第9話 お互いの気持ち
ロードリー公爵領は、高度1000メートル程の上空に浮かぶ周囲約220キロの浮遊島だ。
と言っても、この世界の浮遊島は動き回っている事は無く、殆どがその場から動く事は無い。
浮遊島は、地球の海のような広大な広さを持つ塩湖の上空に浮かんでおり、その塩湖は更に強大な氷で周りを囲まれている。
更にその氷は氷結した水素やヘリウム、それに氷で出来た薄青い雲の上に浮かんでいて、雲の中は入れば一生出る事が出来ない氷結の地獄とされている。
浮遊島の多くは、下部に大小様々なツララのような鍾乳石や硬い土の突起物が下向きに出ている。
この突起は、島の山が低ければ短く、逆に高ければ湖面に達する。
人が住む島の殆どは、浮かんでいる高度も関係するが、突起が塩湖に達している事が多い。
太古の昔から、動物や植物はこの湖面に達した突起から島の上部に登って行ったと見られている。
ロードリー公爵領の山は、浮かんでいる高度から更に2000メートル高く、下部の突起部分の多くは水面に突き刺さっていた。
その湖面に突き刺さった突起からは、多くの物質が水中に溶け出している。
それらはプランクトンを育て、また生物の格好の隠家を提供したため、豊かな漁場となっていた、
島の表面は急峻な高い山がそびえていたが、山は標高が高い分雪を常に纏い、それが豊かな水源となり、田畑を豊かにした。
一見特産物の無い島ではあったが、飢える事は無く、むしろ取れた食物を他領へ輸出出来るくらい豊かな土地であった。
そんなロードリー公爵領の宮殿脇にある飛竜の厩舎に、乗竜服を着たスサノオがいた。
目の前には子供の頃から馴染みだった飛竜がいる。
「オロチ・・・もう少し待ってくれないか?そしたら一緒に飛んでやるから。」
そう言って、スサノオはオロチの頭を撫でてやった。
オロチは嬉しそうに目を細めた。
スサノオはその様子を見て微笑むと、手綱をつけ、鞍一式をオロチにかけて帯を閉めた。
そしてリサが来るのを待った。
シュミレーター訓練で本気でアルベルトと対峙しヘトヘトになった後、アルベルトは念を押すように言った。
俺に任せろと。
手伝うと言ったが、いいから任せろ、何も心配は要らないとまで言った。
どうせ後でブツブツと文句を言うのは目に見えているが、それでも男気を見せたかったのか、計画から根回しまで全てやってくれた。
自分がやったのは待ち合わせ場所の指定だけだった。
アルベルトが上手く出来たか不安ではあるが、あそこまで自信満々に任せろと言い切った彼を信じたい。
上にバレるかも知れない。
パイロット、“ドラゴンライダー”を辞めさせられて、一介の兵に落とされるかも知れない。
あるいはもっと酷く、懲罰房とかに一生入れられるかも知れない。
それでも、それでも今日一日だけはリサと過ごしたい。
そうしなければならない。
そうでないと、リサの気持ちに応えてあげられない。
今日だけは、騎士団員でも無く、公爵家の令嬢に対してでは無く、幼馴染から離れ、愛する一人の人間として共に過ごしたい。
たった一日でいいんだ。
暫くすると、“アルベルト”がやって来た。
勿論、スサノオにはリサに見える。
リサも乗竜服を着ていた。
事前の打ち合わせ通り、スサノオはアルベルトとして接した。
「遅かったな。」
「あ、ああ。」
「じゃあ、この前、俺が勝ったから約束通り、“アルベルト”が後ろな。」
「ああ」
リサが上手く話を合わせてくれる。
この時間の厩舎には殆ど人はいないが、マイク付きの監視カメラが何箇所かにつけられている。
だから人がいなくても演技が必要だ。
スサノオはオロチを厩舎から連れ出し、やや広い草地の広場へ移動した。
移動するとスサノオはオロチに跨った。
そして片手で手綱を取り、“アルベルト”へもう片方の手を差し出した。
「乗れよ」
リサは無言で手を差し伸べると、スサノオの手を掴み、オロチに跨った。
そして、背後から腕を前に回してスサノオに抱きついた。
「オロチ!行くぞ!」
そう言って、スサノオは手綱を取ると両足で軽くオロチの脇を叩いた。
するとオロチは返事をする様に鳴き、そして翼を広げた。
魔力が流れ、風が起こり、浮き上がった。
オロチは翼を目一杯広げると風に乗って上昇した。
ゆっくり、ゆっくりと上昇気流を掴みながら旋回をする。
厩舎が足元に見え、やがて宮殿の庭園が見えて来て、それが小さくなると、宮殿全体が眼下に見えた。
警備している騎士団の地上戦隊や、宮殿に出入りしている人物が小さく見える。
スサノオは手綱を取ると、オロチを島の縁に行くように誘導した。
オロチはゆっくりと旋回をすると、指示された方向へ向かう。
眼下に川が見える。
川にかかった橋を農民が毛牛に馬車を引かせ渡っていた。
その先には小さな集落が見え、子供達が遊んでいる。
やがて島の縁が見えた。
そして陸地が消え、川も消る。
消えた先、縁から1000メートル下は塩湖だ。
オロチは真っ直ぐ縁を目指し、そして島を出た。
スサノオは再び手綱を使い、オロチに高度を下げるように誘導した。
オロチはゆっくりと降下する。
島の縁は内側に傾斜した崖だ。
それが徐々に分岐して突起物に変わって行く。
先程の川が滝となって流れ落ちていた。
スサノオはその滝の傍にある、塩湖に向かって下に突き出た突起物を目指す。
突起物に近づくと、そこには小さな窪みがあった。
中型の飛竜程のスペースがやっと入れるような場所だ。
スサノオはそこに降りるようオロチを誘導し、オロチは嫌がる事無く、難なく降りた。
湖面からの高さは数百メートルくらいだ。
川の滝が湖面まで下りきれずに霧となっており、光を反射させてキラキラと光っていた。
スサノオが先に降りた。
そして片手をリサへ差し出した。
「着いたよ。」
「うん」
そう言ってリサはスサノオの手を取り、オロチから降りた。
「どうしてもリサと一緒にここに来たかったんだ。」
「うん」
リサは少し微笑みながら、頬をほのかに紅くさせ頷いた。
リサはオロチの体を撫でながら、寄りかかるようにゆっくりと腰をおろした。
その横にスサノオが寄り添うように座った。
霧となった滝が目の前に見える。
滝の霧に反射した光が、湖に反射した光と合わさる。
その光とは別に、ところどころ虹もあり、幻想的な光の世界を作り出していた。
リサは静かに、スサノオに寄りかける。
スサノオはそっと片方の手でリサの肩を引き寄せた。
お互いに無言だった。
何も話さなかった。
時がとまる。
そう感じた。
無言であったが、ただ互いの存在を寄り添う事で感じていた。
何も言わなくても、互いの存在を感じるだけでいい。
これだけで心はもう通じている。
長い時間の末に、やっとお互いの気持ちを受け止めたのだ。
こうしてるだけで満足だ。
二人ともその幸福感で一杯だった。
スサノオはふと上の方を見た。
滝の流れる音が聞こえる。
リサも上を向いた。
二人とも上にゆっくりと顔を向け、滝が流れて来る方向を見た。
霧となる前の滝からは、水の塊が幾つも落下していた。
やがてスサノオとリサは、揃って顔を戻した。
そしてお互いに向き合い、黙って静かに見つめ合った。
お互いの瞳を見続ける。
暫くすると、リサは目を閉じた。
そして、そうする事が当たり前のように、お互いに唇を重ねた。
「ねえ。」
「何?」
「この前、本当は目が覚めてたの?」
「うん。途中からだけど。」
「どこら辺から?」
「頭を撫でてくれた時。」
「なんで目を開けなかったの?」
「リサが驚くと思ったから。」
「馬鹿・・・スサノオの馬鹿。」
「ごめん。」
そう言って、再び二人は見つめ合い、そして唇を重ねた。
もう、何も言葉はいらない。
無言で、二人はお互いの気持ちを確かめ合った。
この思い出の場所で、お互いがお互いを初めて意識した場所で。
スサノオもリサも、自分の気持ちに全く気付いていなかった訳では無かった。
ここに初めて来るまで、スサノオはリサをちょっと煩い、可愛い妹としか見ていなかった。
しかし、騎士学校に入る前にこの場所に来た時、初めてリサが妹では無く少女である事に気づいた。
アルベルトとリサと三人でオロチに乗ってここに来た。
三人とも大はしゃぎで、ここから霧となった滝を眺めていた。
ふとスサノオはリサを見た。
リサは美しい銀色の髪を風に揺らしながら、霧の滝に反射した光の中に立っていた。
紅い瞳を細め微笑みながら、滝を眺めている。
スサノオは心臓が強く鼓動するのを感じ、一瞬目を逸らしたが、再び見つめていた。
リサってこんな感じだったっけ?
その行動力で散々スサノオとアルベルトを振り回し、困らせて来た幼馴染が綺麗な美少女に見えた。
光の渦の中にいるリサ。
何もかもが美しく見える。
この気持ちはなんだろう?
どうしてリサがこんな姿だって今まで気づかなかったのだろう?
どうしようもない、切ない気分になった。
リサはリサでこの時、どうしようもない寂しさを感じていた。
顔では笑ってはいたが、心の中では、これから数年間一人になってしまう事に不安を感じていた。
特にスサノオと暫く会えなくなる事に、耐えがたいものを感じていた。
幼少の頃から、スサノオと兄と三人一緒に色々な事をして来た。
遊びもしたし、勉強もした。
いろいろと暴走して、いつも迷惑をかけていた。
なのにスサノオは凄く優しかった。
こんな我儘で、他の貴族からは蔑んだ目で見られている自分なのに、いつも優しかった。
そんなスサノオがいなくなってしまう。
今まで甘えて来た人がいなくなってしまう。
リサは出来れば泣きたかった。
でも、これから騎士団に赴き、厳しい訓練を受けるスサノオを心配させたく無かった。
だから無理にでも微笑む事にした。
振り向くと、スサノオはこちらを見ていた。
リサは少し驚いた。
スサノオは普段とは違う表情でリサを見ていたのだ。
スサノオとリサはお互いを黙って見た。
互いが互いを特別な思いで見ていた。
しかし変な所で真面目だったスサノオはその気持ちを押し殺してしまった。
自分は騎士爵の息子であると。
そしてリサもスサノオを不安にさせたくなかったため、気持ちを押し殺した。
一人、アルベルトだけが気づいたのではあるが。
結局二人は、長い間、相思相愛である事に気づかなかった。
しかし先日のハプニングでやっと気づき、お互いの気持ちをこうして確かめる事が出来た。
もう何も怖くない。
例えこの件がバレて、例え引き離されたとしても、絶対にこの想いは消させない。
誰にも邪魔をさせる事は出来ない。
スサノオとリサは再び互いにもたれかかりながら、ずっと滝とその先に見える湖面をいつまでも眺めていたのだった。
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