10

 夕方、蓮が帰宅すると、すぐに電話が鳴った。両親も姉も家にいないようで、仕方なく蓮が受話器を取った。

「もしもし」

「れんくん? れんくんでしょう?」

 と、若い女性の声がいきなり問う。

「誰、ですか?」

「あたし・・あたし、誰だか、分かる?」

「えっ? ああ、きっと、分かるよ」

 そう答えると、酸っぱい果汁が飛び散るような声が蓮を濡らした。

「わあ」

 そうもらしたきり、しばらく熱い息遣いの無言が何かを語った。

「あのう」

 と蓮が誘いを入れると、

「それより、もう何度も電話しとるとよ。ご両親は、いらっしゃる?」

「えっ? 二人とも、出かけとるけど・・」

「だったら、あんたが、すぐにここへ来て」

「ここって、どこ?」

「ここは、大学病院の、ええっと、第一棟の三階よ。あんたのお姉さんが、怪我したと。早よ来て」


 蓮は大学病院までの約四キロを急ぎ走った。タクシーを呼ぶにもお金がないし、自転車も卓巳たちに奪われ今は健輔が使っている。

病院の三階を駆け回って捜すと、多くの人が椅子に座る待合のロビーで、川島美智が立って両手を振り、呼びかけた。

「れんくん、ここよ」

「みち・・」

 蓮は息を整えながら黒髪ショートカットの娘に近づいて行った。

 黒い瞳が深く輝く重力で蓮を引き込んでいた。だけど彼の視線は、娘の胸のあたり、不自然に変色している紺色のシャツに移って注がれた。

「その服、何? 何が付いとると?」

 美智の前で立ち止まりながら聞いた。

 美智は自分の胸を見て、その異常な生血の匂いに初めて気づいたかのように顔をゆがめた。恵の首から溢れる鮮血をありありと思い出し、ショックで気が遠くなっていく。

「めぐみさんの血よ。着替える暇が・・」

 ふらついて、倒れかけた美智の細い体を、蓮はとっさに抱きとめていた。甘い黒髪が鼻先で揺らいだ。

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