第8話 8
詩織先輩は常に『感じること』を念頭に入れていた。
『ひたすら憶える』勉強方法をとっていた、今までのオレのやり方とは全然違っていた。
その戸惑いもあって、最初の頃オレは、詩織先輩のやり方を受け入れることが難しかった。
「わたしのやり方が絶対なんて思ってないけど、滝田君の今のやり方では限界があると思うの。だから、少しだけ物の見方を変えましょうね」
「……はい」
(これが鎌田由美だったら素直に受け入れられたんだろうな)
そ言う思った後で、オレは唇を噛んだ。
鎌田由美への未練はかなり残っていた。
人を見下したような嘲笑さえきれいだと思った。
(それに比べて、詩織先輩は……)
オレに見せる詩織先輩の笑顔は、お世辞にも可愛いとは言えなかった。
理想の容姿とはかけ離れた詩織先輩と過ごす時間が多くなった事に、オレは苛立ちを募らせていた。
詩織先輩は左足が悪くビッコを引いている。
オレが速足だと言うこともあるが、一緒に歩く時、詩織先輩はいつも遅れ気味だった。
「ごめんなさいね」
詩織先輩は申し訳なさそうに頭を下げた。
「別に、いいです」
そんな時オレはいつも、無感情にそう言い捨てた。
オレが速足で歩くのは癖だけではなかった。
詩織先輩の隣りを歩くのが格好悪かったからだ。
(どう距離をとったらいいのかな?)
とオレが思い始めた頃、詩織先輩の方が気を利かせてくれるようになった。
冬休みの学校図書館での待ち合わせには、詩織先輩が場所をとって先に来ていたし、学校帰りももそうだ。
「あの、わたしもう少し勉強してから帰るわ。悪いけど滝田君、先に帰ってね」
と詩織先輩の方が一緒に歩く事をしなくなったのだ。
どうやらオレを気遣っているようだ。
冬休みが終わると、真っ先にあるのが、実力テストだ。
これには定期テストのような成績付けはないけど、今まで学習した成果を知る事が出来る。
九月に行われた実力テストでは、いつも通り何とか五十点越えだったのが、一月の実力テスト結果は平均六十点を超えていた。
点数的にはまだ足りないが、ちょっぴりだが、目の前が開けた気がした。
詩織先輩の個人指導が実を結んだのは否めなかった。
オレは少しだけ詩織先輩を受け入れようと思った。
「支倉先輩。どうしてオレの勉強を見ようと思ったんですか? 学校から頼まれた、なんてことは絶対にないし、第一オレを助けた所で、先輩には何のメリットもないでしょ?」
オレは疑問に思っていた事を聞いてみた。
詩織先輩は虚空を見つめて、何かを考える仕草を見せた。詩織先輩の癖だ。
「滝田君が頑張っているのを見ていたから、かな?」
「オレが頑張っていた?」
「一生懸命だったでしょ? 傷む腕を
「ああ、それ見られていたんですね」
「ごめんなさい。鎌田さんのこともあって気になっていたから……」
言いかけて詩織先輩はハッとして言葉を切った。
そう、それは触れられたくない所だった。
「あの女のことは口にしないでくれますか!」
オレは少しイラっとした。
「ごめんね、余計なことだったわ。でもね、とにかく、これからは勉強で頑張りましょうね」
「先輩は、簡単に言ってくれるよ……」
野球一筋に夢見て、その夢が破れた者の気持ちなんて、勉強一筋の詩織先輩に分かる筈もなかった。
「オレはね、両親が早く死んで、裕福じゃないおじさんの家で面倒見てもらっているんです。食べさせてもらっているだけで十分申し訳ないのに、学費なんてお願い出来ないんですよ。―――全額免除の特待生でないと高校もいけないんだよ。だからこの高校にしがみついているだけなんです。これからの目標なんて何もない。この先も高校生活をどう過ごしていいのか、全く分かんない………。夢破れたスポーツ選手の気持ちなんか、あんたには分かんないだろうね」
八つ当たりだった。自分ながら嫌気がさした。
詩織先輩はごめんなさい、と静かに謝った。
「謝らないでください。こっちこそ…ごめんなさい」
後味の悪さだけが残った。
オレが悪いのは分かっている。
だけど、鎌田由美の事は同情されたくなかった。
男付き合いが派手なビッチと分かっていて、なお忘れられない自分の気持ちが許せなかったし、そんなオレの無様な姿を見られていたかと思うと、羞恥心で身の置き所がなかったのだ。
そんな思いが絡み合って、理不尽にも、詩織先輩に当たってしまったのだ。
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