第9話 9







 そんな冴えない日々の中で、ちょっとした驚きに出会った。 

 学校と言うものは何処でも同じだと思うが、冬の体育は中距離走がメインだ。

 秀英高校は五000メートルを必須としている。

 男子は五00メートルトラックを十周するのだが、オレが壊したのは左肩だけだから走るのは問題なかった。

 スポーツ選手として、中距離走は速い方でないオレだが、さすがに進学クラスの連中相手に、前を走られる事はなかった。


 隣の第二グラウンドにある三00メートルトラックでは、女子が三000メートルを走っていた。

(そう言えば…)

 オレは、この体育の前の授業で、特進クラス二年生の走る姿を、教室の窓から眺めていた事を思い返した。


 詩織先輩のクラスだった。

 ビッコを引いた詩織先輩は五週目で、先頭集団に追いつかれてしまった。

 先頭を走っていたのは、鎌田由美だ。

 特進クラスだから頭がいいのはもちろん、兄譲りの運動センスもあった。

 周回遅れの詩織先輩を追い抜きざまに、肩をぶつけた。

 詩織先輩はバランスを崩して転倒した。

「何してるのよ。周回遅れなら、もっと外に寄りなさいよ」

 謝りもせず、悪態だけついて走り去った。

(あのビッチめ……)

 詩織先輩は確かに避けていた。八レーンあるうちの真ん中の四レーン辺りを走っていたのだ。

 誰の目にも故意だと見て取れたが、誰も何も言わなかった。

(何だコイツら。押し倒された人間がいるのに知らん顔かよ)

 だが、詩織先輩は何事もなかったように起き上がって走り出した。

(詩織先輩……)

 その時オレは、クラスで孤立する詩織先輩に気が付いてしまった。


 鎌田由美のその所業の理由は知っていた。

 あれは半年以上前だ。

 最初の中間テストが終わって特進クラスのベストテンが掲示板に張り出された時、そこに姿を見せた鎌田由美が舌打ちした。

「支倉詩織め……目障りだわ」

 ベストテンのトップには支倉詩織の名前があった。

 鎌田由美はその隣だった。

 詩織先輩の成績は五教科総合五00点のパーフェクトだった。鎌田由美は次点で四七七点だ。

 三位以下の差はそれぞれ二・三点なのに、詩織先輩と鎌田由美の点差は圧巻と言えた。

「何なのよ、アイツ。どうやったらあんなが難問解けるのよ」

 鎌田由美は自分の思い通りにならないと気が済まない性格だ。

 だから支倉詩織と言う孤高の存在が認められないのだろう。


 その頃から詩織先輩が、鎌田由美とその取り巻きに、嫌がらせを受けている事を、オレはになっていた。

 感じるようにと表現したのは、証拠を残したり、あからさまな形で行わないと言う事だ。

 だから今回のような、周回遅れの詩織先輩に対して、接触を装って突き飛ばしたのは、珍しい事だった。

(よほどイライラしているようだな)


 その理由も分かっていた。

 二学期の学期末テストでも詩織先輩は相変わらず満点五00点を叩き出していた。

 それなのに鎌田由美は四六四点と五位まで順位を下げていた。

(八つ当たりじゃないか。つくづく嫌な女だな)

 そう思う一方、腐れビッチの鎌田由美への思いを断ち切れないでいた。

 抱きしめられた時の胸の膨らみや、柔らかい唇の感触。そして香水のいい匂い。

 それらを思い出すと、憎しみを凌駕する愛おしさが胸を一杯にしてしまうのだ。

(なんでオレは、あんなビッチのことが忘れられないんだ)

 そこには、詩織先輩に対する暴挙ぼうきょいきどりを覚えながらも、鎌田由美を責め切れないオレがいた。

 ある時、珍しく体育の授業が二年の特進クラスとかぶった。

 広い体育館で、オレのクラスFと隣のEクラスは、男女ともバスケットで、詩織先輩たち特進二年のA・Bクラスは男女ともマット及び鉄棒だった。

 目が合った時、詩織先輩は周囲に勘付かれない程度の笑みを、オレに見せた。

(これも詩織先輩にはきついだろうな)

 もしかしたら見学かと思ったが、詩織先輩は高鉄棒の下に立っていた。

 踏み台が用意された。

 鉄棒の周りには男子が囲んでいた。

(えっ? 鉄棒は男子じゃないのか? 何で先輩がそこにいるんだよ)

 詩織先輩が高鉄棒のシャフトを掴むと、踏み台が外された。

(何をする…いや、させるつもりだ?)

 一瞬いじめを想像したが、どうやらそれとは違うようだ。

 先生の指示のようだし、鎌田由美は他の女子と共にマットで転がっていた。


「はい。お手本をお願いね」

 女の体育教員が手を叩くと、詩織先輩は軽快な上がりから、素早く鉄棒のシャフトの上で倒立して見せた。

(えっ? 先輩?)


「おい、滝田。ボール行くぞ!」

 バスケットボールが回って来たのでオレは一度目線を切った。

 受け取ったバスケットボールを味方にパスして、目線を高鉄棒に戻した時、オレは信じられない光景を目の当たりにした。


「おお。すげぇ」

 男子の間でどよめきが起こった。

 詩織先輩が大車輪をしていたのだ。

 片腕を離して、体を反転させると、今度は背中向きに回転し始めた。

(これ、どうなってるんだ?)

 狐に化かされた、なんて昔話にあるが、まさにオレはその気分だった。

「はい。その辺でいいよ。ご苦労様、支倉さん」

 先生の合図で詩織先輩は回転を止めた。

 詩織先輩は足が悪いから、さすがにムーンサルトのような決め技はせずに、用意された踏み台に足を下ろした。

(先輩……あんた一体、何者なんだよ)

 オレは呆然と先輩を見つめていた。

 それに気づいた詩織先輩は一瞬だがニコリとした。

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