愛するあなた

第20話 1



 自分の部屋に戻ったわたしは、涙が止まらなかった。

「エカテリーナ様。本当にこれでよろしかったのですか?」

 侍女のルーシーが、ベッドに顔を沈め涙するわたしの背中に手を置いた。

「いいのよ、これで……。わたしは良也君に嫌われないといけないから…」

 わたしは顔を上げると、赤みの残るルーシーの頬に手を置いた。

「ごめんなさい、ルーシー。あなたに手を上げたこと…心よりお詫びいたします」

 わたしはルーシーに頭を下げた。

「エカテリーナ様。おやめください」

「いいえ、謝罪させて欲しいの」

 わたしはルーシーに頭を下げたまま動かなかった。

「どんな理由があっても、わたしはあなたを罵倒し怪我をさせてしまった。こんなの許されるはずないわ」

「エカテリーナ様ぁ……」

 涙声になったルーシーが、わたしを抱きしめた。

「わたしのことなんて、どうでもいいのです。そんなことより……こんな形で……エカテリーナ様とリョーヤ様がお別れするだなんて……悲しすぎます…」

「優しいのね、ルーシー」

 わたしは一緒に泣いてくれるルーシーを抱きしめた。

「でもね、これでいいの……。わたしは良也君には幸せになってもらいたいの」

「エカテリーナ様……」

「わたしが悪者になることで、良也君が不幸になる未来を変えられるのなら、わたしは本望よ。―――良也君のあんな未来……絶対に認められないから」

 そうなのだ。

 わたしは絶望的な彼の未来を変えたかったのだ。

 そのために演じた芝居だった。

 だってわたしは、今でも良也君のことが大好きなんだもの……。 




 あれはわたしが三歳になったばかりの頃だった。

 わたしは、自分がマルロウ男爵家三女のエカテリーナ・エリー・マルロウであることを、ようやく自覚し始めた頃だった。

 そしてそれは、何の前触れもなく訪れた。

 あの日、目覚めたわたしは、とてつもない違和感に襲われたのだ。

(違う。わたしなのに、わたしじゃない)

 鏡に写る亜麻色の髪に触れながら、わたしは自分の青い瞳を覗き込んでいた。

(誰なの、これ?)

 そこに映っているのは、支倉詩織とは似ても似つかない、整った顔だちの幼女だった。

 そう、わたしはその時、唐突にエカテリーナとして生まれる前世の記憶―――支倉詩織の記憶が覚醒したのだった。 


 その日からわたしは、意識を失うほどの高熱を出して寝込んでしまった。

 当主である父、セル―ジオ・イワン・マルロウは、わたしを案じることなく平静に過ごしていた様だが、母のアンナ・マリーヤ・マルロウは付きっ切りでわたしの看病をしてくれたらしい。

 その甲斐あって、危篤に陥っていたわたしは、一命を取り留めたのだ。

 おそらく、いきなり覚醒した支倉詩織の十八年の記憶の上書きは、わずか三つの幼児の脳にはかなりの負担だったのだろう。

 熱が下がってからも、十日ほどは体の動作がぎこちなかった。


 とにかく、支倉詩織の記憶が覚醒したわたしは、二つのことが気になって仕方なかった。

 一つは前世の母・美幸―――お母さんの事だった。

(わたしが死んだら、お母さんは一人だわ。どうすればいいの)

 だけど、一度死んだ人間が生き返る事は出来ない。

 魔法文化のあるこちらの世界でも、やはり死人を蘇生させることは叶わなかった。

(お母さん……こめんなさい)

 きっと、毎日一人で泣きながら暮らしているであろう母の事を思うと、胸が詰まる思いだった。


 二つ目の気掛かりは、良也君だ。

 良也君はわたしの彼氏。

 辛口だけど、とても優しく、わたしの事を好きだと言ってくれた初めての男の子だ。

 いつもわたしを気に掛け、心配してくれた。

 大好きだった良也君。

 だから彼にはもう一度会いたかったし、あの出来事の後の人生が気になっていた。

 良也君はきっと、わたしが事故に遭った罪の所在しょざいを、鎌田由美さんに向けたに違いない。

 もしかしたら、とんでもない暴挙に出たかもしれない。

(わたしのことはいいのよ。わたしのために仕返しなんて考えないでね)

 止める事が出来るなら止めたい。

 だけどわたしは、地球との繋がりを持たない、この異世界に転生してしまった。

 (会いたいよ……お母さん……。良也君……)

 来る日も来る日も、お母さんと良也君の事がわたしの頭から離れなかった。


 それでもわたしは、あきらめる事をしなかった。

 マルロウ家は一応貴族を称しているが、男爵位の下級貴族だったから、家庭教師(魔導師)を雇う余裕などなかった。

 だけど、マルロウ家には先々代が作ったと言う分不相応な書室があり、そこには魔法に関する書物が部屋の四方を囲んでいた。

 自分で言うのも何だけど、わたしは勤勉で努力家だ。

 その書室でこの世界の魔法に付いて昼夜を問わず学んだ。

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