反撃


「遅いな」


 ウィリアムの声に兵の配置を確認していたリチャードが「そうですね」と答えた。


「いや…戻ってきたか」


 ウィリアムの言葉の直後、部屋の中央に現れた姿にリチャードもほっとした表情になる。


「遅くなって申し訳ありません。敷地内から外への転移魔法を防ぐ結界を張られていたものですから、少し手間取りました」


 そう言いながらリアから受け取ったビロードの袋をウィリアムの前に置いた。


「ご確認ください」


 頷いたウィリアムが袋を開け、中のダイヤモンドを確認する。


「…間違いない、本物だ。よくやってくれた、ローズ嬢」

「邸内の様子はどうだった?」


 兄の問いかけに、自分が公爵に見つかってからの事を詳しく話すと、最後に付け加える。


「公爵は私が侵入後に張り巡らせた転移魔法に対抗できる結界を、王太子殿下に向けてのものだと言っていました。魔法による攻撃を十分に警戒しているのは明らかです」

「だろうな」


 そう言ったきり、右手を顎に当てて考え込んでいたウィリアムの元に兵士から報告が入った。


「ラウザー公爵邸が何者かに襲われたようです。先ほど敷地内から炎が上がっているのを見たとの報告がありました」

「わかった、すぐに対応すると伝えろ」


 ローズの強行突破は兵を差し向けるいい口実になったようだ。それに気づいたウィリアムが満足そうな笑みを見せると、ローズとリチャードに視線を向ける。


「…予定どおり公爵には消えてもらおう。既に陛下からの許可は頂いている」

「いつの間に…」


 思わず呟いたローズにウィリアムがにやり、と笑って答える。


「お前が派手に結界を突破してくれたからな」


 ウィリアムがリチャードに指示を出す。ここからは実際に軍を動かさなければならない。

 当然、すべての軍を動かすわけではなく、今回動かせるのは近衛兵の一部だけである。他国と戦争をするわけでもないのに、大勢の兵を動かすわけにはいかない。


「…数だけだと公爵の私兵に劣るかもしれません」

「そのために私とローズ嬢がいるのだろう?」


 兵力の不足を魔法で補うと言ったウィリアムにリチャードが不機嫌になる。


「前線には出しませんよ」

「わかっている。ローズ嬢は王宮の屋上に行ってくれ。そこから全体を見て王宮に近づいてくる公爵の兵を防いで欲しい。方法は…任せる」


 意味深な間にローズが内心で溜息を吐く。


(つまりお兄様にバレないようにうまくやれって事ね)


「わかりました」


 察しのいい彼女にどこか楽しそうな表情を見せると、それ以上は何も言わずリチャードと共に近衛師団の元へと向かっていった。


「さて、王宮の屋上だったわね。行きましょうか」


 リアを抱き上げると、王宮の屋上へ転移する。周囲を見渡してもまだ静かな夜の町でしかないが、ラウザー公爵家の方角に目をやれば、その周辺が少し明るいのがわかる。

 屋上には既にウィリアムから指示を受けた兵士が数十人いて、周囲への警戒態勢を取っていた。

 隊長らしき人がローズの前に跪くと、名を名乗る。


「隊長のウォルターでございます。ウィリアム様より護衛を仰せつかっております」

「ありがとうございます。それとウォルター隊長。周囲に何かおかしな動きがあればすぐに知らせてください」

「かしこまりました」


 既に王宮からは公爵家へ向かって兵が動き出している。


(どのあたりで気づくかしら)


 流石に王家から軍を差し向けられたとあれば、自分が逆賊扱いされている事に気づくだろう。その時が一番危険だ。自棄になった権力者に巻き込まれる兵士は可哀そうだが、主君選びを間違えた事を悔いてもらうしかない。

 せめて犠牲者が少ない方法で決着することを祈るばかりだ。

 そんな事を考えていたローズの目の前の空間が揺らめくと、手紙が現れた。差出人の名前がウィリアムである事を確認すると、ローズは手紙を手に取った。


『まもなく公爵邸を包囲する』


 このまま大人しく捕らえられればいいけど、と思いつつ、ローズは公爵邸の方をじっと見つめる。しかし突然公爵邸とは王宮を挟んで反対側の森の中から火の手が上がる。

 ローズの護衛をしていた兵士達がローズの退路を確保しながら声を上げる。


「ここは危険です!一旦王宮の中へ!」


 護衛についてくれていた兵士の言葉に「ありがとう、でもそうはいかないわ」と言ったローズの右手にふわり、と光の玉が現れる。


(最初から王宮を乗っ取るつもりだったのね)


 考えてみればダイヤモンドを盗んだ時点で公爵は後戻りなどできなかったのだ。そしてそれはウィリアムもわかっていたはずだ。だが王太子であるウィリアムが公爵家に向かわないという選択肢はない以上、王宮の守りはローズに委ねられる。


「任せる、って言ってたわよね」


 右手の光を敵が攻め込もうとしている場所に向かって投げつけると、その周囲が突然の光に包まれた。それに驚いて一瞬だけ動きの止まった敵兵の前に強固な結界を張り巡らせると、そのままローズは結界で敵兵を囲い込む。


「リア、あとお願いね」


 結界に閉じ込められた兵士をリアが魔法で作り出した縄で縛り上げる。その縄はリアにしか解くことができないので逃げられる心配はない。

 敵兵の周囲の火を消し止める味方の兵が安全な事を確認すると、王宮の周囲を見渡した。

 暗闇に紛れ、密かに動く多数の気配。王宮に向かってくる統率されたそれらの気配が敵であることは容易に想像がつく。


「もう少し…減らしておきたいわね」


 既に小競り合いが起こっている場所の様子を見る限り、ラウザー家の私兵は予想以上によく訓練されており、王家の軍とローズ、ウィリアムの魔力をもってしても油断はできない。


「減らすなら右にゃ」


 突然聞こえてきたリアの声にローズが「右ね」と返すと、そのまま右手の方向を見る。その視線の先にある森の中で、一際大きな気配がうごめいているのが見えた。

 確かにあの援軍が王宮に辿り着くと面倒なことになるだろう。自分をサポートしてくれているリアにお礼を言うと、ローズは標的をしっかりとその視界に捉える。

 ローズは援軍が隠れている森一体を結界で覆うと、すぐにリアが先ほどと同様に結界の中の兵士を縛り上げた。

 その直後、屋上に複数の怒声が響いた。王宮内に潜んでいた公爵の手の者が、援軍を足止めしている存在が屋上にいると察知したのだろう。

 思ったよりも多い人数が屋上になだれ込んできていた。

 近距離戦になると、剣を持たないローズにとっては少しやりにくいが、結界魔法で身を守っているため、最悪の事態にはならないはずだ。

 そんな考えが油断に繋がったのだろう、ローズの後ろから切りかかってきた兵士に気づくのが一瞬遅れた。


「ローズ!後ろだ!」


 少し離れた場所から聞こえた声に反応したローズが放った攻撃が間一髪で敵を弾き飛ばすと、先ほどの声の主---ウィリアムがローズに駆け寄ってくる。


「無事か?」

「はい、ありがとうございます」


 最悪の事態にはならなくても、衝撃は防げない。もし気を失うような事があったらと思うと、背筋を冷たいものが流れた。


「状況は?」


 ローズと背中合わせに立ったウィリアムの問いに、ローズは冷静に答えた。


「公爵側の援軍の動きをいくつか止めましたので、すぐに王宮に攻め込まれる心配はありません。それより公爵様は?」

「屋敷に火を放って逃げた。今リチャードが追っているが、王宮に入る前に捕まえられるだろう。あれでも王家の血を引いているだけあって魔力は大きいのが厄介だが…」


 リチャードなら大丈夫だろう、と続けられた言葉にローズが眉を顰める。すっかり自分と兄がウィリアムの駒として動かされているのが気に入らないのだ。

 そんな彼女の心の内を知るはずもないウィリアムは全体を把握するためか、慎重に王宮の周囲を探っている。

 しかもその間にもウィリアムの剣は敵を倒している。それに負けじとローズも魔法で敵の自由を奪っていく。


「予想以上に王宮内に公爵の手の者が入り込んでいる」

「そのようですわね」


 だからこそ、ここまで公爵の手の者が押し寄せてきているのだろう。


「もう少しかかる。それを伝えに来たんだが、ここを任せても大丈夫か?」


 既に公爵自身が逃亡している状況だ。あと数時間で謀反は鎮圧されるだろう。それまで持ちこたえてくれればいい。

 そう思っていたウィリアムの耳に自信に満ちた声が聞こえる。


「誰に向かって言っているのです?」


 それを聞いたウィリアムが、こんな状況下なのに口元に楽しそうな笑みを浮かべる。


「頼もしいな」

「そうでなければ、殿下のこんな無茶に付き合ったりしませんから」


 そんな会話の間にもローズの操る魔法とリアの協力によって、王宮内外の敵の動きを次々と止めていく。


「それにしても一人でこれだけの援軍を仕留めるとは…やはりローズ嬢は最高だな」

「それ、令嬢に対する誉め言葉じゃないですよね?」

「なんだ、令嬢扱いされたいのか?」

「別に、そういうわけではありませんけど」


 なんとなく不本意です、と言ったローズの言葉にウィリアムが小さく笑う。


「これが終わったら最高級のドレスを贈ってやる。あと少し、頼んだぞ」

「言われるまでもありません」


 その言葉を合図にウィリアムは自分が指揮する軍がいる場所へと転移魔法で戻っていった。するとウィリアムが姿を消すのを待っていたかのように、周囲で揺れる松明の炎を避けながらローズに近づいてくる複数の気配がある。


(前に2人、左右に3人ずつ、ってところかしら。背後にいないのはリアのおかげね)


 使い魔が目を光らせているとあれば、その方向から攻撃するのが得策ではないことぐらい、この国の人間なら誰でも知っている。

 ローズは相手に気づかれないよう、自分の体に沿わせるようにして張った結界を更に強化する。これで余程の事がない限り、相手の刃も魔法による攻撃も弾いてくれるはずだ。

 次に手の中に小さな明かりを灯すと、自分の周囲だけをほんのりと照らす。これくらいの明かりだと、自分の姿だけが相手から見えているはず。自分たちは見えていないと思って油断してくれてもいいし、逆に罠を予想して慎重に攻撃のタイミングを図って来られても全く問題はない。


(さぁ、どっち…?)


 どちらに転んでも自分が勝つのだが、前者に引っかかってくれた方がラクだな、なんて思っていると、すべての気配が同時に動いた。

 左右からの刃を姿勢を低くする事で交わし、左右の敵同士がぶつかって地面に倒れたタイミングで明かりを消す。突然暗闇に戻った世界で焦る前方の敵を攻撃魔法で気絶させる。


「リア、この人達を縛り上げておいてくれる?」

「猫使いがあらいにゃ」


 文句を言いながら一瞬で全員を縛り上げたリアにローズが「ありがとう」と声を掛けると、しっぽで地面を叩く音が聞こえた。

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