4
翌日の放課後、坂口蓮が帰り支度をしていると、いつものように卓巳が近づいて来た。
宮川卓巳は頭脳明晰なクラス委員で、彫の深い西洋系の美男子で、催眠術師のような瞳が特徴だ。それは見つめる相手を深海へ引き込むような神秘的な瞳だ。蓮は目が合わないようにうつむいていたが、足音が迫るだけで身震いが止められなかった。だけど今日はなぜか卓巳は蓮の横を過ぎて行き、後方の席の女子をフルネームで呼んだ。
「川島みち、話があるけん、ちょっと来て」
突き刺すような目で見つめ、美智が言葉に詰まっている間に、卓巳は微笑すると、もう歩き出していた。学校一の美男の誘いを断る女子などいない、というような自身が卓巳の背に満ちていた。
蓮はこそこそ逃げるように教室を出た。だけどすぐに立ち止まり、振り返っていた。
「川島みち?」
と蓮はもらし、何を考えたのか、卓巳の背に追従するショートの黒髪娘を尾行していた。階段を降り、上履きのまま外へ出た。娘はひとけのない講堂裏の狭い壁際へ入って行く。さらに追おうとすると、卓巳が一人、引き返してきた。蓮は間一髪、物陰に身を隠した。卓巳が過ぎるのを待って、蓮は忍び足を進め、講堂の裏を覗き見た。
壁に背中を付けた美智の両肩の脇を、長身の男の両腕が抑え込んでいる。裕次だ。
「おれはこげんマジなんやけん」
という裕次の声。
吉川裕次の顔は、縦長で、目が吊り上がり、大きな口の両端も上がっているので、狼を連想させた。髪は短いくせっ毛だ。
「告られるのは慣れとるけど、これはひどいんじゃない?」
美智の声は強がっているが、明らかにうわずっている。
「これがおれのやり方やけん。みちは、もう、逃げられん」
「ばかじゃないと? あたしとあんたが、つり合うと思っとると? うわっ」
縦長の顔がいきなり近づいて来てキスしようとするので、美智はとっさに顔を背けた。
「マジ、好きやけん、おれの女になれ」
裕次の両手が美智の丸い頬を押さえて動けなくした。今度こそはと、ゆっくり顔を近づける。
美智は身を沈めて必死で逃れようとするが、野獣の力は圧倒的だ。
「助けてえ、きゃああ」
壊れかけた悲鳴を狼の口が塞ごうとした寸前、飛び出してきた蓮の右拳が裕次のこめかみを殴りつけた。
「このこに、手を出すな」
裕次は美智から離れてよろめいた。
「な、何だあ?」
突如出現した邪魔者を不安げに見る。
蓮は美智の盾となって彼を睨みつけた。
闖入者の正体が蓮だと気づいた裕次の頬に、血色が戻り、見る見る怒りに燃え上がっていく。
「誰かと思えば、れんじゃねえか。おまえ、また指の骨折られたいのか?」
裕次は蓮の胸ぐらを右手でつかみ上げた。
蓮は必死に敵を睨み続け、声を絞り出した。
「おれは、死んでも、このこを、守る」
「はあ? 何だとお? 殺されてえのか?」
裕次は蓮の胸ぐらをつかんだ腕を上下に揺さぶった。
蓮は両手を突き出して裕次の両耳をつかんでいた。前に折られた指の痛みはぶっとんでいた。
「殺せる、ものなら、殺しやがれ。そしたれおまえも、長いこと、檻の中だ。さあ、殺せ、殺せ」
「痛いやろがあ、クソがあ、マジ、殺しちゃる」
逆上した裕次の拳が蓮の顎を強打した。
ガンという脳内の響きに蓮の膝が折れた。それでも耳をつかむ指だけは、命綱とばかり、離さない。耳を下へ引かれ、裕次は顔をゆがめ、叫び声をあげていた。罵声を浴びせながら、膝蹴りを蓮の腹に食い込ませた。胃腸が破裂したような激痛に蓮は指の力も無くし、地面に崩れ落ちた。脂汗が体じゅうから湧いた。腹に足先が追撃してきた。
「クソがあ。クソがあ」
猛獣と化した裕次は容赦なく蹴り続ける。
身悶え、のたうちながらも、蓮は息絶え絶えに呼びかける。
「どうした? まだ生きてるぞ。早く殺せ。早く人殺しになりやがれ。ほら、もっと」
「何だ、おまえ、何で笑ってやがる?」
「おれは、嬉しいとよ。おれは、今まで、おまえらの、ばかげたいじめを、受けて来た。それは、苦しいだけ、悲しいだけ、だった。だけど、今は、違う。今は、このこのために、暴行を、受けている。これがどんなに幸せか、おまえには、分からんやろ? その上、おまえが、殺人者、になって、長いこと刑務所に、入れられるかと思うと、嬉しくて、ゾクゾク、すると」
口から血泡を吹きながらも笑う蓮を見て、裕次は眉を吊り上げた。
「そうか? だったら本当に殺してよかとやね? おれを本気にさせたおまえが悪かとばい」
蓮の頭をサッカーのペナルティーキックのように蹴ろうとする裕次の背中に、美智が飛びついて抱き止めた。
「もう、やめてえ。ほんとに死んじゃうよお」
蓮は喉を詰まらせながら呻いた。
「みち、おまえは、逃げろ。ここに、いちゃ、だめだ」
その顔を裕次の怒りの蹴りが吹き飛ばした。
白目を剥いて動かなくなった蓮に、美智が飛び込むように抱きついた。
「れんくん、ねえ、生きてるよね? ねえ、れんくん? ああ、どうしよう? 先生を呼んでくるけん、待ってて」
美智は職員室へと走った。
数分後、美智は初老男性の担任教師の三島を連れて戻って来たが、現場から人影は消え去っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます