#04

「私は大きな過ちを犯した。


 私が人類の繁栄と幸福を願っていたのは間違いない。


 約200年前当時、少子化が進む社会において、労働人口を増やし、急激な高齢化に耐えうる社会システムを構築することは大きな課題だった。

 だから、私は、脳データのバックアップとAIによる半永久的な教育プログラムの開発と提唱を行った。脳データの器にはiPS細胞による再生可能な肉体を活用すればいい。 当時の政府の専門家会議で提言したのは、この私だ。


 人間が老いず、死なず、永遠に働き続けられるプログラムこそが、人類の救済になると、私は信じて疑わなかった。

 ひとりの人間が不老不死となること。

 そして、社会のために働き続けられる人間を増やすことこそ、人類社会を発展に繋がり、また個人の幸福にも還元されていくと考えた」


 ジグリッド博士は言葉をきった。

 僕は黙って聞いていた。それは全世界に共通する常識のはずだ。

 ジグリッド博士は偉大な科学者なのだと思う。


 ひとりの人間が老いることなく、永遠に生き続ける今、人生は効率的になった。

 試験管の細胞から誕生し、25歳までに個性を身につけた上で脳データのバックアップをとり、再生可能な肉体に移植される。その後は、AIにより自動学習が進められ、社会経験をつみ、それぞれに適した社会活動を行う。

 恋愛・結婚・出産といった、前時代的な進化の過程に割く時間を人類自身の発展に利用できるようになった。


 人類は動物であること――自然のことわりを超えたのだ。

 

「しかし、そうして人類が得た社会的発展は、人間個人の幸福に果たして繋がっているのか」


「幸福?」 


「そうだ」


 スクリーン上の緑の波形が、大きく上下した。


「永遠に生き、働き続ける人間の幸福とは何か――。


 考えたものの明確な回答が出せなかった私は、研究の。そして政治の表舞台から去った。

 そして、100年、私は自分がつくったプログラムに沿って発展していく社会を経過観察していたのだ。


 死ぬ運命から逃れ、他人を愛する必要のなくなった人類は果たして幸福だったのか――。


 赤ん坊は選別され、『潜性遺伝子』と判断されると社会から捨てられる――忘れ去られた都市ここに住むロジオンや、他の人間たちのように。『潜性遺伝子』と判断された彼らは人間ではないのだろうか?

 いや、むしろ、AI


 僕は黙っていた。ロジオンは確かに人間だ。『潜性遺伝子』を持つと言わない限り分からない。


「100年、私は人類の幸福について考えた。

 そして――考えた結果。

 私はこの忘れ去られた都市で、ひとりの……潜性遺伝子の女性を出会い、我が子をもうけた。

 それがオーケ。君だ」


 スクリーンに、組んだ手の上に顎を乗せた男性が映し出された。

 金縁の眼鏡をかけたその顔は教科書で見たジグリッド博士だ。


 僕は、画面の向こうから僕を見つめる男を父親だと認めた。

 しかし、感動はない。

 というものを初めて見た僕は、どんな反応をすべきなのか分からなかったのだ。

 

「君にお願いしたいことがある」


 ジグリッド博士は続けた。


「今ある私の肉体が滅びたら、私の脳のバックアップは削除してほしい」


「それは、死にたいということですか?」


 ジグリッド博士はしばらく考えて、言い換えた。


「再生の必要はないと思っている」


 ジグリッド博士は微笑んだ。


「私という人間が存在したということは、オーケ。君が証明してくれているのだから。

 それに、私は妻に会いたい。君のお母さんに会いたいんだよ」

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