第9話 不運君④

継接ぎのフィルムが途切れ途切れ、浮かんでは消えていた。


辛い事ばかりが悪目立ちしていたせいで、頭の片隅に追いやられていたのか。それともそれは僕の頭が勝手に作った夢、幻なのか。


原因不明の高熱が出た。薬を飲めども下らずに意識も混濁していた。


「このまま死んじゃうかもね。もう大丈夫だよ。後は一人で・・・」


僕は殴られたくなくて、そう笑いかけると、母親は


「そんな事は思っても言わないものよ。良いから余計な事を考えずに眠りなさい」


そう言うと必死に頭の濡れタオルを変えてくれたり、身体の汗を拭いてくれた。


僕は嬉しかった。母は泣きながら「ごめんね。本当にありがとうね」と言い


僕は「僕がお礼を言う方じゃないの?」と言うと


「ううん私がお礼を言う方なのよ。さああまり喋っても辛いでしょう。お休みなさい」


僕は夢うつつの中やっぱり熱でおかしくなっているのだと思っていた。


母さんが子守唄を歌いながら僕を看病してくれていた。


ああやっぱり夢だ。もうすぐ目が覚める予感がする。このまま眠っていたいなぁ。

僕の頭が作った自分勝手な夢だとしても、もう少しこのままで居たいなぁ。


気が付いたら真っ暗闇の中に居た。


「ここは?」


身体中がブリキのおもちゃみたいに動く度に軋む音がする。


自分の身体を動かそうと命令を送っても、骨も筋肉も私の行動に猜疑心を持ち動こうとしない。


多分ここは天国じゃない。ここが天国なら身体はいくらでも動くはずだ。


腕を動かそうとしても血の通ってないゴムの様にただだらしなく垂れている右腕のその先に、夢の続きがあった。


母親が僕の手を握りながら、眠っている。


僕は顔を見たその瞬間に涙がただ溢れてきた。僕は今、悲しい訳では無い。嬉しい訳でもない。


この涙は、初めて流した幸せの涙だった。


僕は今、初めて生きている事に感謝した。そして麻酔が僕と一緒にゆっくりと目を覚まし、意識が遠のいていく。


ああこの瞬間が永遠ならいいのに、このまま今度は起きていたいのに、ギリギリまで顔を見ながら眠りに着く。



「本当に申し訳ありませんでした」


聞き覚えのある声が赦しを乞うている。それは今回の出来事に?それとも今まで自分がしてきた行為に?


園の職員が園長と共に母親に謝罪している。


「謝らなくても結構です。私は許しませんから」


いつもの強気な母がそこには居た。


「今回の出来事で私は考えを改めました。私は母親失格でしょうが、貴方達にはもう任せられません。子供達3人は引き取ります。更生プログラムは終わっていなくても文句ないでしょう福祉司さん」


虐待をしてしまった親は二度と過ちを起こさないように、自分の何が問題だったのか、自分自身が何故虐待してしまったのかを頭の中にではなく、言語化し見えるように視覚化するための講習がある。


福祉司とは子供の担当として親と施設の架け橋になる人だ。


僕の場合は心のケアが多目に必要だったのか、何度もこの人は会いに来た。この人は嫌いじゃなかった。少なくとも僕の話を聞いてくれるし、嫌な事は絶対にしないからだ。


園の職員が焦ったようにセールスマンの様な甘い話を繰り返すが、母親はそこに存在を認識していないかの様に福祉司に充血した目で訴えかけている。


福祉司は興奮している馬をあやす様になだめるが、こうなった母を止められないのを僕は身を持って知っている。


結局半ば無理やりにでも僕達3人は家庭に返された。


但し条件として祖母がいる家庭に5人で住む事。更生プログラムは引き続き受ける事。福祉司が定期的に子供達の様子を確かめに来る事。この3つを守る事を条件に僕達は解放された。



久しぶりに僕達は母親と暮らす。結論から話すと僕達は今度は違う社会福祉法人の施設に入る事になる。


福祉司としては祖母がクッションになる事を期待していたのだろう。祖母は確かにクッションになった。


じゃあ更生プログラムが上手くいかなかった?


更生プログラムはちゃんと修了した。


子供達に変わった様子が出て来てしまったのだろうか。子供達の様子は保護前と変わらなかった。それが問題だった。


家族がもう一度揃った時、母親はもう一度やり直そうと心から思ったに違いない。少なくとも病院での大立ち回りの間はそうだった。


しかしこの悲劇は幕を閉じない。


最初の3か月間は良かった。祖母がしっかりとしたご飯を作ってくれる。母は料理を作らないのではなく作れないという事が初めて分かり、料理教室や祖母に習ってぎこちないながらも作ってくれる。味はどうでも良かった。


僕が料理をせずに、食べた事の無い料理を親鳥から雛達に分け与えるという行為が僕は嬉しかった。


自然界では親は子供がある程度育つまでは面倒を見ると施設に通っていた頃の学校で教わった。但し、それは自分の巣の中での出来事だ。


隣の木の巣の雛がどれほどお腹を空かせて餓死しようと、木から落ちて助けを求めても、助ける事は無い。


学校の帰り道に巣から落ちて泣いている雛鳥に出会う事が有った。


僕の身体は考えるよりも前に助けようと動いていたが、躊躇し辞めた。僕が助ける事はその瞬間は自己満足に酔いしれるだろう。


だがもし、親鳥が帰ってきた時に雛が居ない事をどう思うか。


今は餌を取りに離れているだけで、帰巣したら餌を捨ててまでもきっと助けるに決まっている。


そうであるべきだ。人のエゴで理を歪めてはならない。


僕は帰るべき門限を超えてまでも、その場で陰に隠れ息を殺し、じっと待った。


時間の感覚など無かった。必ずこの結末を見なければ、僕の気持ちは永遠に晴れる事は無いと確信していた。


下には落ちた雛が自分泣いている。


その鳴き声が何度も反芻し、いつの間にか握った拳には、じんわりと汗が滲んでいる。


僕達は巣から落ちた雛だったのか?


このまま雛の鳴き声は誰にも拾われず、ただ死を待つだけなのか?


僕自身も泣いていた。それでもたとえ残酷でも最期を見なければならない義務があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る