1ー8
「……は?」
有頂天になっていた茉奈香の顔から笑みが消えた。顔を硬直させて井上を見返す。
「え、どういうこと!? 卒論じゃなかったら何盗んだっていうの!?」
茉奈香が井上の胸倉を掴んでがくがくと揺さぶった。あまりに衝撃的だったせいか、口調も普段のものに戻ってしまっている。
「あ、えーと俺、島田センパイの弦パクったんすよ。」井上が揺さぶられながら答えた。
「弦?」
「そうっす。ギターに張ってるやつっす。島田センパイの使ってる弦っていいやつで、1セット1万円くらいするんすよ! 俺も1回使ってみたかったんすけど、バイト代だけじゃキツくて……。
で、ちょうど昨日島田センパイがその弦買ったって言ってたんで、ちょっとだけ借りようかなーって思って……」
「だからかよ! どこ探してもないと思ってたんだ!」島田がいきり立って叫んだ。
「すいません。ちょっと試したら返すつもりだったんです……」井上がべそをかきながら言った。
「じゃあ、ギターケースの前に屈み込んでたのは?」由香が尋ねた。
「あれはパクった弦をしまってたんす。ちょうど島田センパイが帰ってきたんで焦りましたけど」
「じゃ……じゃあ卒論は?」茉奈香が明らかに狼狽しながら尋ねた。
「だから知らないっすよ。俺、今サークルとバイトで手いっぱいで、ソツロンどころじゃないんすから」
井上が平然と言った。事件が解決したと思ったのもつかの間、一転して迷宮入りが判明し、茉奈香は頭を抱えてその場に膝を突いた。
「ちょっと茉奈香、大丈夫?」
由佳が心配そうに声をかけてきた。島田と井上、山田と佐藤も病人を見つめるような目で茉奈香を覗き込む。茉奈香はぶつぶつと譫言を呟き続けていた。
「そんなはずない……。あたしの推理では、間違いなく井上君が犯人のはず……。きっと……きっとどこかに見落としがあるんだ。そうじゃなかったら……」
「おい、木場? もういいって。犯人は井上じゃなかったんだ。山田と佐藤が盗んだわけでもなさそうだし、きっとどっかに落としたんだよ」
島田が宥めたが、茉奈香はまるで聞いていなかった。呪文のように何事かを呟き続けた後、急に弾かれたように立ち上がると、井上をきっと睨みつけて言った。
「井上君! そのギターケースを調べさせて! そこに何か証拠があるはずだよ!」
「え、ショーコって、何のショーコなんすか?」井上が困惑しながら尋ねた。
「あたしの推理が外れてないって証拠だよ! ほら! 早く持ってくる!」
茉奈香に急き立てられ、井上が慌てて部室から飛び出して行った。山田と佐藤が視線を合わせ、名探偵の餌食になるのが自分達でなくてよかった、と心から頷き合った。
井上が持ってきたのは、ソフトケースと呼ばれるタイプのギターケースだった。強度は低いがその分軽く、背負えるので持ち運びには重宝するらしい。ケースの一面には国旗やら英語名やらのステッカーがべたべたと貼られ、元の黒色がほとんど見えなくなっていた。
茉奈香はまずケースを開けてみたが、中に入っているのは赤いエレキギター1本だけだった。ケースの底を丹念に調べてみたが、二重底のような仕掛けもない。ギター本体も
茉奈香は諦めてギターをケースに戻した後、今度はケースの外側の調査に取り掛かった。丹念に全体を見回した後、下側に付いたA4サイズのポケットに目を留める。井上の話では、ここに島田から盗んだ弦をしまったとのことだった。盗んだ弦が入っていた以上、盗んだ卒論があったとしても不思議はない。茉奈香は逸る心を抑えながら、ゆっくりとポケットのファスナーを開けた。
部室の乱雑さに違わず、ポケットにも実に雑多なものが詰め込まれていた。弦、クロス、楽譜、ティッシュ、ガム、煙草の空き箱、バイトのシフト表……。演奏とは関係ないものも散見される中、茉奈香は一番奥にある白いものに目を止めた。くしゃくしゃに丸められ、人目を隠すように奥に突っ込まれている。あれは、もしや――。
茉奈香は他のがらくたを全てポケットから取り出すと、その白い物に手を伸ばし、掴んで一気に引き摺り出した。
一同が固唾を飲んで見守る中、現れたのは、島田の卒論――ではなく、黒のドレスと白いエプロンから成るメイド服だった。
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