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 土曜の午後、川島美智が帰宅する直前、空色のワンピースを着た女性が反対の通りから歩いて来た。やや長身の痩せた女で、大きな栗色の瞳が魅力的だ。だけど今は魔物に取り憑かれたかのようにその目が吊り上がっている。家の駐車場に車があるのを確認すると、彼女は揺れる布に興奮する闘牛のように戸口へ突進し、美智より先にドアノブを回そうと試みた。鍵がかかっている。

「こんにちは、めぐみさん」

 美智は頭を下げた。

「鍵を開けて」

 と恵は錆びついた低い声で言う。

「どうしたとです?」

「よかけん、鍵を開けて」

 問答無用で撃ち殺しそうな息遣いだ。

 財布から合鍵を出して、美智は解錠した。

 家に入ると、すぐに恵は二階へ猛進した。そして迷わず婚約者の春雄の部屋へと押し入ったのだ。そこで彼女が目撃したのは、一大事を察知した春雄が、豊満な肉体の娘と一緒に、下着を着ている現場だった。

「この女、誰?」

 恵は顔じゅうから炎を噴いて男に詰め寄った。

「あんたこそ、誰よ?」

 派手な黄色の下着を身に着ける娘も、顔を真っ赤にしている。

「わたしは、はるくんの女で、はるくんは、わたしの男よ」

 恵は貧しい胸を意地で突き出した。

 恋敵も圧倒的戦力の下着姿で応酬する。

「何ば言うよっと? 先輩とわたしは、付き合っとるとやけんね。ねえ、先輩、そうでしょう?」

 不意の修羅場に蒼ざめる春雄は、うわずった声で恵に告げた。

「ぼくは、ゆきちゃんを、好きになったけん、もう、こげんことは、せんで」

「何ね、こげんことって?」

 春雄の眉間に嫌悪の縦皺が浮んだ。

「ぼくらが会っとる時に、強盗みたいに突然押し入って来るなんて、もう絶対にせんでって言っとると」

「わたしに、その資格がなかって言うと? 結婚するって、言ったじゃない? 強盗だなんて、ひどかあ。強盗は、この女よ。わたしからはるくんを奪った、この魔性の女よ」

 剥き出した目から涙が溢れ出た。

 狼狽し逃げ腰の男と、泣きながら肉迫しようとする女の隙間に、はち切れそうな下着姿の女が憤然と割入った。

「未練がましい人やねえ。今、先輩と愛し合ってるのは、わたしなんです。先輩もそう言っとるとですから、もう帰ってください」

「邪魔すんなあ、このブタがあ」

 鬼の形相でそう叫ぶと、恵は自分より十センチほど背の低い娘の黒髪を両手でつかみ、荒々しく揺さぶった。

「痛い、痛い」

 わめき声をもらしながら、娘は床へ放られて、突っ伏した。

 恵は台の上にある半分中身が飲まれているワインボトルを右手でつかむと、

「あんたを殺して、わたしも死ぬけん」

 と春雄に叫びながら、それを振り上げた。

 春雄が悲鳴をあげながら窓際へ逃げると、恵は赤ワインがこぼれ落ちる腕を彼の頭へ叩きつけた。腰を抜かして身を沈めた男の頭をかすめ、ワインのビンが窓に激突した。窓ガラスもビンも砕け割れ、鬼女の手に残ったワインボトルは鋭利な刃物となった。ぶるぶる震えるその凶器が、半べその男の喉元へ迫った。すると倒れていた娘が二人の間へ飛び込んで来て、ボトルの割れ先が彼女の白い頬を赤く切り裂いたのだ。

「人殺し。あんたは、先輩を愛してなんかない。本当に愛しているなら、こげなことせんでしょう?」

 そう叫び震える娘は、涙溢れる目をひん剥いて恵を睨んでいた。

 その部屋へ美智が駆け上がって来た。そして兄と新恋人へ血の付いた割れボトルを振りかざす恵を見て、「やめてえ」と金切り声を発した。下着姿の男女も、抱き合って目を閉じ、悲鳴をあげている。

 恵も絶叫しながら凶器で肌を引き裂いた。

「せからしかあ」

 彼女が突き刺したのは、自身の首だった。

「だめえ」

 わめきながら美智は恵に躍りかかり、震える手から凶器を奪い取った。

 刃となった割れボトルが傷口から抜けると、白い細首の下部が鮮血でみるみる真っ赤になり、空色のワンピースの襟から胸の色を変えていった。

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