第7話 7
詩織先輩と出会ったのはそんな時だった。
二学期の終業式を一週間後に控えたその日、教頭から小会議室に来るよう言い渡された。
「こちらが、生徒会長の支倉詩織さんだ」
と教頭が一人の女子をオレに紹介した。
「彼女がね、キミの成績の向上のサポートを買って出たんだが……どうします? 受けますか? わたしはどっちでもいいんですがね」
教頭はあからさまに嫌悪をオレに見せた。
(投げられないピッチャーなんかいらないから、早く退学しろってか?)
左腕が使えない以上、スポーツ推薦で入学したオレの存在価値は、この学校にはなかったのだ。
「始めまして、支倉詩織です。どうぞよろしくお願いします。もし、よろしければ、一緒にお勉強しませんか?」
締まりのない笑顔を向けられた。
オレはソバカスの目立つ詩織先輩を、頭の上から足元まで、品定めをするように眺めた。
(チンチクリンじゃないか……)
身長百五十センチもないだろう。小柄な上に少しぽっちゃり体系。顔は並以下。
オレに今まで近寄ってきた女子の中では最低クラスだった。
「ハァ……」
オレは隠す事なく溜息を吐いて見せた。
たけど、その名前は知っていた。
どこの学校でもそうだと思うが、知り合い以外で生徒会長の名前を知る者なんてほとんどいないだろう。
だから詩織先輩が生徒会長と知ったのはそれが最初だった。
だけど、それとは別に、特進クラスの才女として、彼女の名前は校内でもよく知られていた。
テスト終了後の掲示板に公表される、成績ベストテンの右端のホールポジションには、常に支倉詩織の名前があったからだ。
――― ミスパーフェクト ―――
それが支倉詩織の呼び名だった。
ミスは、独身女性を表す単語とテスト結果がほぼ百点で、ミスがない所からつけられたらしい。
(想像していたのとは随分と違うや)
オレは落胆していた。
キリっとした顔立ちの、長身でスレンダーな美人を想像していたのだ。
想像の程遠さにオレは言葉も出なかった。
詩織先輩はオドオドしながらオレを見上げていた。
目が合うとはにかんだ様に視線を逸らせた。
こんな場面はあまり得意じゃないようだ。
モジモジしていたが、意を決したように、詩織先輩は顔を上げた。
「滝田君。一歩踏み出してみない?」
「一歩踏み出す?」
「うん……頑張ってみようよ。わたし、滝田君の力になりたいの。及第点取って二年になろうよ。ね、頑張ろう」
可愛くない笑顔を向けられた。
(黙れ。ブス)
床に唾を吐きたくなるような悪寒が背中を走った。
だけど……。
このまま高校中退して何が出来るのか考えた時、オレはそれを決断できなかった。
留年する気も、退学する気もなかった。
オレに選択肢はなかった。
「お願い…します」
不承不承オレは、詩織先輩の好意を受け入れた。
詩織先輩とのマンツーマンの勉強会は翌日から行われた。
最初は何でオレなんかに個人指導してくれるのか分からず、何か裏があるものと疑っていたが、詩織先輩の指導はとても親切で分かりやすかったし、学校と裏取引をしている様子は見られなかった。
「どの教科にも暗記科目なんてないのよ」
と詩織先輩は言った。
「歴史の人物一つとっても、その人にはその人の生き様や、成そうとしていたことがあるの。その人の思いとか、感情とか、そう言ったものを理解すれば暗記なんて必要なくなるのよ」
「歴史上の人物一人一人にそんなこと感じているより、暗記した方が早くないですか?」
オレには詩織先輩の言っていることがよく分からなかった。
「滝田君の言っていることは間違いじゃないわよ。暗記した方が早いに決まっているわ」
「だったら、そんな遠回りする必要ないでしょ?」
「でも、その人の気持ちになって、痛み・苦しみ・悲しみ、そして喜びと言った感情を以て記憶に留めたことは、なかなか忘れないのよ」
「そんなもんですか?」
「例えば、これを好きな異性に置き換えましょう。生年月日や血液型・身長・体重・その他諸々、その子のプロフィールを教えられたら、絶対に一度で覚えちゃうはずよ。違う?」
「た、確かに…」
鎌田由美の一言一句は、一度だって聞き返すした事はなかったし、腹立つ事に今も忘れていない。
「感じることが大切なの。それは数学でも科学でも同じよ」
詩織先輩の言葉は、掴み処のない漠然としたものだった。
だけど、学ぶ上での物の考え方として、ちょっとした切っ掛けになった事は、間違いなかった。
英語にしたってそうだ。
「英単語や文法は、単に覚えようとするんじゃないの。英語の心を理解するのよ」
「英語の心?」
「そうよ。例えばinは、…の中に、…において、と言う意味で使われるでしょ? 一つの空間や特定の場所の中を示すものだけど、感情なんかを表す時にも、in love (恋してる)なんて言い方も出来るのよ」
「恋と言う感情空間の中にいる……つまり、心の中を表現していると言うことですか?」
「大体そんな感じかな。単に覚えようとするんじゃなく、イメージとか感覚的な捉え方が、語学の習得には必要なのだとわたしは思うの」
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