今でもずっと死にたいあなたへ
世界の大やん
1章 プロローグ
第1話 はじめに
「死にたいなんて、馬鹿な事を言うな」
「死んだら周りの人がどんなに悲しむか。死ぬなんて考えるな」
「自分で命を絶つのは罪であって、人はどんな事があっても生き続けるものだ」
「生きるのはとても素晴らしいこと。神が貴方を創造したのには理由がある」
こんな言葉について貴方はどう思いますか?
正しい。間違っている。それだけではない。様々な意見があると思います。
人は会話や態度、思想、表現によりコミュニケーションを構成する生き物です。
ただし、自殺志願者において、これらの言葉に対する意見は共通しています。
興味が無い・・・その言葉について何も感情が湧いてこないのです。
世の中で社会的に生きていくと、貴方は何かに心がぐしゃぐしゃになる程に動かされる事があると思います。
一人は憧憬のヒーロー映画に、一人は忘れられない音楽に、一人は熱を感じる触れ合いに、一人は古臭い町の匂いに、一人は生きていることを味わうことに、貴方は人生の消費に苛まされる事でしょう。
人の心は単純です。良い気分の時は楽しく、嫌な気分の時は苦しいのです。
その苦しい気持ちが常に付き纏っている人間に貴方の言葉は届きません。心に響くことが無いのです。その言葉について考える余裕すらも無いのです。
自殺志願者にとって先ほどの言葉に対して何かを感じる事はありません。
心配してくれている。私の事を想ってくれる。便宜的にそう思ってもそれはラベリングされた社会的な感情でしかありません。
ラベリングという言葉は私が心理学専攻で大学にて講義を受けた際に、一番最初に学んだ心理学用語でした。
ジェームズ=ランゲ説と呼ばれており、アメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズとデンマークの心理学者カール・ランゲの二人が提唱したことで「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのである」という言葉があります。
貴方は自分自身が抱いているその感情を、自分で決めつけていることをこの言葉は表しており、テレビを観たり、音楽を聴いているときに知らずに泣いている事が有るとしたら、ソレは悲しいから泣いているのではなく、泣いている自分の涙を見て自分は今、悲しんでいるのだと感情を決めてしまうのです。
自分の気持ちは必ずしも自分の感情が素直に出るのではなく、決めつけられた感情が出ることも有るという事です。
このラベリングが自殺志願者には表れているのではないかと私は考えています。
自分自身の心が必ずしも揺ぎ無いものだと考えて日々を過ごすと、人生は生き辛いのです。
貴方が今、辛いと思うなら何故辛いのかについて考えない限り、本当の感情に気づくことは無いのです。
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