1ー5
その場にいる誰もが、呆気に取られて茉奈香と井上の姿を見つめた。由佳と島田はぽかんと口を開け、山田と佐藤は大きく仰け反って、この珍展開を理解しようと必死に頭を巡らせている。当の井上は軽薄な笑みを引っ込め、ぴくりともせずに茉奈香を見返している。
「……やだなー。センパイ、冗談キツイっすよ」井上が引き攣った笑みを浮かべた。
「俺がソツロン盗んだって、何かショーコでもあるんすか?」
「証拠はありません」茉奈香がかぶりを振った。「しかし推理の結果、犯人はあなたでしかあり得ないのです」
「へぇ? じゃあ聞かせてくださいよ。何でこの2人じゃなくて、俺が犯人だって思うんすか?」井上が山田と佐藤の方を見ながら言った。
「いいでしょう。それでは、名探偵の華麗なる推理をお聞かせします」
茉奈香はそう言うと、またポケットから例のパイプを取り出した。おもむろに口に咥えた後、ベンチに腰掛けて悠然と腕と足を組む。
「今回の犯人の特徴として挙げられるのは2点です。1点目は学業に不熱心なこと、2点目は大胆な性格であることです」
「何でそんなことがわかるんだよ?」島田が口を挟んだ。
「順にご説明いたしましょう。まず1点目ですが、今回犯人が盗んだのが、卒論という特殊な物であったことに注目してください。
卒論は多大な時間と労力をかけて書き上げるものであり、書いた本人からすれば我が子同然の価値があるものですが、だからといって他の人間にとっても価値があるとは限りません。少なくとも金銭的価値という点においては、一介の学生に過ぎない島田君の卒論に価値はない。有名作家の発表前の原稿なら話は別ですけどね。つまり、犯人は金銭目当てで卒論を盗んだわけではないことになります」
「まぁ、そりゃそうだろうね」
由佳が頷いた。何を当たり前のことを、とその顔が語っている。
「にもかかわらず、島田君の卒論は実際に盗まれた……。つまり犯人は、卒論に金銭以外の価値を見出していたことになります。
では、その価値とは何か? ここで思い出していただきたいのが、島田君の卒論が完成していたという事実です」
茉奈香はそこで一旦言葉を切った。推理が聴衆の頭に染み渡るよう、10秒ほど間を置いてから続ける。
「大学生にとって、卒論を完成させられるか否かは死活問題です。何せ卒業がかかっていますからね。せっかく大企業に内定をもらっても、卒業できないのではお話になりません。犯人は卒業のため、何としてでも卒論を完成させる必要があった。つまり犯人は、完成済みであるという点で島田君の卒論に価値を見出し、今回の犯行を決意したのです」
「でもさ、卒論なんて自分でやればいいんじゃないの?」由佳が口を挟んだ。
「確かに完成させるのは大変だけど、わざわざ人の物盗もうって思う?」
「そこで、先ほど言った犯人の特徴に繋がるのですよ」茉奈香がにやりと笑った。
「ある程度真面目な学生であれば、自力で卒論を完成させようと考えるもの。ですが、今回の犯人はその努力を怠った……。元々勉強に興味がなく、卒業できればいいという考えだったのでしょう。ここから、犯人は学業に不熱心だったという結論が導き出され、同時に佐藤君が容疑者から除外されます」
「え、僕?」佐藤がうろたえた様子で自分を指差した。
「はい。あなたは先ほどのあたしとの会話で、こんなことを言っていましたね。『刑事訴訟法と宇宙工学の関係は興味深いテーマだ』と。これは、あなたが物事に何でも興味を持つ、研究熱心な性格であることを示唆しています」
「はぁ……。別に深い意味があって言ったわけじゃないんだけど」佐藤が頬を掻いた。
「あなたは見た目からして知性があります。あなたにとって卒論とは、単なる卒業のための方便ではない、学業の集大成とも言えるものだったのではないですか?」
「まぁそうだね。僕にとって卒論は、4年間で積み上げた英知を披露するもの。そんな栄誉ある機会に、人の
「そう、この語彙の豊かさからしても、あなたが知性豊かな人間であることは明らかです。学業に不熱心であるという犯人像には当てはまりません」茉奈香が重々しく言った。
「で……でもよぉ、だったらそっちのセンパイはどうなんだよ?」
井上が山田を指差した。焦りのせいか、額に汗玉が浮かんでいる。
「そのセンパイもケージソショー法を専攻してんだろ? 卒業がかかってるってんなら、俺よりセンパイの方がハンニンっぽいんじゃねーの?」
「そ……そんな、僕が人の物を盗むなんて」山田が急におどおどし始めた。
「そこで犯人の2つ目の特徴です」
茉奈香が不敵な笑みを浮かべた。山田と井上が当惑した顔で茉奈香を見返す。
「いいですか。人の物を盗むというのは、それ自体がリスクの伴う行為です。犯行現場を目撃されたら言い逃れのしようがありませんからね。
しかし今回の犯人は、そのリスクを物ともせずに卒論を盗み出した。よって犯人は、リスクを恐れない大胆な性格であることが推察されます」
茉奈香はそこで山田の方に視線を向けた。山田がびくりと肩を上げる。
「山田君、あなたはここへ呼び出されてからずっとビクビクしていますね。最初は犯行の露見を怖れているせいかと思いましたが、あなたの様子を見ている限り、元々臆病な性格のご様子。そんなあなたが、島田君の隙を狙って卒論を盗み出したとは考えにくい。
ましてあなたと島田君が一緒にいたのは昼休みの学食。周りには多くの人の目があり、犯行を目撃されるリスクはますます高まる……。あなたがそんなリスクを冒したとは思えません。
つまり、山田君は、『大胆な性格』という犯人像に当てはまらず、容疑者からは除外されます」茉奈香が淀みなく言った。
「いや、でも、人の性格なんて見た目だけじゃわからないじゃないっすか」井上が反論を試みた。
「ほら、人って追い詰められると何するかわからないっていうし、そのセンパイのゼミのセンセーって厳しい人なんしょ? 自分が書いたソツロンにダメ出しくらいまくって、やべー卒業できねーって追い詰められてたんじゃないっすか?」
「ち……違うよ。確かにダメ出しはいっぱい受けてるけど、だからって人の卒論を盗もうなんて……」山田もおずおずと反論した。
「山田君が犯人でないと断定するには、他にも理由があります」
茉奈香が勿体ぶった調子で言った。山田と井上が一斉に振り返る。
「山田君、あなたは先ほどこんなことを言っていましたね。『自分は最初から國枝先生のゼミを志望していた』……と。間違いありませんか?」
「え? うん。間違いないけど、それがどうかしたの?」山田がきょとんとした。
「國枝先生は大量のレポートを出すことで有名です。大量のレポートを課すということは、それだけ学生への指導に力を入れている証拠。当然、ゼミ生に求める研究のレベルも高くなり、他のゼミよりも卒論の作成に苦労することが予想されます。そんなゼミに好き好んで入ったということは、山田君が勉強熱心であることを示唆しています」茉奈香が噛んで含めるように言った。
「まぁそうだね。僕は元々、刑事訴訟法を勉強したくて法学部に入ったんだ。でも、西島先生は人気があるから、そっちのゼミだとやる気のない人と一緒になるんじゃないかと思って、だから國枝先生のゼミを選んだんだ」山田も頷いた。
「今の発言からもわかるように、山田君は自分の研究に誇りを持っていました」茉奈香が仰々しく言った。
「そんな人が他人の卒論を盗用するはずがありません。つまり山田君は、『学業に不熱心』という犯人の特徴にも当てはまらず、二重の意味で容疑者から除外されるのです」
「な……なるほど」
島田が思わず頷いた。意外と説得力のある推理に、いつの間にか聞き入っている。
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