18

 期末テスト最終日の終礼後、担任の三島が教室を出るとすぐに、蓮は美智の席へ突進した。鞄を手に取り、立ち上がりかけていた美智は「きゃっ」と叫んで目を剥いた。

「ごめん、みち。話があると」

 蓮は美智の指を握っていた。細い指の隙間に指をねじ込んで絡めると、手汗がにじんだ。

「ちょっと、何すっと?」

 頬を赤くする美智も声は、怒りで尖っていた。

「いいけん、来て」

「ばか、ばか」

 教室の後ろまで手を引いた時、牙を剥く眼光の裕次が立ちふさがった。

 蓮は血走った目で長身の裕次を睨み返した。

「邪魔やけん、どいてくれん?」

 すぐに卓巳と健輔が裕次の両脇に馳せ寄った。

 裕次が強面で吼えた。

「おれの女に何すっとや? 今すぐその手ば離さんか」

「おれは、みちに話があると」

「嫌がっとるやろ。死にたいとか」

 裕次の拳が蓮の胸を突いた。

「だったら、おれを殺さんね。だけど、おれは殺されてもこの手を離したりせん。たとえアフリカじゅうの象に踏まれても離さんけんね」

 裕次の手が伸びて、蓮の胸ぐらをつかみ上げた。

「そげん死にたかなら、おれが望みば叶えちゃるけん」

「ほら来た。ばかはすぐにこうだ。閻魔大王の手下にでもなったとや? だったら、今すぐ殺してみやがれ」

 声を絞り出して強がる蓮の首へ、怒りの声をもらす裕次の両手の指が食い込んだ。クラスメイトたちは見てみぬふりをし、あるいは関わりを避けようと教室から逃げ出す者もいた。だけど窓際に立っていた娘が一人、獣たちに猛進して来たのだ。彼女は裕次に体当たりし、しがみついていた。驚いた裕次が蓮から手を離して腕を振り回すと、肘がこめかみに激突して娘を近くの机や椅子もろとも吹き飛ばした。床に倒れ込んだ娘は、顔を数回振った後、涙目を必死に見開いた。

「何だ? のぞみ、何すっとや?」

 眉をひそめる裕次を睨んだまま、佐藤希望は倒れた机に手をついて上体だけ起こした。

「やめんねよ」

「はあ? 何だってえ?」

「やめろと言っとるとよ。やめんなら、あんたらがわたしにしてきたこと、全部警察に言うちゃるけんね。それでよかと?」

 裕次は口を閉ざして卓巳を見た。

 卓巳は険しい顔で希望の横に膝をつくと、乱れたスカートの裾を手に取って、あらわの太ももをゆっくり隠した。

「いったい何のこと、言うよっと? 証拠もないのにそげんこと言うなら、なんぼ優しいおれたちだって、逆に名誉棄損で訴えるしかなくなるよ」

 スカートに触る手を払いのけて、希望は立ちながら卓巳を睨んだ。

「わたしは、どうなってもよかけん。わたしは、あんたらの言う通りにするけん。だから、坂口くんをいじめるのは、もうやめてくれんね」

 卓巳も立ちあがって、愉快げに口笛を吹いた。

「うわあ、こりゃ、びっくりやあ。おまえ、れんに気があるとかあ?」

「ばか、知らん」

 希望の頬が面白いように赤く病んでいくのを見て、卓巳はにやにやが止まらない。

「かわいそうになあ、のぞみ。ほら、見ろよ。れんは川島さんの手を、またこげん握っとるとぞ」

 希望は蓮へ大きく目を見開いた。

「れんくん、どうして?」

「ジャンヌ、おれは、みちを好いとっと」

 蓮の言葉に、卓巳がさらにおかしそうな顔をした。

「ジャンヌだってえ? ジャンヌって、のぞみのことか? 何だそれ? おまえら、どんな関係なんや?」

 希望が泣きそうな声で言った。

「わたしら、クラスメイト、やけん。だけん、助け合わんと」

 卓巳は嬉しそうに言う。

「そうばい。おれたちゃ、助け合わんといかん。だけん、のぞみはこれから、また、おれの家に来るよな?」

「何でよ?」

 卓巳は親指で蓮を指した。

「このばかを殺すのを、やめて欲しいとやろ? さっき、のぞみは言ったよな・・自分はどうなってもよかけんって。あれは、嘘じゃないよな?」

 卓巳と希望は、恋人同士が目と目で話をするように見つめ合っていた。

 やがて希望は小さな声で言った。

「うん、分かった。行くけん」

 卓巳が裕次と健輔に合図を送り、三人は教室を出て行く。佐藤希望が、蓮には目を向けずにその後を追った。

 美智が蓮の指を振り払おうとするが、離れないので、嚙みついてほどいた。

「あんたなんか好かんけん。好かんとやけんね」

 美智はそう吐き捨てながら、廊下へ走った。

 希望を追い越し、三人に追いついて呼んだ。

「ゆうじ」

 振り返った男たちのうち、初めに語りかけたのは卓巳だった。

「悪いけど、川島さん、おれたちゃ、これから大事な用があるけん、今日はこれでサヨナラばい。デートなら、明日からの土日にしてくれん?」

 裕次も美智の手を握り、真っすぐ見つめて言う。

「ごめん、みち、また明日会おう」

 残された美智に、蓮が駆け寄った。

「来んでよ。消えて」

 棘のある声で非難して、去って行く美智の背に、蓮は切実な問いをぶつけた。

「ねえ、みち、いったいゆうじと何があったと? どうして近頃ゆうじとくっついてると? みちはあいつを嫌ってたやろ? どうして近頃おれを避けるようになったと? みちは、おれのこと、いつも考えてるって言ったやろ?」

 美智は振り返りもせず、校舎を出て、自転車置場へ急ぐ。

「あんた、いつの話をしとると? 今のあたしは、ゆうじに夢中なの。やけん、早よ消えてよ」

 蓮は美智について行った。

「おれだって、みちのこと、いつも考えているとよ」

「あんたみたいな弱虫、今はいっちょん好かんけん」

「弱虫だって? そうだとしても、おれはただの弱虫じゃなか。踏みつけられたら簡単に潰れてしまいそうな虫でも、誰も知らない毒針を持っているとしたら?」

「何ば言うよっと?」

 自転車の鍵を外し、サドルにまたがって、美智は冷たい目で蓮を見た。 

 蓮は狂いかけた目で美智を見ている。

「そしてその毒針で、やつらを消せるとしたら?」

 美智の眉間に嫌悪の皺が寄った。

「あんた、気がふれたと?」

「そのときが来たら、分かるけん」

 蓮の眼光は、美智の心深く突き刺しそうだった。

「せからしかあ」

 自転車を走らせた美智が振り返ることはなかった。


 蓮は一人梅林寺へと走り、その向こうの河原へと下った。

「のぞみ、のぞみ」

 呼びながら黒猫のねぐらへ近づくと、根元から幾つもの太い幹に分かれた樹の裏から、痩せた子猫が飛び出して、折れた脚を引きずりながらも、ミャアミャア激走して来る。そして軽々と蓮の肩へと駆け昇り、耳元でおねだりの喉を鳴らした。蓮は買っておいた猫餌の小袋を出して、中身を石の上に盛った。希望は目を細めて食べた。

 喉鳴らしを奏でる希望を肩に乗せ、蓮は人間に汚された水面を見ながら河原を歩いた。

「今日は、ジャンヌは、どうしたとかねえ?」

 と子猫に問いかけた時、蓮の瞳が大きく見開いていった。そして何か重大なことに気づいたような厳しい顔つきになった。しばらく考えていたが、

「だとしたら、今頃、ジャンヌは、卓巳の家で・・」

 と鬼気迫る声を出し、希望を肩から下ろした。

「いかん、いかん」

 長く続く河原を南へ、修羅の形相で走った。












  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る