第2話 2







 オレの通う秀英高校は県下でも屈指の進学校だ。

 東大・京大を狙う特進クラス。難関大を狙う進学クラス。そしてオレが籍を置くのがスポーツクラスだ。

 スポーツクラスは全て学校側からのスポーツ推薦だ。

 各競技・球技で将来有望なスポーツ選手をスカウトして、そのレベルに応じた奨学金をもらって通学する、いわゆるスポーツ特待生の集まりだ。


 オレは中学の時、ピッチャーとして全国中学野球選手権にて準優勝を果たした。負けはしたが、決勝戦は1-0。惜しい敗北だった。

 オレはスポーツ推薦の最高評価のAをもらい、B評価の授業料・設備使用費免除に留まらず、制服・教材費及び修学旅行・給食費に至るまで一切の費用が学校負担となる特待生扱いだった。


 最初はオレも迷った。

 秀英高校はここ十年間で四度も甲子園に出場している。

 その確率で言えば、三年間在籍していれば、一度は甲子園の土を踏む事の出来る野球でも名門校だ。

(A評価の待遇を受けて、結果が出なかったらどうしよう)

 そんな不安があった。

 家に来たスカウターに正直な気持ちを告げると、

「スポーツ選手に不振は付き物ですよ。調子を落とした選手をバックアップしながら、その復活を気を長くして待つのが、わが秀英高校の方針なんです。万が一怪我をして野球が出来なくなっても退学させたりはしませんよ。クラス替えはありますが、特待生の条件はそのまま適用できますので、ご安心ください」

「そうですか。安心しました」

 オレはスカウターの言葉を鵜呑うのみにした。その裏に潜む大人の手管に気付きもせずに……。


 どちらにしてもオレに選択の余地はなかった。

 早くに両親を亡くしたオレは、父の兄の家に引き取られていた。

 つまり、おじさんと言う訳だ。

 だがおじさんの家は貧しかった。

 そこへ転がり込んだオレは厄介者だった筈だが、おじさんは快く受け入れて、大切に育ててくれた。

 中学は義務教育だから仕方はない。

(だけと、高校まで世話になる訳にはいかない……)

 野球の推薦枠がなかったら進学をあきらめて働くつもりだった。

 そこへ転がり込んできたこのチャンス―――。

 オレは受け入れることにした。 

 

 

 オレの高校デビューは順調だった。

 三年生のエース鎌田さん程の信頼はまだないが、オレは一年生にして二番手ピッチャーに起用されて、常にベンチ入りしていた。

 来年のエース候補の呼び声まであった。

 クラスの中には気の合う女子が結構いた。競技が違っても、同じアスリート仲間と言う事もあって共通の話題があった。

(この中から人生初の彼女が出来るのかな)

 練習はキツかったけど、毎日学校に通うことがオレは楽しくて仕方なかった。

 それにオレにはクラスメイトとは別に一番意識している女子がいた。

 特進科の一年先輩の鎌田由美の事が気になっていた。

 鎌田由美―――そう、エースの鎌田さんの妹だ。

 時間があれば練習に顔を出したり、試合を見に来たりしていた。

 そんな鎌田由美の事が妙に気になりだしていた。



 入学して二ヶ月近く過ぎた頃、声を掛けて来たのは鎌田由美の方からだった。

 運動場の傍の水飲み場で、顔を洗い終わった時だった。

「滝田君。練習ご苦労様。終わった所みたいね」

 水道の蛇口の向こうに、満面の笑みを向けた鎌田由美がいた。

 突然の事で動揺したオレは返事も出来なかった。

 濡れた顔を拭おうと右手でタオルを捜していると、

「はい。これでしょ?」

 鎌田由美はオレの手を取ってタオルを渡してくれた。

「あ、ありがとうございます」

「一年で二番手ピッチャーなんて大したものよ」

「いえ、そんなことありませんよ」

「ううん。すごいことなのよ。わたしのお兄ちゃんは今こそ背番号一だけど、去年までは21番を付けていたんだから」

 とオレの背番号11を指で差した。

 地方大会でベンチ入り出来る選手はニ0人までだった。

「お兄ちゃんはね、この夏が最初で最後なの。だから、滝田君。お兄ちゃんを助けてちょうだいね」

「もちろんです。鎌田先輩と一緒に……」

 そこまで言った時、いきなり鎌田由美に唇を塞がれた。

 オレは目を開けたまま、鎌田由美の閉じたまぶたを見ていた。


「女子のキス顔見つめるのはNGよ」

 唇を離した鎌田由美はにらんだ後で笑った。

「す、すみません!」

 オレの上ずった声に鎌田由美はまた笑った。

「初めてなの?」

 と上目遣いにオレを見た。

 オレは無言で頷くだけだった。

「そう。可愛い人ね」

 と言ってもう一度唇を押し付けて来た。

 今度はオレも目を閉じた。



 鎌田由美はみんながいる時は一切オレに話し掛けて来ない。

 だけど、二人きりになると、まるで恋人のように体を寄せて来るのだ。

 そしてキスをした。

「お兄ちゃんに甲子園のマウンドを踏ませてあげてね」

「はい。そのつもりです」

「頑張ってくれたら、またアゲルから……」

 鎌田由美は、妖艶ようえんな笑みを浮かべると、オレに背中を向けて走り去った。 

 彼女と呼べるかどうかは分からないが、鎌田由美はオレにとって大きな存在になりつつあった。

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