第2話 邂逅

「近づくんじゃねえ」


ボス山のサルが咆哮しているが、大きな群れは歯牙にもかけない。


「いいぞ。さっさとやれ」


歯の根も合わないほどに震えていた。草臥れた毛皮のコートの端を引っ掴む。


「早くそんなところから降りなさい」


思わず耳を抑えたくなるような、激しい振動が耳を衝き、

瓜二つの衣装を身に纏った正義漢は居丈高にオウム返しをする。


「さっさとしないからだ」


視界が狭まった毛皮のフードから恨めしそうに光の方を覗く。


「今ならまだ間に合う。馬鹿なことをやめるんだ」

(さっさとやれ!やってしまえ!)


「ちくしょう。もう知らねえ」


「キャッ」


甲高い声が響くと、堰を切ったように人波が動き出したのが遠目に見て取れた。


「確保!男を確保!」


いつか見た害獣の捕獲のように一方的に捕まっている。


「ちくしょう。死なせてくれー」


しょんぼりとアパートから降ろされていく男は今にも消え入りそうだった。


傍らで世界一幸せそうな顔をした女が惚気ている。


「私も死にたくなるような事が一杯あるからあのおじさんの気持ち分かるよ」


「大丈夫。俺がお前を世界一幸せにしてやるよ」


退屈な劇を見るような目で、一部始終を見た後に毛皮のフードを深く被り直すと踵を返し、闇に溶けていく。


「結局そうだ。人間は臆病だ、、、だが俺は成し遂げて見せる」


一言呟くと、もう震えは止まっていた。


   

****     



何をしても続かない人生だった。


三日坊主な訳では無いのだが、私の人生はいつも続ける必要があるのか分からない程の障害に立ち会う。


勿論、皆様が仰る様に、私は辛抱が足りないのかもしれない。


ただ漫画や映画のヒーローのように、絶対に成し遂げる!なんて熱情を抱けるほどの被虐心は無い。


17時のチャイムのように耳に入ってくる(世の中にはもっと苦しい思いや、辛い目に遭っている人もいる)なんて三文台詞には吐き気がする。


ならば何故(世の中にはもっと楽しい思いや幸せな目に遭っている人)に目を背けるのだろうか?


それとも幸せに疑問を持つ自分自身に聞かせるように私に毒を吐いているのだろうか?


何をしても続かないが、心の怨恨だけは寝ても覚めても続いていた。


許す、赦さないではない。

私はただ抗っているのだ。自分自身に・・・


ただ何の意味もなく人の流れを眺めている。


意味もなく海に行きたくなったり、川の流れに魚影を探してみたり・・・その秘密見たり!なんて気持ちもサラサラ無い。


目の前で楽しそうにしている学生たちには申し訳ないが、今すぐに隕石が降ってきて世界が滅びてほしい。


ヤクザの事務所に行ってピンポンして、銃で即死させてくれって頼んで殺してほしい。


頭に浮かんでは一生、実行する事ができないまるでファンタジーの世界の絵空事ばかりだ。


ずっとこびりついている。「生きる」とは?「死ぬ」とは?「幸せ」とは?「不幸」とは?


こんな事を楽しそうな街で悶々と考えている時点で自分は酷く不健康なのだろう。


楽しそうな人達を見て思うのは、(良かったね)という感情しか浮かんでこない。


良くも悪くも人の幸せを憎んだり出来ない性格だし、殺してほしいと言うのもやはり語弊がある。


幸運なのは先ほどから不審な動きをしている自分を誰も咎めないことだ。


道行く誰も彼もが私の顔すらも見ずに目の前を通っていく。まるでそこには存在していないかのように・・・



「俺はただ自分の存在が最初から無かったかのようにただ消えたいだけなのか」


目の前にいた学生たちの動きがピタリと止まる。

(しまった!)


我ながら単純なミスをしたものだ。口に出してしまうとは・・・


学生たちはこちらを見てはいるが、目を合わそうともしない。気持ちは分かる、俺だって関わりたくない日中のホラーだ。


ましてや出てしまった台詞も本当に気持ち悪い。


気まずそうに少し速足で学生たちの脇を通り過ぎようとする。


刹那・・・


身体が止まる。腕を掴まれているのだ。恐る恐る腕の先を見ると黒髪の長い女性が立っていた。


「貴方は・・・抗っているのですか?」


質問の意味が分からない・・・が、話しかけられた以上返事をしなければならない。


「すいません。変な言葉を言ってしまい」


「良いのですか?」


間髪を入れずに短く、しかし何処か見透かされたような気持ちになる。


そこで初めて少女の様な幼い顔を見る。赤い目をしている。


「すいません。仰られてる意味が私には分かりかねます」


見れば見るほど綺麗な瞳だった。しかしその目は灯りを宿していないようにも見える。


「貴方は生きているとは言えません。ただ死には抗い続けている。ボクにはそう見えます。」


人を見る時に真っ直ぐにこっちを見てくる・・・とても苦手だ、自分を、弱い部分を見つけてくるようなその目は、私には痛い。


苦し気に喘ぎ声をあげ怒気を込めながら


「そんな事がどうして貴方に分かるんですか?今ここで初めて会った貴方に」


赤目の取り巻きの学生達はほんの僅な空気の変化に気づいたのだろうか?何かを話しているように見える。


「ボクには分かります。すいません目を見られるのが嫌なのですね。目線を下げますのでこちらを見てください」


私は意地になって相手の目を見ながら


「私の気持ちは貴方には分かりません。何もかも当て外れです。さっきのは私が好きだった映画の台詞を口走ってしまっただけです」


赤目の少女は私の胸の辺りを見ている。それはそれで動揺を見られているようで怖い。



「私達は今日死にます。」



何を言ってるんだ?コイツは?


取り巻きも赤目に慌てながら、若しくは怒るように


「お前は何を言ってるんだ。こんな場所で!」


口々に不安の声を上げている。


「私達はこれから知るんです。死というのは一体何なのか?その答えを」


道行く人達がこちらを見ている。歳を綺麗に重ねた女性が心配そうにスマートフォンで何処かに電話しているのが見える。


「近づくんじゃねえ」


ライオンの鬣のような髪形をした金髪の大男が叫んでいる。


赤目と金髪はこちらを一瞥した後に人の流れに逆らうように人気の少ない道を進んでいく。


取り巻きも夢から覚めて意識を取り戻したかのように、その後ろをついて行く。



(近づくんじゃねえ)


呆然と、しかし燦然と記憶に甦る。


この先に起きる悲劇を・・・止める者がいなければどうなるかを

私は溜め息をつきながら、学生達の後を追うことにした。


赤目女はこちらを一目見て笑ったような気がした。

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