べてしまう。全然辛くないと、自分に比べればマシな方だと見当違いの話をする。


本当は辛いのだ。


自分の辛い人生もかつては小さい不幸が始まりだったろうに。


苦しさは人によって違うし、”心のトリガー”は簡単に引いて良いものではない。

私にとって”幼馴染”はトリガーであり、この男にとって”間違えた母親”がトリガーなのである。


人の苦しみと自分の苦しみを一緒にしてはいけないのだ。


しかしながら人間は痛い思いをしなければならない。腕を失ってから誰よりも腕の有り難さを知る生き物でもあるから。


傷を重ねることによって人は強くなっていく。それは身体も心も一緒なのだ。




僕は矛盾を抱えたまま駆け出した。


後には遺書があるから殺しても自殺になるだの、人を殺してはいけないだの(今更そんな教育をするのか)、知りたくもない過去をべらべらとつらつらと僕に証言する。


僕は悪くない。あいつは人じゃない。だったら殺してもいいだろう。別の生き物で在ってくれ。僕と同じ境遇で同じ過去を持たないでくれ。


嫌だと思っていた衝動性が・・・母が祖母を殴っていたのは僕と同じだったのか?

同じ事を親子3代で辿っているのか。それともずっと前から繰り返しているというのか終わらない悲劇を。



母は酷く寂れたアパートに住んで居た。


僕は辺りからアパートを伺う。本当に居るのだろうかこんな場所に。


靴紐は緩く解け切っている。


こんな風に外に追い出された事もあったなぁ。いよいよ自分は捨てられたのかと思い泣き叫んでいた。


何時間も泣き叫んでいた。どうすればいいのか分からなかったからだ。


母が痺れを切らし人様に迷惑だからと中に入れてくれた。僕は嬉しかった。捨てられていたのなら中に入れる事は無いはずだから。


僕は何度も謝った。母は黙ったままそのまま寝てしまった。


泣きつかれた僕も眠っていた。




気が付くと一人のスーツを着た男がアパートの前を通っていく。


背は小さいが中肉中背で体格が良い。自分よりも一回り以上、歳は離れているだろう。


探偵に聞いた通りだった。


今は男と一緒に住んで居て結婚して家庭を築いている。


男が階段を上りチャイムを鳴らすと中から「はーい」と言って女が出てくる。


少しも変わらない母がそこには居て、僕の気持ちは落ち着けた。


僕はアパートに向かって歩み始める。背中とズボンの間には包丁が日の目を待っている。

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