28
視界奪う雨の中、蓮は自転車を激走させた。このまま交通事故で死んでもかまわなかった。莫雨に膨らむ大河の傍らで希望が息を潜める樹木に落雷しないことを願いながら、地獄道を突き進んだ。
卓巳の家と古い鉄工所跡の間に自転車を留めた時、雨は突然消え、西から青空が見えてきた。
蓮は石をひろい、二階の卓巳の部屋へ投げた。予想以上の音が弾け、窓ガラスにひびが生じた。
十秒ほどで窓が開き、卓巳が顔を出して怒鳴った。
「何だあ? れん、おまえが窓を割ったとか?」
「おう」
蓮は真っ直ぐ見返した。
「殺されたいとか?」
頬がひくひく痙攣した。
「おれたちゃみんな、短絡的で、似た者同士の、戦士なんだね? 殺されてあげるけん、今すぐ、そこの鉄工所跡に来てくれん?」
「ちぇっ、おれは忙しかけん、行かんよ」
いらだたしげに窓を閉じかける卓巳を、蓮は軽蔑の声で非難した。
「へーえ、たくみは、一人じゃ何もできん、そんな臆病者だったとやね?」
「おまえ、ふざけんなよ」
と卓巳は食いついてきた。
「おれが怖いとなら、来んでよかよ。臆病者のたくみ」
蓮は背を向け、鉄工所のシャッターを引き上げ、中へ入って行った。
ひび割れた汚れ窓から入る陽が歪曲し、作業台へ歩く蓮の影も幾重にも乱れて伸縮した。何か致命傷を負わせる武器を探していると、同じような錆びた鉄棒が二本並んでいるのを見い出し、手に取った。するともう、背後に駆け込んでくる足音が聞こえたのだ。シャッターを閉じ近づいて来る卓巳の、二重瞼の大きな目は怒りに吊り上がっていた。
「れん、おまえ、何しに来たとや?」
と問う唇は病的に震えている。
一メートルほどの長さの錆びた鉄棒の一つを、蓮は彼の足元へ投げた。
「たくみ、おまえが、最後ばい」
そう言って、蓮はもう一本を握り、その先を旧友へ向けた。
「はあっ? 何言ってやがる?」
「ほら、早く、その棒をひろわんね」
「何でや?」
心を呑み込む催眠術師のような黒く光る目を、蓮は撥ね返すように見返していたが、ふいに相手の顔がぼやけてしまった。
「おれは、おれは・・」
「何だあ? こいつ、泣きだしやがった」
卓巳の嘲笑を撃ち砕くように蓮は吐き出した。
「おれは、けんすけを、そして、ゆうじを、この手で殺した」
卓巳はきょとんと固まったが、すぐに笑いだした。
「何を夢みたいなこと、言い出すと? おまえにそんなこと、できるはずなかやん」
蓮は「わあー」と叫びながら、怒りの鉄棒を振り回した。驚愕して飛び退いた卓巳の肩を撃ったが、蓮にはまるでうちわで叩いたかのように手応えが体感できずにいた。それでも卓巳は倒れ、呻き声を上げていた。
蓮は足元の鉄棒を彼の方へ蹴って、熱湯のように震える声をぶつけた。
「ほうら、これがおれの正体ばい。早くそれを取らんと、おまえも殺されるばい」
卓巳は横目で錆びた棒を確認し、危険な蛇をつかむように瞬時にそれを手にすると、「ひいー」ともらしながら、蓮から遠ざかる方へ転がり、立ち上がった。
「おまえ、狂ったとか?」
卓巳も涙目になって蓮を睨んだ。
卓巳の言葉通り、蓮は狂乱の目で見返した。
「そうだ。その棒で、おれを撃ち殺すとよ。これは戦争だから、そうするしかなか。おまえらが、おれにいじめというテロを起こし、おれはそれに対して宣戦布告しとると。やけん、殺さなきゃ、殺されるとぞ」
卓巳は首を振りながらも、棒の先を蓮へ向けた。
「やっぱり狂っとる。これが戦争だって? これはただのつまらねえガキのケンカじゃねえか。それにおまえには勝ち目はねえぜ。おれが中学の時、剣道部の主将だったってこと、知っとるやろ?」
蓮は頬を燃やして震えた。
「ああ、ああ、よう知っとる。やけん、おまえはおれを殺すだろう。そしておまえも、殺人者となって、一生その影を背負って生きるとよ。それが、おれや佐藤さんを虐待した、おまえの責任ばい」
蓮は鉄棒を振り上げ、奇声を発しながら卓巳の頭へ叩きつけた。それを卓巳は、腰を引きながらも的確に鉄棒で弾き返した。金属音が響き、錆の欠片が飛び散った時、蓮の折れた指に劇痛が走った。蓮は思わず顔をしかめていた。たった一撃で、重く痺れる指の震えが止まらない。不吉な汗が全身から滲み出てきた。それを卓巳は見逃さなかった。試しに鉄棒で蓮の棒をガンガン叩いてみた。それが折れた指から頭の芯まで響いて、蓮は苦痛に顔をゆがめ、嚙んだ唇に血の味を感じた。
卓巳は眉を開き、唇の片方を吊り上げた。
「そげん言うなら、殺しちゃろうかね。おれは正当防衛だし、キチガイを殺すのも、世のため人のためやけん」
蓮は歯を食いしばって手汗に滑る凶器を握りしめた。そして渾身の反撃を振った。それを卓巳が鋼鉄の壁のように撥ね返した時、戦慄混じりだった卓巳の目が、生死を賭ける戦を決意した夜叉の眼にギロリと変わった。下唇がキュッと締まってわなわな震えた。死の気配を察した蓮は、死に物狂いで鉄棒を撃ち続けた。恐怖のあまり、もう折れた指の痛みも感じない。最後の一打が空を切った時、何かが視界の片隅から閃いた。突然、脳天がゴンっと炸裂して、両目の奥から火花が散り出た。誰かの叫び声が響いているが、意味は理解できない。敵を見ようと目を凝らすが、ぼやける顔が半分赤く染まった。どうやら頭の流血が、片目に流れ込んだようだ。視界が赤黄黒に混ざって斜めに回った。それでも凶器を振り回そうとしたが、蓮の手にはもう何もないのだった。ドサっという衝撃を感受し、地獄の入口に沈倒した自身の骨身を察した。死の直感が脳奥から奔出し、とっさに片手を上げて頭を守った瞬間、彼を壊す音をたてて硬く熱い物がその手に食い込み、骨を砕いた。続いて肋骨下部にも凶打が撃ち込まれ、呻き声さえ奪った。
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