第6話:確認(後)

「着いてきて」と一言だけ残しスタスタと教室を出て行った若狭百恵の後を追い、歩いた。


……歩いた。


…………歩いた。


おいおいどこまで行くつもりなんだ、と、声をかけることすら憚られるほどに、スタスタと無言で進む若狭百恵に何とか追いすがっているうち、とうとう本校舎を飛び出して屋外テニスコートのさらに外れまでやってきた。


なんでそんな所にあるんだ、と言いたくなるような位置にポツンとある自販機の前で、若狭百恵が止まる。僕は若干息を切らしながら、その背中が自販機のボタンを押し、飲み物を取り出すまでの一連の所作を見届けた。


こちらを振り向いた若狭百恵の表情は、相変わらず強張った無表情のままだった。その手に握られているのは、つい先日僕の机の上に置き去りにされていた飲み残しと同じパッケージ。こんな所に売っているものだったとは、この学校に入学してもう一年以上たつのに全然知らなかった。


って、おい待て。まさかただこれを買いに来ただけなのか。一体僕は何のために着いてこさせられた? 


現時点での自分の存在意義が不明瞭すぎて、頭の中で思考がグルグルと回る。一体何が狙いなのかを必死に考える。


売っている場所を教えて、次回から僕に買いに行かせる、とかか!? だとしたら、ノコノコと着いてきてしまったのは大失策だと言わざるを得ない。教室からこの場所まで、どう考えても往復5分はかかる。しかも購買とは方向が真逆だ。絶対にそんな要求を受け入れるわけにはいかない。


来る横暴に備え、僕は心の中で身構える。ほぼ同時に、若狭百恵が手に持っている飲料を僕に差し出してきて、タイミングのよさに体が一瞬ビクッとなった。


恐々と飲料に視線を向ける僕に対し、正面から声がかかる。


「これ、飲んでみて」

「……」


本当に意味が分からない。


なぜ、どうして飲む必要がある? 僕にそれを飲ませたがる?


「な、何で」

「飲んで、感想を聞かせてほしいの」


だから、どうして。


意を決して質問をしたというのに、思うような回答が得られずに僕は苛立った。だが、向こう側はそれ以上答えるつもりは無いようで、こちらに飲料を差し出した姿勢のままビクともしない。


中に毒が入っているとかは、無いだろう。買ったばかりの新品であることは、僕が今しがた確認したばかりだ。


得体のしれない飲み物だが、売り物なのだから飲んで倒れるなどということも無いだろう。奴の取り巻きの一人は、これを飲んで吐いたらしいが。


僕に飲ませてそのリアクションを楽しみたい、とかだろうか。


一瞬浮かんだ発想が妙にしっくり来て、心臓に冷たいものが刺す。断ろうかとも思う。


「……だめかな」


だけど、目の前の真剣なまなざしが僕の心を揺さぶる。どうやら、そういう訳でもなさそうだ。その瞳には面白がるような色が少しも差していないことが分かってしまう。


ならば、なおさらに思う。どうして……?


かぶりを振る。もうどうにも、奴の思考を読み解くことが出来そうになかった。


観念し、伸ばされた手から飲料を受け取る。


「飲んで、味の感想を言えばいいんだよね」

「うん、お願い」


ホッとしたように笑みを漏らすのが、分からない。目の前のコイツは、分からないことばかりだ。


だが、僕が成すべきことは単純明快だった。そのことが今はありがたかった。


ストローを差し、その中身をすする。やけに粘性の高いその飲み物は、なかなかストローの口から出てきてくれない。


最後の一押しに思いっ切りすすった瞬間、一気に中身が口の中へと飛び出した。


「……っ」

「小瀬君……どう?」


むせ返りそうになりながらも、下にまとわりつく液体の風味が鼻筋を抜けていく。確かに独特な味だ。だが、覚悟していたほどかというとそこは拍子抜けだった。


「いや、まあヨーグルトと言えばヨーグルトっぽい……でも何か再現しようとして失敗したような、何か中途半端な味……かな」

「んーと……」


正直な感想を述べる。しかし、彼女は不服そうに首をかしげていた。


一体何が不満なのか分からず、眉をひそめる。僕の目の前に、人差し指がスッと向けられ、焦点のぶれた視界の向こうで奴の口元が動いた。


「美味いか不味いかで言って」

「え」


コイツは、どうしてこうも僕が困る要求を次から次へと浴びせることができるのだろうか。僕はわざと明確な言い表し方を避けたというのに。


だって、この飲み物は確か若狭百恵のお気に入りなのだ。美味いも不味いも、どちらを選んだところで奴の心を波立たせることになるだろう。僕はそれが嫌だったのだ。


自分の言葉が、趣向が、考えが、他者に影響を与えてしまうことが怖くて、だからそれを嫌がった。気が付いた。目の前のコイツの、訳の分からない要求のせいで。


本当に腹立たしい存在だ。僕も気付けなかった僕自身の思考に、コイツに気付かされたという事実が悔しくて仕方がない。


だから僕は、最後の意地で仕返しをしてやることにした。


言葉が震えないよう、閉じた口の中何度も歯と舌の動きを確認してから、断言する。


「不味い」

「あっ」


僕は、しっかりと見届けるつもりだった。自分の言葉が、目の前の彼女を傷つける瞬間を。それこそが、この言葉を口にしたものの義務だと思ったから。


なのに、若狭百恵の表情は一瞬の驚愕の後ふんわりと色めいて。まるで、まるで喜んでいるようにふにゃっと頬を緩ませて。


「そう、なんだ。よかった」

「え、え」


何でこうも、コイツは思い通りにいかない。


僕の横を通り過ぎ、タっと若狭百恵が去り際に、僕の懐に何かを押し付けていった。


「付き合わせちゃってごめんね、それあげるから!」

「ちょっ……」


不意に持たせられたそれのせいで、手を伸ばすこともできずに背伸びで彼女を見送るしかできなかった僕の手には、さっきの飲み物と、いつの間に用意していたのか、押し付けられたツナマヨのパンだけが残される。


そのチョイスは僕の趣向を知ってかなのかどうなのか。どちらにせよ、今の僕はこの与えられたパンの存在を喜べる心境ではとても無かった。


「……今日は、マヨコーンパンの気分なのに」


だから、聞く者もいない校舎のはずれの自販機前で、言い訳のようにつぶやいた。

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