第8話 不運君③

そんな場所でもう一度虐待を追体験するとは思わなかった。


職員は僕が全く何もする気が無い事が気に食わなかったのだろう。


毎日無理やり起こされたし、歯磨きをしなかったり、宿題をしなかったらちゃんと叱られた。これ自体は嬉しかった。


殴られずに、痛い思いをせずに物事を理解できたからだ。


でもそれでも僕は歯磨きも宿題もしなかった。


後に僕が自分で調べて分かった事だが、これは"試し行動"と呼ばれるモノで相手がどれだけ信頼が出来るかワザと困らせたり、どこまで自分を見てくれるかワザと悪い事をする行動だったんだ。


当時の僕はこの環境が天国だとは思っていなかった。


前よりマシぐらいにしか思ってなかった。誰も信じられなかった。世の中に本当に僕達を可哀そうだと思って接してくれる人間なんて居ないと思っていた。


園内について話すと、男と女は別々の棟で管理され、大体1部屋8人位で構成されていた。僕の部屋は特に荒れていて、何人も別の部屋に避難していて僕を含めて半分の4人しか居なかった。


職員は大体一部屋に3人以上居て、時間帯で変わっていた。宿直などで止まる事も有るから、決まった時間に同じ人しか居ない事はない。


職員たちも最初は貼りついたような笑顔で僕達の事を見守ってくれた。


でもいつまで経っても改善しない状況に段々と笑顔をする事もせず、分かりやすく簡単な見せしめの罰を選ぶようになった。


宿題をしなかったからおやつは無し、おやつは元々年長の先輩にほとんど持っていかれて無かったからどうでもいいが、朝起きなかったから次回の買い物に連れて行かないと言われ、それは今後も取り下げられる事は無かった。


入居者たちには元々の親からお金を預かったり、児童手当と呼ばれる国から年齢に応じてお金が支給される。


それで自分の必要な物や自分の趣味の物を買ったり、本当は出来るんだ。僕には縁の無いモノとなった。


僕の生活は段々前の暮らしとほとんど変わらなくなっていた。


少しずつ見放されていった。表向きはあっちも仕事だからそんな素振りは見せない。


でもあれだけ聞いてくれた「将来の夢は何かな?」も「絵本を読んであげる」も僕にはもう向けられなかった。


決定的だったのは僕が珍しく癇癪を起して職員に逆らった時だった。


職員の一人が僕の事を殴った。度重なる言う事を聞かない自分にあっちも咄嗟に手が出てしまったのだろう。


職員は一日に3人以上居たし、重なる時間は一杯あった。僕が殴られている時ももう一人の職員は居たしこっちを見ていた。


でも僕を助けてくれる事は無かった。


あの時と一緒だ。ここも同じなのだ。


結局誰も助けてくれない。ああ、ここは地獄なのだ。


「同じ歳の人間が、同じく生きている小学生全員が憎くて、羨ましくて堪らなかった」



不意に向けられるとんでもない殺意。


その皮膚を刺すような感覚は、私にたんこぶの痛みを忘れさせる程の迫力があった。




僕と彼らの間を隔ているものは何だ?


そうだ。親だ。親が違うんだ。たったそれだけの事でこれだけの苦しみを味わっている。


母親の事はなんだかんだで園に会いに来てくれる時は、少しだけ嬉しかった。


いつも下の妹の話しかしなかったけど、それでも母親の中に少しでも僕らの事を考えていてくれるだけで嬉しかった。


僕も愛されたかったし、普通の家庭で暮らしたかった。僕が死んだら或いは母親は悲しんでくれるんだろうか?


その頃の僕は自分が死ぬ事だけを考えていた。


正直ここは監獄の様に職員が逐一監視しているし、毎日日誌を書いて僕らの事を報告されている。


どうすれば死ねるか?小学生ながらに考えた。


園内で実行する事は無理だ、ここは決められた行動を繰り返し、変な事を出来る暇がない。


夜の就寝の時でさえ、こちらが寝るまで何度でも見てくる。


じゃあ学校ならばどうだろう?


あそこには職員が居ない。職員は僕らが学校に行っている間、掃除や洗濯や職員同士で集まって何かをしている。


そう考えた時、この計画は成就すると思えた。僕はいつもより早く眠りに着く事が出来た。


もうこんな風に考えなくてもいいんだ。


お母さんは僕が死んだら泣いてくれるかな?


もうこんな人生は終えて、今度生まれ変わったら普通より少し裕福な家に生まれたい。


母親が泣く姿を想像しながら、自分の頬に流れる涙を拭く事もせずにそのまま気が遠くなっていく。


学校の放課後に僕は屋上から飛び降りた。少しでもちゃんと死ねるように頭からちゃんと落ちた。


飛び降りた瞬間、身体の5感も一緒に死に向かっていた。目は捨てた道を見ないように瞑り、耳はただ風の音と僕の心臓の音を伝え、鼻は吸う事さえできない。肌は温度の無い風を当てられ、口には生きる為に食べたご飯の味も思い出せなかった。



一瞬、飛び散る・・・

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