第7話:席替え(前)

1時間目の授業が終わり、10分の休憩時間。自分の席でつい先日購入したミステリー小説を読みふけっていると、突然視界が白い影で遮られた。


「……っ」


思わず苛立って顔を上げる。僕の横に立っていたのは普段会話もしないような男子生徒だった。悪びれる様子もなく、そいつは一言告げる。


「えーっと、小瀬君? クジ引いて」

「あ、ああ……」


改めて、目の前に差し出された底浅の白い箱を見る。中には折り曲げられた紙が無数に入っていて、その乱雑さからは何とも言えない急ごしらえ感が伝わってくる。


手を伸ばし、紙を一枚とった。開くと中には『32』とこれまた雑なボールペン書きの数字が記されていた。


「じゃあ、6時間目のホームルームで席移動するから」

「……」


それだけ言って彼は、僕が頷くよりも早く他のくじを引いていない生徒の元へと去っていった。僕はそれを視界の端で見届けながら、教室後ろの黒板に直書きされていた座席表に目をやった。


32番は教室窓側端っこの、前から2番目の位置だった。まあ、それなりに悪くない席だと言える。だいぶ前の方なので、授業中の内職をしづらいという点ではよろしくないかもしれないが。


「修一、何番だった……お、隣だな」

「な、何だって」


隣にたった新橋がそう言った瞬間、32番の座席は僕の中でSSRランクまで一気に引き上げられた。新橋がこちらにチラつかせている紙に書いてあったのが26番。丁度僕の右側隣に位置する座席の番号だ。


僕は黙って手のひらを差し出した。まじまじとそれを見下ろし、不思議そうな顔をする新橋。


「修一、何かテンション高くないか」

「新橋、無理もないさ。僕にとって今回の席替えは特別なんだ」


そう、席替え。席替えである。


若狭百恵ら悪逆非道たる女子グループに昼休み時間の安らぎを侵略され、早一か月ほど。ようやく待ちに待った日がやって来たのだ。


窓側最後方に位置する現在の僕の席は、位置自体は非常に素晴らしく、手放すのが惜しいぐらいだが、これで奴らの被害から逃れられるのと思ったらこんなに嬉しいことは無いのだ。


僕と新橋は教室の喧騒の後ろで、ひっそりと手をたたき合った。僕の平穏な高校生活は、またここから始まるのだ。


「そう言えば、若狭さん達は席どこになったんだろうな」

「知らないね」


新橋の頓珍漢な問いかけに、僕はわざと強く断言し首を振った。奴の居場所など、僕にはどうでもいい。例え近くの席だったとしたって関係ない。


奴に対する僕の門戸は、もう完全に閉められているのだ。今後若狭百恵には、僕の人生を脅かすチャンスすら与えはしない。僕はそう心に決めていた。




だというのに、日常を脅かす刃は、全く予想外の所から僕の元へと降りかかって来たのだった。


「あのぅ、小瀬君。席私と替わってくれないかな」

「は?」


クラスの女子だ。もちろん、ろくに関わったことも無ければ、間違ってもそんな要求を気軽にぶつけ合えるような関係性も無い。彼女に対し、何かしらの借りがある訳でもない。


だというのに、どうして他人というものは、こんなにもあっさり自分の要求を他人にぶつけられるのだろうか。


人もまばらな渡り廊下で、僕はこれまでの人生で何回思ったか分からない疑問を、また頭の中で反芻するのだった。

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