第10話 10







「支倉先輩って、一体何者なんですか?」

 図書館で待ち合わせた時の第一声だった。

 詩織先輩はオレの顔をマジマジと見つめた後、クスクスっと笑った。

「何者でもないわ。普通の女子高校生よ」

 可愛くないけどね、と付け加えた。

「はぐらかさないで下さい。何の経験もなくあんな技が出来るわけないでしょ?」

「うん。そうだよね」

 詩織先輩は二度三度頷いた。

「わたしね、器械体操していたの。小学生までだったけど、ジュニアの体操クラブに入っていたのよ」

「やっぱりね。そうだと思いました」

「だけど、小学六年の時、交通事故に遭って、左足首が不自由になっちゃって…それで辞めたの」

 詩織先輩は何故か、いつも左腕はめている男物の腕時計に目をやった。

「そうだったんですか」

 オレはこの時、それ以上深く入って行かなかった。

 他人事のように話す、詩織先輩の軽めの口調の裏を、オレは知ろうとしなかった。

 この時のオレはまだ、詩織先輩にそこまでの思い入れがなかったのだ。

 だがある時、交通事故の真相を知る事になった。



「ねぇ、滝田君」

 とスポーツクラス二年の女子の先輩に呼び止められた。

 その先輩は伊藤玲奈いとうれいなと名乗った。

 詩織先輩とは、小学・中学と同じ学校だったと話した。

「最近、詩織ちゃんとよく一緒にいるわね」

 と聞かれ、オレは少し戸惑った

「ええ、まあ……」

(何だコイツ…。冷やかしか?)

 或いは詩織先輩をイジメている一人なのかとも思ってみたが、それならば『詩織ちゃん』とは呼ばないだろう。

「呼び止めてごめんね」

 オレの顔色を察してか、伊藤先輩は軽く頭を下げた。

 悪い人ではなさそうだ。

「あの子今、孤立しているでしょ? だから、これからもよろしくって言いたかっただけなの」

「友達なんですか?」

「うん……だった、と言うべきかな。体操クラブで六年間一緒だったのよ」

 その口ぶりからして、伊藤先輩は体操選手として、スポーツ推薦を受けて来たようだ。

 先日の体育の授業で、詩織先輩に長鉄棒の模範をさせた教師も、体操クラブの七つ年上の先輩だと分かった。

 その教師もまた、孤立している詩織先輩を気遣って、時々そう言うことをしているらしい。

「詩織ちゃんはわたしなんか足元にも及ばない凄い選手だったのよ」

 オレは先日見た、詩織先輩の大車輪を思い返した。

「全日本ジュニアで表彰台に上がるくらいの選手だったわ」

「マジですか?」

「段違い平行棒なんかは、全日本に出ても、表彰台に上がっていたかも知れないレベルだったのよ。あの事故さえなければ今頃は……」

「交通事故にあった……と言っていましたが」

「そうよ。で、それだけ?」

「えっ?」

「滝田君に話していたのは、それだけなの?」

「ええ……はい」

「彼女ね、ジュニアの大会に向かう途中だったの。会場までお父さんが運転する車で来ることになっていたんだけど、なかなか来なくて、そのまま試合が始まって、彼女は棄権になったわ」

「それってもしかして」

「そうよ。お父さんの運転する車が事故に遭ったの。信号無視をして突っ込んできた車に体当たりされて……運転席はメチャメチャ……」

「それじゃ、先輩のお父さんは」

「亡くなったわ。詩織ちゃんの左足はその時の怪我の後遺症なのよ」

(そんな大変なことがあったのか……)

 オレは背中から冷たい水でも浴びせられたような気持ちになっていた。

『夢破れたスポーツ選手の気持ちなんか、あんたには分かんない』

(オレは、何も知らずに、先輩に酷いことを言った……)

 オレはその言葉を後悔した。


「詩織ちゃん、今も壊れた男物の腕時計しているでしょ?」

「は、はい」

「あれはお父さんがその時、身に付けていた物なの」

「………」

 オレは何も言葉が出て来なかった。

「入院している詩織ちゃんを見舞いに行った時、彼女こう言っていたわ」


『わたしが悪いの。わたしがお父さんを死なせてしまたのよ。あの時…時間ギリギリまで準備に追われて……電車がギリギリになって……仕事前のお父さんに……遠回りになるの分かっていたのに……体育館まで頼んだの……。わたしがそんな事を頼まなかったら……お父さんは死ななかった。わたしがお父さんを殺したのよ』


「ずっと自分を責めていたわ。今でも苦しんでいるかもしれないわ」

「………」

「活発だった詩織ちゃんは、その日以来、勉強しかしない、あんな物静かな子のなってしまったのよ」

 伊藤先輩の目が少し潤んでいた。

「先輩。話してくれて……ありがとうございます」

「ううん。お礼を言いたいのはわたしの方よ。クラスが離れ離れをいいことに、疎遠になっちゃってね……。一人でいる詩織ちゃんのこと知らん顔しているみたいで、悪いなって思っていたのよ。滝田君と一緒の所をよく見かけるようになって、なんかホッとしちゃってね……。だから、お礼を言いたいのはこっちの方なの」

「いえ…そんな…」

「これからも詩織ちゃんをよろしくね」

 そう言って伊藤先輩は、バイバイと手を振ったが、オレはこころよい返事は出来なかった。

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