第4話:発つ鳥跡を
とうとう恐れていた事態が起きてしまった。
昼休みの終わり際、若狭百恵らが去った後の自分の席の前で僕は愕然としていた。
目の前、机の上には一つの紙パック容器が残されていた。白と青と水色のラインの入ったパッケージデザインには、見たことも無いアルファベットの飲料名とその下に「ヨーグルト味」と書かれており、その上面にはストローが刺さっている。
当然これは僕が飲んだものではない。第一僕は現在、迷惑な女子連中のせいで昼休みは部室で昼食をとっているのだ。そうして、昼休み終わりギリギリで戻ってきたらこの有様である。
これはどう考えても若狭百恵が飲んだ物だろう。とうとう奴は、片付けもせずにゴミを僕に押し付けるという悪魔の所業に打って出てきたのだ。
やはり僕の予想通りになってしまった。一度席を明け渡してしまったがために、調子に乗り出した奴らはこれからどんどん不敵に、大胆に迷惑行為を働き始めることだろう。この放置されたごみは、その始まりという訳だ。
「クソッ…………?」
激情に任せその紙パックを握りつぶしてしまおうと手に持った途端、奇妙なことに気付いた。微妙に箱が冷たい。
持ち上げてみる。明らかに中で、半分ほど残っている液体が揺れる重みと感触が伝わってくる。
こともあろうに奴は、飲み残しごと僕に処理を押し付けてきたということだ。その事実を認識し、一瞬脳みそが破裂しそうなほどの憤りに支配されたが、その怒りはすぐに強烈な天啓へと変換された。
飲み残し、そうだ、飲み残しだ。これを利用すれば奴に一泡吹かせ、かつ奴らの増長にも一つ釘をさすことができるかもしれない。
チャイムが鳴る。午後の授業が始まる。
僕は少しばかりの重みを感じさせる紙パックを捨てずに一旦机の下に忍ばせた。この後行う作戦には、コイツの存在が不可欠で、目立つ場所に置いて教師に取り上げられるようなわけにはいかないからだ。
思いついた妙案の実行を思い、僕はニヤリと笑った。
授業終わりのチャイムが鳴る。次の授業時間まで、これから10分間の休み時間だ。結局ドギマギしてろくすっぽ授業に集中できなかった僕は、はやる気持ちを抑えながら足元の紙パック飲料を手に取り立ち上がった。
ゆっくりと移動し、目指すは隣の席の女子とのお喋りに夢中でヘラヘラしている若狭百恵である。
「朝陽、めちゃくちゃビクンってなってたねー。かわいかったぁ」
「お前がいきなり腰ツンしてくるからだろうが! これだから百恵の隣は」
「あの、ちょっと……」
前回の時とは違い、今度は堂々と声をかける。なぜなら、僕には話しかける正当な理由が与えられているからだ。
「え、
「いや、その、これ」
取り巻き女子の心無い言葉にも心を強く保ち、僕は二人の前へ手に持っているものを差し出す。両者の視線がまじまじと紙パック飲料へ注がれた。
そう、中身が残っているのであれば、「これ、置き忘れてたから持ってきてあげたよ」と善意の皮をかぶって突っ返すことが可能なのだ。ゴミだけでなく飲み残しまで押し付けてきた若狭百恵のずうずうしさを逆手に取った、起死回生のウルトラC的発想だと言えるだろう。もしこれが中身のない完全なゴミだったら、とても突っ返すなんて挑戦的な行動をとることはできなかったのだから。
自分の確信的発想に顔がニヤつきそうになるのを必死で抑えながら、さながら印籠でも掲げるが如く紙パックのパッケージを二人に見せつける。二人はそれをぽけぇっと眺めたかと思うと、両者同時にハッと口を広げ、声を上げた。
「あ、それって……」
「え! 小瀬君もそれ好きだったの!?」
だが、若狭百恵のクソでかいリアクションがもう片方の声をかき消して、その余りに的外れすぎる見立てに僕も言葉を失ってしまう。
若狭百恵は、僕の反応などお構いなしに興奮気味にまくしたて始めた。
「ちょっと変わった味なんだけど、美味しいよね! 体にもいいし……あ、聞いてよ、朝陽たちにすすめてみても『風邪薬のシロップみたい』とか言ってさ、常盤なんてトイレに吐きに行ってたからね!? 失礼しちゃうよね!」
言葉を思いっきり被せられて置いてきぼりを食らっている取り巻きの表情を伺う。その目と口は驚愕に押し広げられ、眉はこれ以上ないほどその間にしわを寄せて困惑を示していた。その彼女の内心が、僕には手に取るように分かってしまう。僕も今まさに同じように思っているから。
『コイツ、マジで何言ってんだ……!?』
流石に周りの反応がおかしいことに気が付いたのか、若狭百恵は次第にあたふたし始めた。
「え、何……どうしたの? 何かリアクション悪くない? あ、小瀬君ひょっとして私が本当にそれ好きなのか疑ってる? もー、しょうがないなあ、確かお昼に飲んだのの残りが……」
そして見当違いを加速させていく。焦っているのか知らないが、カバンの中をまさぐりながら中身が散らかり放題だ。イヤホン、ノート、ポーチ、何かよく分からないクシャクシャの紙……。
ていうか、普段は飲み残しの紙パックをカバンの中に入れているのかこいつは。とんでもなく知りたくも無さすぎる情報だ。
「あれぇ、ロッカーかな……」
とうとう首をかしげながら席を立ちかけた若狭百恵を、ようやく驚愕から立ち直った取り巻きが差し押さえた。
「いや、百恵あのさ、たぶんあの紙パックお前が小瀬君の机に置いてった奴だから。そうだよね、小瀬君」
「あ、うん、そう」
「へ?」
促され、ついあっさりと頷いてしまった。もうちょっと遠回しに『まさかわざと置いてった訳じゃないと思うけど~』とかねちねち迫ってくぎを刺してやろうと思っていたのに、これでは作戦は台無しだ。
結局、今回もまた若狭百恵のわざとらしい惚けに僕は敗北を喫してしまったという訳か。口惜しいが、仕方がない。
「じゃあ、これ」
ゴミを突っ返すことができるだけ、これまでの敗戦に比べたらまだマシだろうと、僕は紙パックを若狭百恵に差し出そうとした。
だが、いつまでたっても受け取るような動作が見られない。不審に思い、顔を上げて様子を伺う。すると、
「……~~っ!!」
そこには顔を真っ赤に染め上げて若干涙目になった若狭百恵が、声にならない叫びをあげているところだった。
「え、あの」
「………………ッ!」
声をかけた途端、スタスタと早送りにでもなったかのような速度で駆け出し、若狭百恵は教室を出て行ってしまった。
後には行く当てを無くした紙パックをその手にさまよわせる僕と、取り巻きの女子だけが唖然として残されるだけだ。本当にどうしていいか分からず立ち尽くしていると、取り巻きの女子は呆れたような声でボソッと言った。
「あー……あれは次の時間帰ってこないな」
独り言なのか僕に言っているのか判断しかねる内容に、僕は反応することができなかった。それにじれったくなったのか、今度は彼女は僕の方をはっきりと見て、名指しで声をかけてきた。
「小瀬君」
「あ、はい何」
「百恵が、もう何かスマン」
「あ、ああ、いいえ」
彼女が、若狭百恵の何について謝罪しているのかが分からず、そもそもなぜ彼女が若狭百恵の代わりに謝っているのかもわからず、僕は満足に思考を働かせることもできずに反射的に答えてしまう。
それに対し、取り巻きの彼女はぷっと笑った。
「優しいなあ、小瀬君は」
一体何がそんなに可笑しいのか、僕には分からない。ていうか、この紙パックもどうすればいいのか分からない。
「それ、飲んじゃったら」
「あ、あはは」
恐らく冗談であるその言葉に、僕は自信が持てない曖昧な笑いを返した。
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