1ー3

 茉奈香の大声に驚いたのか、近くの木から鳥がばさばさと飛び立っていった。周囲を行き交う学生達が足を止め、見世物でも見るような目つきでこちらを眺めてくる。


「……はぁ?」


 声を上げたのは島田だった。いきなり名探偵の名乗りを上げた茉奈香を、ぽかんと口を開けて見つめている。一方の由佳はといえば、また始まった、と言わんばかりに額に手を当ててため息をついた。


「木場、お前大丈夫か? 本読み過ぎて頭おかしくなったのか?」島田がベンチに置かれた分厚い本を見ながら尋ねた。


「ふふ……。これは名探偵の入門書のようなもの。ですが、推理力を鍛えるにはやはり現実の事件が不可欠。そう、これは名探偵、木場茉奈香の名を世間に轟かせるための初陣なのです!」


 茉奈香はすっかり悦に入っており、まるで島田の話を聞いていない。島田は弱り果て、助けを求めるように由佳の方を見た。


「なぁ、木内? 木場っていつもこんな感じなのか?」


「うーん、変なスイッチが入っちゃったみたいね。あんたが事件とか言い出すから……」


 由佳が肩を竦めたが、そこで気を取り直したように続けた。


「でもまぁ、せっかくだし、この名探偵さんに任せてみてもいいんじゃない? 卒論、見つからなかったら困るんでしょ?」


「いや、そうだけどさぁ……」


 島田は困惑して茉奈香の方を見やった。茉奈香は再びパイプを口に咥えると、ベンチに腰掛けて手と足を組み、『考える人』のポーズを取った。


「さて、それじゃ島田さん、事件当日のあなたの行動をお聞かせ願いましょうか?」


 茉奈香が真剣な顔つきで言った。言葉遣いまで名探偵になり切っている。島田は肩を落としてため息をつくと、諦めてこの遊びに付き合うことにした。


「事件当日って、昨日のゼミの後のことだよな? 俺、山田って友達と一緒に学食に行ったんだよ」


「友人の山田君ですね。彼の学部はどこですか?」


「同じ法学部だよ。ゼミも同じ刑事訴訟法だけど、あいつは國枝くにえだ先生の方だ」


 茉奈香の大学には刑事訴訟法のゼミが2つある。國枝先生は茉奈香達とは違うゼミの指導教授だ。茉奈香達の指導教授は西島にしじまという比較的若い助教授で、フランクな性格なので学生からの人気も高い。一方、國枝先生はいかめしい顔をした老教授で、講義では大量のレポートを課すので有名だった。同じ刑事訴訟法の担当でも2人の人気は雲泥の差で、西島先生のゼミは毎年抽選になっているが、國枝先生のゼミはいつも定員割れを起こしている。山田はきっと抽選に外れたのだろう。


「なるほど。それで、山田君とは何時から何時まで一緒にいたのですか?」


「そうだなぁ。授業終わってすぐ学食行って、3限始める直前まで一緒にいたから……12時10分から13時くらいまでかな」


「山田君と一緒にいた時、山田君があなたの鞄を探るチャンスはありましたか?」


「あったと思うぜ。俺ら交代で注文しに行ったから、俺が席を離れた隙に……って何、お前、山田が犯人だって疑ってんの?」島田が目を剥いた。


「あくまで可能性の話です。ですが、山田君も刑事訴訟法を専攻していた以上、卒論を盗む動機はあったと言えるでしょう」


 茉奈香が仰々しく頷いた。島田は脱力してはぁ、と相槌を打つ。


「それで? 山田君と別れてからはどうしましたか?」茉奈香が尋ねた。


「3限目の授業に行って……そうそう、教室で佐藤って友達とばったりあったんだよ。学部違うから普段はあんまり関わりないんだけど、その授業は一般教養だったからたまたま被ってたんだな。そのまま一緒に授業受けることにしたんだよ」


「友人の佐藤君ですね。彼とは何時まで一緒にいたのですか?」


「3限の授業終わるまでだから、14時半くらいかな。俺はその後でサークルの部室に行って、あいつはそのまま帰ったよ」


「ちなみに、佐藤君があなたの鞄を探るチャンスはありましたか?」


「どうだろう。鞄は俺と佐藤の間の席に置いてて、俺、途中で2回くらい寝ちまったから、その間だったら気づかないかも……って何、お前、佐藤のことも疑ってるわけ?」島田がまた目を剥いた。


「あいつは理工学部なんだぜ? 何で俺の卒論なんか盗む必要があるんだよ?」


「一見無関係な事柄の間に真実を見出すのが名探偵というものです」茉奈香が真面目な顔で言った。

「佐藤君も同様に、刑事訴訟法と宇宙工学の間に共通項を発見したのかもしれません」


「いや、それはまったく関係ないと思うけど……」


 由佳が口を挟んだが、茉奈香はどこ吹く風だ。神妙な顔をしたまま質問を重ねる。


「それで? 佐藤君と別れた後はどうしましたか?」


「えっと、サークルの部室に行って、2個下の後輩の井上と会ったよ。ちょっと寄るだけのつもりだったんだけど、結構話し込んじゃってさ。気づいたら1時間くらい経ってたな。俺、その後16時からバイト入ってたから、慌てて部室から出たんだよ」


「では、井上君と一緒にいたのは、14時半から15時半の間ということですね?」


「そうだな。移動時間もあるから、部室着いたのは14時40分くらいだったと思うけど」


「ちなみに、井上君があなたの鞄を探るチャンスはありましたか?」


「俺、途中で1回トイレに行ったからな。鞄は部室に置いたままにしてたから、その時にできたかも……って何、お前、井上のことも疑ってんの?」島田が三度目を剥いた。


「あいつは確かに法学部だけど、まだ2回生なんだぜ?」


「用意のいい学生であれば、早期から準備をしていてもおかしくはありません」茉奈香がゆらゆらとかぶりを振った。

「井上君は先輩であるあなたから卒論の大変さを聞いていた。だからこそ、完成した卒論を自分のものにしようと考えたのでは?」


「うーん、あいつがそんなことするかなぁ……」


 島田は懐疑的に首を捻っている。井上がそこまで用意周到なタイプではないのか、そもそも茉奈香の推理自体に疑問を感じているのかは定かではない。


「部室を出た後はそのままバイト先に向かったのですか?」茉奈香が尋ねた。


「そうそう。俺の下宿先の近くにあるコンビニでさ、家からだと歩いて10分くらいのとこにあるんだ。家帰る時間はなかったから、そのままコンビニの方に行ったよ」


「バイトが終わった後はそのまま帰宅したのですか?」


「そうだな。終わったのが21時くらいだったから、さすがにそのまま帰ったよ」


 茉奈香は仰々しく頷くと、思慮深げな顔でパイプを吹かし始めた。だが口からは少しの煙も出てこない。単に気分を盛り上げるためのアイテムなのだろう。


「うーんと、情報を整理するとこんな感じになるね」


 由佳が言った。いつの間にか取り出していた手帳に、今までの情報が書きつけられている。


「島田君は昨日のゼミの後、12時10分から13時までは食堂で山田君と一緒にご飯を食べた。それから山田君と別れて、3限目の授業を佐藤君と一緒に受けた。それから佐藤君と別れてサークルの部室に行って、井上君と1時間くらい一緒にいた。15時半くらいに井上君と別れてバイト先に行って、21時くらいに帰宅した。間違いない?」


「あ、あぁ……。っていうかお前、いつからメモしてたんだよ? 全然気づかなかったぞ」島田が面食らいながら言った。


「事件解決のためには情報の収集と整理が不可欠だからね。名探偵さんが頑張って推理できるように、あたしも出来ることはやらないと」


「さっすが由佳! 持つべきものは優秀な助手だね!」


 茉奈香が破顔して両手を打ち鳴らした。由佳が得意げに鼻の下をかく。さすがは茉奈香の友人。何だかんだ言ってもノリノリである。


「はぁ……、それで? 今の話から何かわかったのか?」


 島田が呆れながら尋ねた。茉奈香はつと真面目な表情になると、再び腕組みをして考え込んだ。


「一番疑わしいのは山田君だね。専攻が同じである以上、卒論を盗む動機は一番強いわけだから。同じゼミだったら盗作はすぐにバレるだろうけど、山田君はゼミが違うからその心配もないし。でも、佐藤君や井上君にも盗むチャンスはあった……。ふむ、こうなったら、関係者から直接話を聞く必要があるね」


「関係者って?」由佳が首を傾げた。


「もちろん、島田君の友達3人だよ。山田君、佐藤君、井上君……名付けて野菜トリオ。島田君、みんなをここに呼んでくれる?」


「え、今から?」島田が目を瞬かせた。


「当たり前だよ。事件解決のためには善は急げ! ほら、早くする!」


 茉奈香に急き立てられ、島田は慌ててポケットからスマホを取り出した。茉奈香に命じられるまま順番に呼び出しをかける。由佳は手帳に野菜の絵を描き始めていた。


(俺、何やってんだろう……?)


 友人への招集をかけながら、島田は内心困惑して呟いた。

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