#05
――私は妻に会いたい。君のお母さんに会いたいんだよ。
自称・父親の言葉を反芻しながら、僕は、それまで座っていた部屋と同じく、味気ないコンクリートの階段を昇って地上に出た。
死後の世界の存在を信じる科学者がいるということが、僕には皮肉のように思えた。
永遠に生き続ける人間は、死後の世界を夢見るようになるのだろうか。
地下よりは幾分明るい。しかし、舗装もされていない道路は、砂色の古い建物の影になって暗かった。
3から4階建ての縦に長い家々が
忘れ去られた
乱雑に立てられた小さな住居を縫うように、路地は入り組んでいた。空を見上げると路地を横断して干された洗濯物がひらひらと風に揺れていた。
キャーキャーと高い声を上げて子どもが数人走って行く。その様子をプラスチックのビール箱に腰掛けた老人ふたりが眺めていた。
僕は「老いた人間」というものを初めて目にした。
普段、リングレン高等大学院の敷地内にある寮と学校の行き来しかしないというのもある。しかし、中心市街地に行くことがあっても、老若男女いろいろな人間がいるのを目にしたことはない。
BB法のせいだ。脳年齢は分からないが、基本的にみんな見た目は脳のデータを取った歳――すなわち、30歳ぐらいの見た目をしている。
四角四面に計画された街に住む、画一的な人間。
雑然とした計画のない街に住む、多様な人間。
――幸福なのはどちらなんだろう?
考えたこともなかった。
『潜性遺伝子』とされることは、自ずと不幸なことだと認識していた。
潜性なのだから、不幸なはずだ。
脳のバックアップを取る必要がないと選別されることは、死ねと言われているのに等しい。
――でも……
隣を歩くロジオンを見上げた。
ロジオンは遥か遠くを見据えていた。
ロジオンの視線の先を追う。
視線の先には、ジルが立っていた。
「オーケを……。オーケ・イェルハンを返しなさい」
「お前に言われなくても返すつもりさ。……ほら、行きな」
ロジオンは、ジルの10メートルほど手前で立ち止まって、僕の背中を軽く叩いた。
僕は、ジルのところに戻っていいのか分からず、立ち止まって振り返った。
ジルのところに戻っていいか?――いや、僕は、ロジオンの側にいたいと思っていたのだ。
「オーケに何を話したの?」
ジルが無表情に質問する。
その表情には感情がない。市街地に住む大人は、そうだ。感情が乏しい顔をしている。
「本人に聞けばいいだろ」
ロジオンは冷たく突っぱねた。
「……オーケは人類の進化にとって大事な。大事な突然変異因子になりうるサンプルよ。オーケに何を教えたの?」
「だから、本人に聞けって!……オーケ、あっちへ戻れ!」
「でも……」
僕は戻るのを躊躇した。聞きたいことや言いたいことが山ほどあった。考えたいこともいろいろあった。でも、言葉に出来ないのがもどかしい。
「ロジオンは……。ロジオンはどうなるの?」
僕は頭に浮かんだ言葉から口にした。ロジオンは面食らっていた。
「お父さんは、どこにいるの?僕はどうやって、お父さんのデータを……」
「ジグリッド博士に会わせたの?」
僕の言葉をジルが遮った。
「ジグリッド博士と何を話したの?ジグリッド博士はどこにいるの?」
ジルは
「………………」
「黙っているなら、死体と一緒よ。
いいわ、あなたに聞かなくても。
ジルが引き金をひいたように見えた。
と同時に、僕は、ロジオンに横に弾き飛ばされていた。
ガオンという金属音がした。
弾丸が、ロジオンの左斜め上を飛んでいった。
尻餅をついた僕が気づいたときには、ロジオンはジルを地面に押し倒していた。
ロジオンの右手には、旧式のオートマチックガン。
ジルがロジオンの下でもがく。ショットガンで殴りつけようとするジルの右手を、ロジオンが押さえつけようとするのが見えた。
「私は……私のデータは生き続け、何度でも蘇るわ。
何度も生まれて、何度も死ぬ。
私はね、ロジオン、あなたを何度でも殺しに来る。
あなたたち『潜性遺伝子』を淘汰するために」
ジルが言った。
「次は勝つわ」
ロジオンはオートマチックガンをジルの口内に押し込んだ。
それから、引き金をひいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます