第26話 2




 夏休みに入っていたが、補習に出向く生徒たちは多かった。

 補習は必要なかったが、オレは学校に向かい補習を受ける生徒たちに声を掛けた。

 補習の生徒の大半は、スポーツ推薦枠で入学したものの、オレの様に怪我をして進学クラスに編入させられた者が多かった。

 だが、手応えはあまりなかった。

 スポーツ一筋でここまで来た者が、180°方向転換しなければならないのだ。

 簡単に切り替えられる筈などなかった。 

 オレがそうだったように、そいつらの気持ちは痛い程よく分かった。 


「わたしなんか今更足掻あがいてもどうにもなんないよ」

「おれなんか分数すら解けないんだよ」

「もういいよ。落第決定。退学になるまで高校生活楽しむわ」

 などと諦めムードの中にいた。


 それでもオレは、自分がそうだった事を前面に出して、自己体験を交えて彼らに語り掛けてみた。

 その結果、十数人程だったが、オレの話に耳を傾けてくれた。

 とは言え、夏休みの間は、副会長のオレでも、勝手な生徒会室の使用は認められなかった。

「それならわたしの家を使えばいいわ。4LDKの大きくない家だけど、一人で使うには広すぎるのよ。一階にある八畳と六畳の和室をふすまを開放すれば、それくらいの人数は十分収容出来るわ」

「でもそれじゃ美幸さんに迷惑がかかります」

「なに言ってるのよ。わたしはあなたにそのことを提案した時から、そうするつもりだったのよ」

 と言って美幸さんは笑った。


 夏休みの間オレは、詩織先輩のいなくなった寂しさをまぎらわせるように、自分の勉学と、潰れたアスリートたちの救済に尽力した。

 オレはこの勉強グループに『詩織塾』と名付けた。

 二学期が始まると、オレは詩織先輩の後を引き継いで生徒会長になり、詩織塾は生徒会室で開会された。


 オレ達の行動を苦々しく思ってであろう教頭が、何らかの妨害工作を企てるだろうと踏んでいたが、意外な程ヤツは大人しかった。

 その理由は詩織塾の仲間から聞かされた。

「支倉先輩の事故に絡んでるやつらに、この学校の理事長の娘がいるんだよ」

 話をよく聞くと、理事長の娘とは、詩織先輩が走り出したあの瞬間、

『支倉さん、危ない! 止まって!』

 と叫んだ女子生徒だと分かった。

「山川先輩は元来いじめに加わるような人じゃないらしいぜ」

 気の弱い山川明菜は、同じクラスの鎌田由美に逆らえなくて、仕方なく支倉先輩のいじめに加担していたらしい。

 それはオレも感じていた。

 鎌田由美に背中を指で突かれている山川明菜の様を何度も見ていた。

「でもさ、山川先輩はあの事件以降、鎌田由美とは縁を切ったみたいだぜ。そればかりじゃなく、教頭が動かないのは、山川先輩が父親を通しておれたちの味方をしてくれているようなんだよ。罪滅ぼしってところなんだろな」

「たぶん、な」

 山川明菜とも廊下ですれ違う時がある。

 今は一人の時が多い。

 オレとすれ違う時、どちらが先輩なのか分からない程、オドオドとした仕草でお辞儀をする彼女だった。


 短縮授業期間が終わり、新学期が本格的に指導し始めた頃、オレは孤立し始めた鎌田由美に気付いた。

 今まで引き連れていた取り巻きが、すっかりいなくなっていたのだ。

 一人でいる鎌田由美の姿をよく見かけようになっていた。


 そんなある日、詩織先輩の家に寄った帰り道で、バッタリ鎌田由美と出会ってしまった。

 バツが悪そうにたたずむ鎌田由美の横を、オレはいつものように通り抜けようとした。

 すると、

「待って」

 と囁くような鎌田由美の声だった。

「時間…ある?」

「暇だけど、あんたと過ごす時間はない」

「お願い……少しだけ…」

 いつもの強気な鎌田由美とは違う、細い声だった。

 一刻も早く立ち去りたかったが、哀願あいがんするような鎌田由美の眼差しに、オレは溜息を吐いた。

「少しだけですよ」


 オレと鎌田由美は近くの喫茶店に入った。

 鎌田由美と向かい合わせに座ったオレは、ふいに鼻で笑ってしまった。

「どうしたの?」

 鎌田由美が怪訝な顔をする。

「別に」

「何か思うところがあるんでしょ? 話してよ」

「いや。本当に、別に て感じですよ。あんたのこと好きだった時には、こうしてカフェでお茶することもなかったのに…て思ったら、つい笑ってしまったんですよ」

「そう…ね」

「で、何を話したいんです?」

 店員が鎌田由美が注文したアイスティとオレが頼んだアイスコーヒーを運んできた。

「滝田君がコーヒー派だなんて知らなかったわ」

「別に」

「また…それなのね」

 オレも紅茶派だったが、鎌田由美と同じものを注文したくなかっただけなのだ。


 紅茶を口にした後、鎌田由美が口を開いた。

「わたしね、中学の時に……妊娠したの」

「えっ?」

(突然、何を言い出すんだろ?)

 オレは視線を落とす鎌田由美を凝視した。

「大学生の彼氏だった。初めての人だったの」

 といきなりのカミングアウトにオレは黙ってしまった。


 それから鎌田由美は語りだした。

 中学二年生の時、夏期水泳教室でコーチをしてくれた六つ年上の大学生に恋をしたらしい。

 夏季水泳教室が終了した後から交際が始まっり、三年生になる春休みに深い関係になったと話した。

「わたしは彼に夢中だった。彼の言うことなら何でも聞いてあげたわ。最初は『中学生は彼女に出来ない』て言ってた。大人の付き合い出来る相手が欲しいんだって言ってね。だからわたしは彼に全部上げたの。大好きだったから。だけど、梅雨が終わった頃、わたしが妊娠したと知ると、彼はわたしを避けるようになったわ」

 その後、鎌田由美の両親と向こうの親との協議の末、百万円の慰謝料と中絶費用で示談となり、その大学生と破局したと言う事だ。

「その大学生の彼が……ごめんなさい……滝田君とよく似ていたの…」

 オレは思わずアイスコーヒーの入ったグラスを勢いよくテーブルに置いた。

 グラスは割れなかったが、テーブルの上にコーヒーと氷がこぼれた。

「もしかして……オレに嫌がらせしたのは、それが原因だったのか?」

「ごめんなさい……」

 オレは言葉も出なかった。

「八つ当たりなのは分かっている……。滝田君は関係ないのに……裏切られた思いがずっと残っていて……それであなたに酷いことをしてしまったの……。本当にごめんなさい」

 鎌田由美が涙するのを見るのは初めてだった。

「それにわたしは……支倉さんに嫉妬していた……。わたしよりも女の魅力に劣っている彼女を、滝田君は大切に思い、守ろうとしていた。―――理不尽な言い分だってことは分かっているけど、そんな二人の関係にわたしは嫉妬していたのよ。わたしが得られなかった真実の愛を、あなたたちがはぐくんでいると思うと……許せなかったの……。ごめんなさい……」

「ずいぶん勝手だな……」

 言いたいことは山ほどあった。

 だけど、それを口にした時、オレに理性を保てる自信はなかった。

 グッと感情を押し殺した。

 鎌田由美は、泣き濡れた顔を上げた。

「わたしが妊娠して中絶した話は誰も知らないわ。この事はわたしの家族とあなただけしか知らない」

「………」

「この話が学校にバレたらわたしの今の立場は地に堕ちるわ。だけど……滝田君に守秘義務はないの。あなたにはわたしを罰する権利があるのよ。わたしにはその罰を受ける覚悟がある」

 鎌田由美は凛とした顔でオレを見据えた。

「こんなことで罪が許されるなんて思っていないわ。でも、あなたの手でわたしのことを罰して欲しかったの。―――話はこれだけよ。本当に、ごめんなさい」

 最後に深々と頭を下げると、鎌田由美はレシートを取って席を立った。



 鎌田由美は覚悟を以てオレにカミングアウトした。

 だけとオレはアイツの秘密を口外しなかった。

 鎌田由美の事は決して許せないし、今でも憎いと思っている。

 だけど仕返しはしない。

 それは詩織先輩との約束だった。

 離れ離れになってしまったが、どちらも幸せを捜すために精一杯生きようと誓い合ったのだ。

 衝動に任せた破壊しか産まない行動は、詩織先輩との約束を違える事になってしまうのだ。

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